「僕から離れたりしないよね?」

 実戦部隊、と、和哉カズヤは呼んだ。あるいは、よごれ役、と。

 皐月サツキは、そう呼ばれる彼らが苦手だった。それは、本来なら自分もそちら側にいるべきだと、いて当然と知っていたからだ。


「いやだね」


 ぼそりと、男は吐き捨てた。皐月は、何も言わずにとりあえずのリーダーを見つめ返した。

 この集団の中で唯一能力を持つ男は、皐月がはじめて見たときよりも大分すさんだ目をしていた。

 和哉という統率者を持ち、それなりの人数と力とを持ち得ていた皐月の属する集団とは違い、和哉の手助けがあったとはいえ、十数人をまとめ、自活していくのがそれだけ大変だったということだろう。

 だが、皐月には同情など覚えようもない。はじめから一番の選択肢に暴力を置く彼らは、皐月にとっては、真似まねをしてはならない鏡像だ。

 男は、本来の造形はそれほど悪くはないだろう顔をみにくゆがめ、皐月を睨みつけた。きっと、その奥に怯えがほの見えることを隠しているつもりだろう。


「もう、お前らに都合のいいように使われるのはうんざりだ。他をあたれ、もう来るな」

「二回もこてんぱんにやられて、怖気おじけついたか」


 怒りと、わずかな怯えとを眼に映して、男はこぶしを振り上げた。が、皐月には当たらない。危害を加えることは、あらかじめ禁じてある。

 それは、今はこの廃工場内の別の場所にいるだろう彼らの仲間に対しても同様で、毎回触れなければならないのが面倒だが、仕方がない。

 この力があるからこそ、和哉は度々たびたび皐月を連絡係に使っているのだ。


「…お仲間ごっこしてるんだろ、全部、ばらしてやろうか。お前らを襲わせたのは、横で善人面してるその男だって。そうすりゃあ、俺らが襲う必要もなくあいつらはいなくなるんじゃねえのか」


 男の的外れな脅し文句に、溜息をつきそうになる。

 和哉カズヤが望むのは飛鳥アスカの抹消ではなくて、引き留めることだ。そして、飛鳥ははっきりとではないとしても知っているのだという。さすがは、和哉の同類。

 和哉が同類に持つ執着は、似た力を持つ、皐月自身への執着で身にみてわかっている。

 だからこそ今回、足を重点的に狙っての攻撃を頼んだのだ。飛鳥が離れようとするから、それを自発的に諦めさせようとしている。

 彼らのことがばれているのなら、例えタシロの社屋に残った方が便利でも、意地でも出て行ってしまう気がするのだが和哉は違う意見のようだ。

 引きった顔で皐月を睨む男の顔を眺め、心のどこかが凍ったような気分で、皐月は深々と溜息をついて見せた。思っていた以上に冷たい声が出る。


「命じようか?」


 びくりと、男の動きが止まる。実際、言葉だけで操れる和哉がやらせたことがあるらしい。そのときはまだ、皐月は彼らの一員ではなかった。

 以来、それを脅し文句に使えるというのだから――どれだけひどいことをさせたのやら。

 いやなら厭で逃げ出せばいいものを、和哉の庇護下にいることを自覚する彼らは、そこから出ることに怯えている。苛々いらいらする。


「聞きたいのは、進んでやるかやらされてやるか、どっちを選ぶかってこと。和哉の眼の届くところにいるなら断るなんて選択肢はないって、わかってなかった?」


 ぎりと、音が聞こえるほどに歯軋はぎしりをする。

 黙ってそんな男を見ていると、押し殺したように、わかったと声を出した。頷くと、皐月は立ち上がる。

 結論さえわかれば、以前は事務所か休憩室だったのだろう、この狭い部屋に用はない。

 怯えと怒りの入り混じった視線を感じながら外に出ると、風が心地よかった。

 そうして――暮色の混じり始めた青空の下に、見知った人影を見つける。

「来るんやったらオレが来る意味なかったやんか」


「いやあ、僕も、こんな風に時間があくとは思ってなくって。皐月に何かあったら大変だし、一応来てみた」

「アホか」


 にこやかな笑顔の和哉に構わず、上着のフードを目深に下ろして歩き出す。

 夕食時には戻らなければ、ミヤコハルが妙に思うだろう。最近馴染んできた二人に疑われるのは、あまり嬉しくない。面倒事はごめんだ。


「機嫌悪いね。あいつらが何かした?」


 笑顔で、柔らかな言葉で、だがあやういものをひらめかせて和哉は皐月の肩に手を置いた。そうして、首筋からすべらせて、頬に手を当てる。

 ――君の力は僕には及ばない。

 以前告げられた、和哉の言葉を思い出す。それは、ただの言葉ではなく意味と力を持つ、京の言う「言霊」だ。

 だから和哉は、皐月に触れられる。言葉では、追い払えない。

 どこかでそのぬくもりに安堵して、より一層に凍えながら、皐月は、感情を込めずに年上の青年を見つめた。


「別に、何も」

「本当?」

「ああ。ちょっとごねて、面倒って思っただけ」

「そう」


 ふわりと笑い、断りもなく、和哉は皐月を抱き締めた。

 和哉に抱かれるといつも、すがりつかれているような気分になる。実際、感情としてはそうなのかも知れない。見ようによっては拘束だ。

 耳元に、そっと囁く。


「皐月は、僕から離れたりしないよね?」

「――どうかな」


 ぼんやりと、考えることもなく口に出していた。

 怯えるように、より拘束を強めるように、和哉の腕に力がこもった。そうなってから、ああしまった、と、声には出さずに呟く。

 だが――頃合かもしれない。


「和哉が離れて行くってこともあるやろ。あんたが大事なのは、オレじゃないんやし」

「どうしてそんなこと言うの」

「わかるわ」


 そこではじめて、皐月は身体を動かした。真っぐに、和哉の目を見上げる。


「親に捨てられた子どもで、職員や年上の子らにべったりなつく子がおる。でも、何かの拍子で親が来たりしたら、一目散にそっちに走っていく。その子らは、親の手が欲しいけどそれがないから誰かの手を求める」


 和哉の目は、いっそ不気味なほどにいでいた。

 皐月はただ、それを見つめ続ける。こちらかららすつもりはなかった。


「――僕も、同じだとでも?」 

「自覚してるなら話が早い。和哉は待ってる誰かに声をかけられたら、オレなんて置いていく。それがわかってるんやから、オレは、はじめから期待してない。感謝は、してる。無茶苦茶になってたオレを立て直してくれたのは和哉や」


 身体ともにぼろぼろだったところを、和哉に助けられたのは事実だ。そのことに恩義を感じたのも。

 だが、時間をかけて飛鳥らを観察し、ようやく合流した。洩れ聞こえてくる他の者らの話を聞いても、それまでとは様子が違うらしい。つまり――そこに「親」がいるのだろう。

 順当に考えれば、半分とはいえ肉親の田代タシロ恵梨奈エリナか。

 自分には関係のないことだと推測を放棄して、皐月は、和哉の眼を見つめ続ける。ゆっくりとしたまばたきは、眼を逸らしたうちに入るだろうかと考えながら。

 ふっと、和哉が笑った。にっこりと、笑顔に変わる。


「僕が皐月を誰かの代わりにしてるなんて、あるはずないだろう? そんな心配、しなくていいのに」

「そんなこと、言ってない」

「言ってるよ。君は施設でそんな子どもたちを見てきたのかもしれないけど、僕は違うよ。だから、僕が皐月の手を離すなんてことはないんだ。安心した?」


 急に――触れていたくなくて、和哉から離れようと手を突き出した。だが叶わず、逆に一層力を込めて、抱き締められる。

 怒ったのだろうかと、怖くなったのだろうかと、皐月は為すがままになりながら、ぼんやりと考えた。何故離れようとしたのか、自分でもわからない。

 どのくらいそうしていたのか、こんなところに突っ立っていないで戻ろう、と声をかけようとしたところで、何かに押されたような感覚に続いて和哉が体重をかけてきた。重くて、こけそうになる。


「ちょっ、何――」

「や、やった! やってやった――!」

「?!」


 位置の低くなった和哉の肩越しに、ついさっき目にした男の姿があった。呆けたように、両手を突き出している。

 その手には、震えるその両手には、赤い雫を落とすナイフが握られている。


「テメエ…!」


 前に出ようとした体が、引き止められる。和哉に両耳をふさがれたと気付くまでに、間があった。

 そうして男は、皐月の目の前で、恐怖に満ちた目を見開き顔を引きらせながら、血に染まったナイフを自分の腰に突き刺した。


「あーあ…まだ使い途あったのに…かっとなっちゃった」

「和哉!」


 皐月の耳から両手が離れ、荒い息の合間から、それだけ取ればどこか呑気な言葉が届く。

 どうにか和哉の身体を地面に横たえると、皐月は、血の溢れる部分に手を当てて見よう見まねの止血をしながら、そこからどうすればいいのかもわからずに呆然とした。

 助けを呼ぼうにも、近くに人はいない。いや、和哉を刺して自分も刺した男の仲間がいるが、そいつらに見つかわけにはいかない。

 だがこのままでいれば、そいつらに見つかるか、和哉が出血多量でどうしようもなくなるかではないのか。

 それなら先手を打つべきだろうが、今この手を離して、大丈夫なのかどうかもわからない。


「おい、どうなってる!?」

「――?」 


 強く肩をつかまれ、皐月は、うつろに顔を上げた。

 そこにある男の顔に、今度こそパニックにおちいる。


「なん、で…」

「止血するなら――替われ、これで飛鳥か誰か呼んでくれ、回線はつないだ」

「なんで…?」


 皐月を押しのけ、おもちゃのような黄色い腕時計を押し付ける男の存在が、信じられない。

 ずっと避けていて、ずっとずっと、会いたかった、言葉をわしたかった男が、だが、皐月のことは認識すら出来ないはずの男が、何故ここにいるのか。


「説明なら後で――ってもうああっ、つけて来たんや、お前の後! ストーカーみたいやとは思ったけど!」

「そん…だって…」

「毎日毎日、おかげで耐性が出来たらしい。少し前から、うっすらとはわかるようになってた。けられてるんは確実やったから、どうにもできんかったけど。とにかく、誰か呼んでくれ、俺も大したことはできひんのや!」


 大声ではないが強い声に、皐月は時計を握り締め、以前京が使っていたのを真似まねるように、時計部分を口元に当てる。ずっと言うことのなかった言葉を口にしていた。


「誰か…助けて――!」


 かすれ震えた声は、自分のものとは思えなかった。

 弱々しく、ただ助けを求めることなど、とっくに放棄したはずだった。そんなことをしても誰も助けてくれるはずがないと学び、選択肢にすら入れないようにしていた。それなのに。


『――皐月?!』

『――こちら飛鳥。すぐ行く、どこで何があった?』


 京と飛鳥の声に、一瞬、声が詰まる。


「…港の近く…和哉が刺されて…血が…」

『――わかった。一緒におるのはクラか? すぐに行くからたせろって言っといてくれ』


 今や耳慣れた飛鳥の声は、焦ることなくいつものように滑り落ちる。いや、いつも以上に落ち着いているようにさえ聞こえる。

 交代するように聞こえ始めた京の声は、一心に、皐月を励ましてくれていた。

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