奈良山飛鳥2

 飛鳥アスカがバイクを降りると、一葉カズハ怪訝けげんそうながら降りた。

 バイクに乗るとわかっていたからか、割合ぴったりとした服に身を包み、荷物は斜め掛けしたメッセンジャーバッグ一つだけのようだ。随分と身軽な引越しだ。

 飛鳥は、一瞬だけ躊躇ちゅうちょして眼鏡を外した。

 はじめは威厳付けとして半ば冗談でかけた眼鏡だが、いつの間にか便利な仮面と化した。かけている間は、どんなことでも割合簡単に言えるし振る舞える。

 だが、今それに逃げるのは卑怯だ。


「イチ。その――間際まぎわになって悪い。でも、先に言っときたいことがある」

「…何?」


 何やってるんやろうなあ、俺、と、今日だけでも何度目になるのかわからない言葉が頭の中を回った。

 野良猫を思わせる一葉は、ただじっと飛鳥を見つめている。


「違うかったら別にいいっていうか自意識過剰みたいでみっともないんやけど、その…お前が俺のことを恋愛感情で想ってくれてるとしたら、それにはこたえられへん」


 言った。

 いろいろな意味で逃げ出したくなるのを懸命に堪え、飛鳥は、まったく顔色を変えない一葉の様子をうかがう。

 これがただの思い違いで、一葉が笑い飛ばすならただの馬鹿話として終われる。だが、それはないだろうというのは、確信に近い。気のせいならいいと思いながらも、そうは思えない。


「――やっぱ、気付いとったんや。知っとったんや。…ごめん。気持ち悪いな」

「いや、それはないけど」


 ぽかんと見られ、何を間違ったかと少し焦る。だが反面、今にも壊れそうだった雰囲気が消えて、安心もする。


「あー、えっと、いや、俺女の子好きやけどな。でも、それ以前の問題で、あー…あれや、俺、女の子好きやけど、ミヤコは恋愛対象にならんっていうのと一緒で」

「…何、それ…」

「だってほら、もう、息子みたいなもんやし」

「……弟とかちゃうんか、フツー」

「ん? ああ、言われてみれば」

「なんやそれ」


 何故か、一葉はぐったりと疲れたように笑う。

 飛鳥は、その反応をどう取ったものかとおろおろとしてしまった。つい手を伸ばしかけて、一葉が向けてくれるのが恋愛感情ならまずいのかと、不自然に宙を彷徨さまよう。

 いた正面に、不意を突くように、一葉が飛び込んだ。ええっ、と、思わず声が漏れる。


「飛鳥が好きや」

「…どの意味で?」


 ああ結局まだ逃げてるな、と思いながら、抱きつかれる形で間抜けにも両手が遊ぶ。

 まだ妻もいないがこれが息子なら、あるいは恋人なら、飛鳥も迷わず抱き締めただろう。京でも、叔父の場合立ち位置が逆になるだろうが、それでも。

 だがこの場合、どうすればいいのか。


「わからん。…わからんなった。俺が今まで好きになったのは母さんだけで、あの人は母親やったけど――女やった」


 一度は意味を取り損ねかけて、理解したときには、体は勝手に動いていた。抱きしめて、あやすように軽く叩く。


「わからんなら、わかるまで考えたらいい。答が出るまで付き合うし、出てもちゃんとおるから」

「――ごめん」

「謝るようなことないやろ」


 一葉が泣き止むまで、ずっとその背をさすっていた。

 少しでも、こうしていることで華奢すぎる背に負ってしまった荷物が減るならいいのにと、思うことしかできないが。


「ああ、そうや」


 バイクのところに引き返したところで、思い出して一葉を見る。うっすらとだが赤らんでいる眼が恥ずかしいのか、視線はらされた。


「あのな、イチ。お前が俺のことを大事に想ってくれて、守ってくれるのは嬉しい。実際、何回も助けられてる。ありがとうな。でもな、一番は自分のことを考えてくれ。その上で、俺のことも気にかけられるなら助けてほしい。それと俺は、お前を俺のために人殺しにするのはごめんや。それくらいなら、俺がやる」

「…っ、注文、多い」

「それなら、ついでにもう一個。俺は、お前の『好き』は親しさ希望な」

「…わかってる」

「そうか。でも、無理にそれに押し込めんでもいいで。恋愛感情として好きならそれでもいい。そのときは、きっぱり失恋してくれ」


 一度は顔を上げた一葉が、がくりと頭をれた。

 悪いような気はするが、そこは譲れない。それでなくても、飛鳥もしばらく前に淡いながらも恋心を埋めたばかりだ。そんなところまでは面倒が見れるはずもない。

 先ほどは家族扱いをしたが、これが男女だったなら、話はもう少し簡単だったかもしれない、と思わないではないとしても。


「で、どうするイチ。本部戻るなら送るけど」

「なんで」

「いい加減俺の性格の悪さに嫌気が差すかと」

「自覚あったんか! タチ悪! ――誰が離れるか」


 バイクに乗ると、躊躇なく身体を寄せてくる。

 まだ、一葉が体調や気分次第で他人と同じ部屋にいるだけで辛いときがあると知っている。それらの全てを、飛鳥が一人で引き受けられることはないだろう、とも思う。

 いつか、一葉が飛鳥の元から離れてくれればいい。恭二キョウジや、京たちのように。

 それでも――それまでの間、一緒にいられることが嬉しいと思っていると、一葉は知っているだろうか。恭二も、京も、蔵之輔ゾウノスケハルも、少しでもそう思っていてくれればいいのに。

 何一つ伝えたことがないのに勝手なことを、と自分を笑って、飛鳥はバイクを走らせた。


「なあ、イチ!」

「――何!?」


 走り始めとはいえ、互いの声が風に流される。叫ぶような大声になっていた。


「ありがとうなあ!」

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あつい日にはじまったあれらのコト 来条 恵夢 @raijyou

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