「親になれたら良かったんやけど」
どうせいらないなら生まれてすぐにでも殺してくれたらよかったのに。そう思っても口に出さなかったのは、それを聞いた周囲の反応が面倒になると学習していたからだ。
生活が、つらかったとは思わない。充分に恵まれていたとは言い難かっただろうが、比べなければ、気にならなかった。
ただ――生きていることが楽しいとも、思わなかった。
あの時、あの出会いがなければ。きっと皐月は、思いがけず施設を出た後の様々に呑まれ、簡単に生きるのを止めたのではないかと思う。
「不毛やなあ」
「うるさい」
じろりと
「邪魔。どっか行け」
「ええー? 何も邪魔してないやろ」
「存在が邪魔」
「
言葉だけで
何が楽しいのか、ふらりと、日に一度二度と、皐月の元にやって来る。
そうして口にするのは――彼の、親友のことだ。ヒーターの修理をしたとか、うっかり一台壊しかけたとか、今開発を進めているのは脳波測定器を流用した能力値を測る機械だとか、聞いてもいないのにぺらぺらと喋る。
「そろそろ、姿見せたってもいいんちゃうんか?」
「…隠れてない」
「いいや、隠れてる」
これも、何度も繰り返される会話だ。
皐月には、あの「遭遇」で得た力がある。体の一部を触れた状態で命じた言葉に、従わせる。
それを使い毎朝、
「いいやろ、吃驚するやろうけど絶対喜ぶって」
「…人のことに構う余裕、あるんか?
みたいも何も、飛鳥の妹の京からは直接聞いているのだが。
十数日前、飛鳥が京らと気まずくなったのと前後して、皐月は京と知り合った。到底仲良くなるような出会いではなかったのだが、何故か、話をするようになった。
「俺がおらんでいけるなら、それがいい」
「はあ?」
呟きめいた言葉に、思わず視線を向けてしまう。
飛鳥は、
何故か釘付けになって身動きができなくなった。
やがて、それに気付いたのか、皐月に向けられた視線はいつものように多少の鋭さはあっても穏やかで、口元にはゆるやかな
まるで、手品師のポーカーフェイスのように。
「俺のことは、俺がどうにかする。そっちは、ちゃんと考えてるか? 例えば、明日あいつがおらんなっても隠れてたことをやるんじゃなかったって後悔するようにならへんなら、そろそろ口出すのはやめる」
「…はあ?」
「もう一回くらい、向き合ってみたらどうや? ただただ逃げ回って、後になってなんであんなことしたんやろうって
そんなん、知ってる。
思わずこぼれそうになった言葉を慌てて飲み込んで、皐月は目を
いい人だと、知っている。いや、いい人でなくても。皐月にとってだけは、大切な人だ。
あのとき、蔵之輔に出会わなければ――きっと皐月は、生きることを諦めていた。
それの何が特別だったのかは、覚えていない。
ただある日、蔵之輔は皐月の暮らす施設にやって来た。長期の生活者だけでなく一時預かりも行っていたあの施設に、蔵之輔は両親を失ってやって来た。
一人は殺され、一人はその殺害者として、放棄された子どもが蔵之輔だった。
結果、蔵之輔は遠巻きにされた。いじめやからかいの対象にならなかったのは、蔵之輔の突き刺すような視線を恐れたためだ。
その頃皐月は、一緒に暮らす子どもらに避けられていた。大人たちの見ている前ではそれほどではなかったが、裏へ回れば丸っきりの無視も珍しくはなかった。
それをつらいとは思わなかった。むしろ、妙にちょっかいを出されるよりも楽でいいと思っていた。
お互い一人でいる皐月と蔵之輔は、たまに居場所がかち合った。
言葉を交わすでもなく、ただ近くで時を過ごす。それだけのことが、何故か、終わってから皐月のかけがえのない宝物になった。
あるいは、蔵之輔が施設を去る日に、皐月には別れの言葉を残したことでそうなったのかもしれない。
――だから、「遭遇」の混乱の後に蔵之輔の姿を見つけたときには目を疑った。
幻を見ているのかと思った。あれからもう何年も
そして皐月は、その少し前に暴行を受け、幾らか精神の均衡を欠いていた。
一気によぎった諸々を押しやり、皐月は首を振る。一つ呼吸を落として、飛鳥を見遣る。
その冷静な顔を、無性に殴りたくなった。実際やれば、あっさりと避けられてしまうだろうが。
「逃げてるのはそっちやろ。一葉から逃げて、どうせならはっきりと断ったったらいいやん。後悔しそうやから、迷ってるから断れへんわけ?」
一瞬だけ虚を突かれたように、飛鳥は表情を失った。だがすぐに、苦笑いが浮かぶ。
「あいつのあれは、刷り込みみたいなとこもあるからな。雛が親鳥見てひたすら後追っかけていくような。そやなあ。どうせなら、親になれたら良かったんやけど」
「それは、言い訳とは違うんか」
「――さあ?」
例のポーカーフェイスを取り戻し、飛鳥は、寄りかかっていた桟から身体を離す。ちらりと、開け放したままだった戸口から外に視線を流した。
「邪魔して悪かったな。でもまあ、その力無駄に使うのはもうちょい考え」
シャツのポケットに引っ掛けていた細い縁付の眼鏡をかけて、飛鳥は身を
日本人形を思わせる長い黒髪を背に流した少女は、紙の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます