「物凄くこわいことがあるんやけど」


「さむ!」

「うわー!」


 日差しは春めいているのだが、風が容赦なく冷たい。

 ミヤコハルは、ふるえながらもマントのように羽織はおった毛布もうふにくるまりながら、適当なひなたに座布団を敷いて腰を下ろした。

 バスケットもざらつく地面に下ろし、蓋を開ける。        

 美登利ミドリが用意してくれたのは鮭と高菜の混ぜご飯のおにぎり、あとはジャガイモの入った薄焼きのオムレツとつくね串やミニトマトといったおかずだった。

 遠足気分に、少し頬がゆるむ。


「おいしそう」

「うん。いっただきまーす」

「いただきます」


 にこにこと手を合わせ、魔法瓶の中の温かいお茶を入れたコップを片手に、食事を始める。

 毎度のことながら美登利の料理はおいしい。

 京は、ぼんやりと祖母の手料理を思い出す。母に関しては、料理ができるのかどうかすら知らない。

 祖母も料理が上手だったのだが、残念ながら、一郎も飛鳥アスカも京も、その腕前はげなかった。まずくはないのだが別段おいしくもない料理で安定してしまっている。

 たまに、もっと祖母に色々と教わっておけば良かった、と思う。

 だが京は、祖母が亡くなったときもまだ小学生で、明日も大好きな人たちと共に過ごせると、ずっとずっとそんな日々が続くと、疑っていなかった。

 そんなはずはないと、父の失踪と母の出奔という現実を知っていたのに。


「春ちゃん」


 他愛たあいないおしゃべりと共にバスケットを空にして、新しくそそいだ湯気の立つコップを両手で抱えるように持ちながら、ぽつりと、京は声を落としていた。


「あたし、おにいに八つ当たりしたの、きっと、こわかったんやと思う。皆、どんどん変わっていって。おにいなんて特に。…あたし一人、置いてかれるみたいで…こわい」

「うん。うちも、こわい」

「え? 春ちゃんが?」

「えっ、何でそこで驚かれるん?」 


 不思議そうに見つめられ、京も、不思議そうに見つめ返した。お互いに、きょとんとした顔を見合わせる。

 そうして何故か、笑ってしまった。知らず知らずのうちに張り詰めていた空気が、日溜ひだまりにあたためられたかのようにゆるむ。


「こわいと言えばあたし、いっこ、物凄くこわいことがあるんやけど」

「なに何?」


 わざと潜めた京の言葉に応じ、春は興味津々と言うように顔を寄せてきた。京は、冗談めいた口調にいくらか本気をぜる。


「いつかお兄に、付き合ってますってミサキを紹介されたらどうしよう」

「……」


 軽いノリですぐに何か返されるとばかり思っていたら、思いがけず、考え込むように黙り込んだ春の真剣な眼に遭遇してしまった。

 瞬間、ひらめいたものがあった。


「春ちゃん、まさか…お兄のこと、好き…?」

「え。う。…な、なんで?」 


 面白いくらいのうろたえように、確信する。

 実のところ、京にとって飛鳥は自慢の兄だ。欠点は山のように挙げられるしまさか面と向かってそんなことを言うつもりはないが、京なりに飛鳥が好きなのは事実だ。そして、春のことも好きだ。

 多少複雑な思いはあれど、この二人がくっつけばいいのにとは、思わないではない。

 思わず春をまじまじと見詰めると、躍起になって目をらされる。ついつい面白くて、目を覗き込もうとしてしまう。


「…そんなに、わかりやすい…?」


 しばらく無言で視線の追いかけっこをした後で、春は、赤くなった顔を両手でおおって言った。

 京も、やりすぎたかと追うのを止める。


「普段は全然。でも、そういう話振った途端とたん、もう」

「うう…一葉カズハ君にもすぐに当てられたし…」

「え」


 今度は、京が絶句する。

 岬一葉は、京の天敵と言ってもいい。向こうも、似たような認識をしているはずだ。

 そもそもの第一印象が悪かった。その上、ここに来たばかりの頃に一度脱走し、詳しくは知らないが危ういところを飛鳥が助けたらしく、それ以来というもの、べったりと懐いてしまった。

 飛鳥も、兄気質とでもいうのかしたってくる弟分を無下むげには扱わず、はたで見ているとはらはらとするほどに仲がいい。

 れっきとした妹の京としては、まさか幼い子どもでもあるまいに「お兄ちゃんを取るな」とも言えず、おまけにこれも詳しいことは知らないが幸福とはいえない過去を持っているらしい岬に、むざむざと傷つけそうなことも言えない。

 家族のことに一言も触れない岬に、「血も繋がってないのに」などといった言葉を吐くような、最低な人間にはなりたくない。

 それら全てをひっくるめて、岬一葉は京の天敵だ。

 その天敵に先を越されていたというのは、妙に悔しい。春とは、岬よりも断然京の方が親しいはずだというのに。

 やがて春は、ちらりと京を見て、短く逡巡した後に爆弾を落とした。


「あのな、これはうちがそうかなって思っただけやけど……。ミヤちゃん、うちが飛鳥君好きって言ったら、どう思う?」

「それは…別に…あのお兄を好きになるなんて珍しいなって思うけど…」

「えっと…じゃあ…例えば、うちが好きなのは飛鳥君じゃなくてミヤちゃんやって言ったら?」

「ええ? えー……それは、友達として、じゃ、なく?」

「うん」


 真剣な面持ちでうなづく春に、京の頭は混乱した。

 本当に春が京をそういった意味で好きだとは思えないのだが、だが、ではなぜそんなことを言い出すのか。

 考えれば答えは出るような気がするのだが、ぐるぐると行きつ戻りつを繰り返し、すぐそこにあるはずの答えにたどり着けない。

 とりあえず京は、混乱を続ける頭の片隅で、春の言葉を額面通りに受け止めることにした。何しろ目の前で春が、答えを待ちうけている。


「うーん…付き合うとかは全然想像できひんしきっと無理、やけど…」

「気持ち悪いとか、友達として付き合うのも厭とか、思う?」

「それは…今のとこない、けど…何、急にそんなこと…?」

「…本人にはっきりと聞いたわけじゃないけど…多分…一葉君も飛鳥君のこと好きやと思う。うちと一緒で」


 京は、手を伸ばせば届いただろう答えの正体を知った。

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