「建前の説得なら、聞きたくない」

ハルちゃん、ご飯行こ」

「あ、うん、ちょっと待って」


 ここに来た当初よりも伸びてセミロングになった髪をひるがし、春は、部屋の中を向いて、休憩いただきます、と声を張り上げた。

 応じて、二人の医者がややくたびれながらも気安く送り出す。

 はじめの頃は、遠慮していてミヤコが代りに断っていたものだが、二月三月とった今ではすっかり馴染なじんでいる。昼食も、以前のように常に京か代りの誰かが誘い出す必要もなくなっていた。

 今日は、京から誘ってのことだ。


「お待たせ…何持ってるん?」


 京の下げたバスケットに、春が首をかしげる。可愛かわい仕草だと、京は思った。本人は気付いていないようだが、ゆったりとした動きが心をなごませる。

 自分の言動が素っ気無いくらいに尖っている自覚のある京は、そんな春がうらやましい。


「外仕様にしてもらったから、公園にでも行こ」

「え、いいん? 危なくない?」


 訊き返す言葉には、怯えはあまり感じられなかった。一度拉致らちされているのに、強い。そんなところも含め、京は、この年上の友人に憧れる。

 しかしとりあえず、肩をすくめて、歩き出すよううながした。腕にめた、子どもっぽいことこの上ない時計を示す。


「バンドつけてるやろ? 公園って言ってもすぐそこやし、一応、クラさんには断ってるから。何かあったら、あたしが春ちゃん守る」

「あ…ありがと」

「お礼はいいわ、わがままやってわかってるもん。でも、人多すぎやし息抜きしたいんやもん!」

「うん、それはうちもちょっと思う」 


 にこっと、ちょっとした共犯のように春が笑う。京も笑い返した。


 人が多い。

 本当に、この一月ほどで増えた。


 診療所をねていることもあってそれまでも人の出入りは多かったが、夜にはそれぞれの場所に帰って行く人と、同じ建物の中で寝起きしている人とでは、接する密度が違う、気がする。

 原因――と言っていいのかどうか、とにかくきっかけは、恵梨奈エリナを訪ねて弟の和哉カズヤがやって来たことだった。

 東京の大学に通って一人暮らしをしていたらしいのだが、遭遇以来、各地を転々としてやっと姉の元にたどり着いたということだ。

 恵梨奈は大喜びし、飛鳥アスカもすぐになついてしまった。そこのところが、京は気に入らない。

 それまでは飛鳥が中心にまとめていたことも、気付けば当たり前のように和哉がとりまとめを行っている。

 その上で、和哉が道々で出会い行動をともにしていたという少年少女たちが、我が物顔で同じ建物の下で生活しているのも少々腹立たしい。


「おーい京」


 今にも建物を出ようとしたところで、飛鳥の呑気な声が呼び止めた。思い切り不機嫌に、首だけで振り返ってにらみつける。


「何」

「うわ機嫌悪。なんや」

「おにいに関係ない。何か用」

「何やねん一体…。いやな、クラに聞いたんやけど、外で昼食べるって? 危ないから」

「ついて来るも出るなも却下。行こ、春ちゃん」


 会話を続ける気も無く振り切ろうとしたところで、肩をつかまれる。もう一度睨みつけると、飛鳥は困った顔をした。

 いい気味だと思う反面、八つ当たりとの自覚もある分、少しだけ申し訳なくも思った。

 飛鳥は春を見て、京を真っ向から見つめた。さっきまでの情けない顔のどこからと思うほどに、憎らしいほどしっかりとした顔つきをしていた。


「何に苛立いらだってるか知らんけど、外は止めとけ。頼むから、もう後悔させんといてくれ」

「…飛鳥君」


 春が小さく、声をこぼした。服のすそを引っ張られ、京は、春の気持ちが動いたのを知った。

 一葉カズハと春、飛鳥が門を出たところで連れ去られたのは、ほんの一月ほど前のことでしかない。

 そのときは無事に戻れたが、あれほど近くでさらわれ、決定的な被害も無く戻れたのは運が良かったとしか言いようがない。京も、あのときは生きた心地がしなかった。

 こうなると、も張れない。


「わかった、今日はめとく」

「そうしてくれ」

「でもおにい、この軟禁状態はいつまで続くん? 確かに治安は悪くなってるけど、喧嘩できるかそういった能力持ってる人以外は外出るなっていうのはいきすぎちゃうん? ここに篭城ろうじょうでもするつもり?」


 飛鳥が、ぐっと唇をむ。京は、その仕草を今までに何度も見てきている。悪い意味で、兄が「大人」として振舞おうとするときの癖だ。

 それでなくても飛鳥は、この建物で暮らすようになってからというもの、素通しの眼鏡をかけることでよろいを装備している。

 はじめの頃は眼鏡を外しているときもあったが、最近では、外しているところを見た覚えがない。さすがに、寝るときにはかけていないのだろうが。

 京は、兄を睨みつけた。


「建前の説得なら、聞きたくない」

「飛鳥さん、屋上の鍵預かってきました。京さん、春さん、どうぞ」


 勢い任せに続いて飛び出しそうになった言葉を上手い具合にさえぎって、恭二キョウジの言葉がすべり込む。京はぽかんと、一学年だけ下の少年を見た。かすかに、微笑している。

 そっと、手の平に鍵が落とされる。


「高い分風があって寒いから、一度部屋に行って毛布でも持って行った方がいいよ。飛鳥さん、クラさんが探してました」

「ああ…ありがとうな、恭二。じゃ」


 ぽんと叩くように恭二の頭をでて、そそくさと飛鳥が背を向ける。京はそれを睨みつけ、顔ごと視線を恭二に向けた。

 まだ幼さの残る顔つきながら、出会った当初の素直さはどこへやら、笑顔という仮面を手に入れた少年は、にこりと笑みを見せる。

 はっきりと心の内を読む能力を持っていて、それは使わないまでもある程度の感情は感じ取れる恭二は、逆に自分の感情を読み取らせないのが上手くなってしまっている。

 京は、口を尖らせた。


「あんなのに助け舟、出すことないのに」

「僕が舟に乗せたのは、京さんのつもりだったけど?」

「…かわいくない!」


 あそこで色々と口走れば、飛鳥の反応がどうあれ京は後で落ち込んだだろう。そこまで見透かされていることに、いよいよ口が尖る。

 厭な気分にはならないが、ふてくされる。


「ごめん。でも、かわいいって言われる方が落ち込むよ。僕、一応男だし」


 困ったような笑顔でいなされる。

 そういう問題じゃない、と言いつのりたかったが、隣で春が笑いをこらえているのがわかったので、拳を握り締めるだけにしておいた。


「行こ、春ちゃん」

「うん。恭二君、ありがと」

「…ありがとう」


 渋々と、京も礼を口にすると、恭二が、出会った頃のようなみを見せた。何故か、ぎくりとする。


「ミヤちゃん、どうかした?」


 春に顔をのぞき込まれ、激しく首を振った京は、よろめいて春の腕をつかむ。

 思わず恭二の反応が気になったが、話はついたと思ったのか、すでに背を向けて歩き出している。

 とりあえず、恭二の忠告に従って毛布を取りに行く。

 まだ部屋数に余裕があるとはいえ、和哉らが来てからは春と京は相部屋だ。以前からいた面子めんつでは飛鳥と蔵之輔ゾウノスケ、恭二と一葉が相部屋だが、恭二と一葉は対人に多少問題があるため、適当に入れ替わっているのが実際らしい。

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