「文句があるなら口で言い返し!」
夜道は暗い。
そんな当たり前のことを、今になってようやく実感する。月の明るさに気付いたのも、比較的最近、「遭遇」以降のことだ。
混乱していた初期はともかく、今は街燈の
そうやって戻って来た闇は、ついでに安易な犯罪もつれてきた。もっともこれは、明らかに人が悪い。
周囲は、内容のない雑談でうるさい。大声ではないが囁き声でもなく、以前よりも静けさを取り戻した夜の元では、十分に耳につく。
「…馬鹿女」
発案者は誰だか知らないが、
果たして、意味はあるのか。
「馬鹿女」
「それ、あたし呼んでるなら殴る。それとも、人の名前も覚えられへんほどやった? それなら馬鹿男ってことでいいんやんな?」
「……ミヤコ」
ようやく名前を呼ばれ、何、と短く応える。
半月に照らし出された、京とあまり変わらない位置にある小さな顔は苦りきっている。が、おそらくは京も似たような顔をしているはずだ。
「こんなのにいつまで付き合うつもりや」
「厭なら来んかったらいいやろ。自由参加、強制はないって言ってたやん」
沈黙が降りる。
一葉が、
これでわからなければ、それこそ馬鹿だ。
「お二人さん、何の密談? あ、いちゃついてるだけやったらごめん?」
急に割って入った声と手に、ぎょっとする。
肩を並べた二人の間から、頭からフードを被った頭がぬっと突き出ていた。肩に手を回されているが、一葉は一瞬の間を置き、乱暴にその手を払いのけたようだった。
「な…何?」
「せっかくの夜やし、二人でかたまってないで喋ろーなー。聞かれたらまずい話?」
「ちょっ、重っ」
「出て行くから関係ないって思ってる?」
背中に被さるような形のまま、囁かれる。思わず、京の動きが止まった。
「えらい排他的やんな? 身内だけで固めて、よそ者が来たら
そんなつもりじゃない。
その言葉は、喉の奥につっかえて出てこない。実際、京は新しくやって来た彼らに距離を置き、叔父らが離れるのに
一挙に能力者が集まり、それだけ集められるデータが増え、タシロは近隣で一番の要所になった。そのために、各分野の医師や研究者が集まることも決まっていて、能力者たちも力を活かそうと警邏隊にまで発展した。
だからこそ、
引継ぎの問題もあって完全に移り切るのは半年近く後のことになるが、実のところ、そこに京がついていく必要はない。いくらか分担はしたとはいえ、今では主な出納は京を通して行われているだけに、引継ぎ分面倒なだけとも言える。
それでも出て行こうとするのは、一郎や飛鳥といった身内への甘えかもしれないし、逃げ、なのかも知れない。
「妙なことを吹き込むな」
一葉の声とともに、背中の圧迫感が離れる。代わりに、手荒につかまれた肩が、痛んだ。一葉が、二人を力任せに引き
「聞かれたら困るかって思って、わざわざ小声で話したったのに」
「喋るなら、手を離せ」
「へえ、あいつから聞いてるんや。やっぱりあれも、口先だけか」
「違う。…
「はっ、どうだか。そんなこと言って、警戒しろって言われたんやろ? 別にいいで? そのくらい、当然やし? ただ、
「っ」
あからさまに挑発的な声に、そもそも高くない一葉が沸点を超える。
闇夜にも、猫がやるように髪や服がふわりと逆立つのを見て、京は、咄嗟に一葉の腕をつかんでいた。
話はさっぱり見えないが、とにかく、一葉が暴走しようとしているのだけはわかる。
「あほっ、女の子に何するつもり!?」
慌てたせいか、京自身驚くほどに大声が出た。夜に、大きく響く。
いつの間にか置き去りにされかけていた警邏隊の一行が、離れたところで足を止めたこともわかってしまった。
頭を抱えたい思いになりながら、いっそ開き直り、しっかりと一葉と向き合う。
「文句があるなら口で言い返し! そんな力使って、この子傷つけて、それでいいと思うん?! そんなことで気が晴れるん?! それじゃあ、ただの弱い者いじめになるんちゃうん!?」
「なっ、弱いっておれはこんなヤツっ」
「何の力持ってるか知らんけど、そこらのコンクリでも飛んできて、無事におれるようなやつなん? そんな喧嘩っぱやくて、取り返しのつかへん怪我でもしたらどうするつもり?! いい? 弱い犬ほどよく吠えるってのは一面真実なんやからな?!」
ぽかんと、二対の目に見つめられる。
京は、意識してそれを無視すると、立ち止まったまま困惑気味の一行に「ちょっとした
驚いているせいか、抵抗らしい抵抗もなく、二人は腕力の弱い京に引きずられて歩く。
「あたしこういうの得意じゃないんやから、やらせんといてよ」
「頼んでへんやろ」
「頼んでないわ」
和音のように揃った、ふてくされたような声に思わず噴き出してしまう。少し、人と人の間を取り持ってばかりいる兄の気持ちがわかったような気分になる。
顔をそむけ合う二人から手を放し、京は、月を
月の光で影ができると知ったとき、なんだか不思議に思ったことを覚えている。満月も新月も意識していなかったのに、それ以来よく月を見上げている。
「ごめん、名前知らん。教えて? あたしは
「………サツキ」
「サツキ。余計なお世話やと思うけど、さっきのはほんまやから。言いたいことがあるなら、わざと
無言で、一葉はそっぽを向いた。
「それで――」
悲鳴に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます