佐々木恭二

「こっちこっち。呼び出して悪いなー」


 門を出てすぐの塀にもたれて、飛鳥アスカはひらひらと手を振った。

 夜闇ではっきりとはわからないが、きっと笑っているのだろう。恭二キョウジがまとうようになった笑顔の手本は、飛鳥だ。

 恭二は、顔をしかめた。


「飛鳥さん、無理してませんか?」

「ん? どうやろ?」


 駆け寄ると、はっきりと笑っているとわかった。

 恭二がその腕に手を触れるのを拒みはしなかったが、ただ触れるだけでは、離れていたとき同様に、飛鳥の心情は感じ取れなかった。

 いでいる――わけではなく、防壁を作れるようになったのだろう。それでも恭二が心を覗こうと思えばできるのだろうが、そんなことをしたいわけではない。

 恩人で年上の友人を、心配と焦りとを込めて見上げる。


「…イチ君が、そっちに行くって聞きました」

「ああ、あれなあ。いいって言ったんやけど、それなら勝手についてくるって言うし、本当にやりそうやから、それならせめて引き継ぎしろって言ったんやけど。そろそろ引き継ぎ終わり?」

「やっぱり、本当なんだ」


 飛鳥にも護衛が必要だというのは、もっともだと思う。飛鳥の能力は実戦向きではなく、喧嘩の強さしかなかったのだから。

 だが、恭二が感じていたところでは、一葉の感情と飛鳥の感情は種類が違う。

 それを飛鳥もわかってはいるのだろうが、そのまま抱え込むことも、線引きするのも、危ないように思えた。どちらにとっても。

 ただでさえ飛鳥は、いつからか、誰からも距離を置いていた。その癖、どんなものであれ向けられた感情を、拒絶することはない。

 恭二が出会った当初はまだ、心を開き、愚痴を言っていたりもした。今はそれすらない。


「何や、淋しいんか? ちょくちょくこっちにも顔出すし、学校が始まったら一緒のとこ行くやろ」

「飛鳥さんは?」

「クラから聞いてへんか? 俺は多分、生徒としては通わへん」

「え?」


 この力を教科の一つに取り入れて、学校が再開されるということは聞いた。

 大人の人数が減った関係上、以前よりも学校数が減ることは知っていたが、飛鳥の言葉は初耳だ。蔵之輔ゾウノスケとも毎日のように顔を合わせているが、何も聞いていない。


「超能力関係の教師か補助かに回るから、机並べるのも変やろってことで。医師免許取りたいから、勉強自体はするんやけどな」

「…飛鳥さんは、それでいいんですか」

「んー。まあ、俺の力活用しようとしたらそうなるやろうし」


 そういうことを訊いているのではない。


「飛鳥さん…僕たちから、クラさんや京さんからさえ離れていって、それで大丈夫なんですか?」


 飛鳥は笑って、恭二の頭をでた。

 他の人であればそれだけである程度思っていることがわかるのに、今の飛鳥からは何一つうかがい知れない。


「それを頼みたかったんや。なあ恭二、できる範囲でいいんやけど、京のこと、気にしたってくれへんか。兄馬鹿言われても仕方ないんやけど、何か危なっかしい気がしてなあ」

「そう思うなら自分でやればいいじゃないですか」

「俺、最近は嫌われてるからなあ。ろくに一緒にもおらへんし」


 そんなことを、笑って言っていいはずがない。恭二は食って掛かりたかったが、何を言っていいのかもわからなくなる。


「…そんなことのために、わざわざ、皆が寝静まってから呼び出したんですか」

「うん。ごめんな」

「それで…飛鳥さんが楽になるなら、それでもいいです。でも、そうは思えない。何をしようとしてるんですか」


 秋めいた夜風を受けながら、恭二は、そのせいではなく身震いしていた。ただ、それが怒りなのかおそれなのかはわからなかった。

 飛鳥は、つか顔を伏せ、すっと頭を上げた。


「ごめんな。離れても大丈夫なようにしとかなと思って」

「どこかに行くんですか」

「んー。どうやろ」

「でも、イチ君は」

「うん、今度こそちゃんと言う。俺のこと好きになってくれても、いいことないから」


 そう言った飛鳥の笑顔は、心の壁同様に完璧だった。

 飛鳥は言葉を失った恭二の肩を押して、門の中へと向かわせた。


「全部、俺のわがままや。怒っといてくれ」

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