第10話 皇宮へ

「んじゃ、行ってくるわ」

「…………………………」


 晩餐会の翌朝、俺は玄関で振り返りエミリアへ告げた。

 ――が、お嬢様の顔にはありありと不満の色。

 頬を大きく膨らまし、手には赤紐を握りしめ、魔力も漏れ翠光を放っている。

 絶対零度の声色。


「……『自家よりも家格が上の貴族の御令嬢を誘う時は、まずお茶から』って、私、前に言ったわよね? 決闘の時にっ! なのに、なのにっ! あ、あろうことか、ロ、ロサナ様に、うぅぅ~!!!!」

「痛っ、痛いってのっ!」


 ぽかぽか、とエミリアが俺を殴ってきたので、走り回る。

 そのことを完全に失念していた手前、反撃も出来ず、その場を逃げ回る他はなし。

 ――暫く追いかけっこをした後、エミリアの攻撃が止んだ。


「…………」

「え、えーっと、エミリア、さん?」

「………………もう、いい。ジャックなんか、ジャックなんか――……早く、帰って来て……」

「う……お、おぅ……」


 顔を俯かせ、不安気に俺の左袖をお嬢様が摘まむ。

 その表情たるや、凄まじい破壊力!

 頬を掻きながら頷き、約束する。


「だ、大丈夫だって。お茶を淹れて、少し話をしたらすぐに帰ってくっから」

「………………夕食までに帰って来なかったら」


 エミリアは赤紐を、ぴん! と伸ばした。

 光を喪った瞳は俺の首を、じーっと、見つめている。

 ……いけねぇ。これは、い、いけねぇっ!


「待て。待て待て! お、お前は、か、仮にもロードランド侯爵令嬢だろうがっ!? し、執事の首に紐を結んで連れ回すなんて、そ、そんなことをしたら……が、外聞を少しは考えろっ!? リリアとルリアの教育にも悪影響が出るだろうが!!」

「そんなの知らないもんっ! ジャックは、私のなのっ!! 誰にもあげないのっ!!!」

「あ~……」

「――はんっ! 何を言うかと思えば。世迷言もいい加減にしておきなさいよ?」

「「!」」


 後方から自信に満ち溢れた声がした。

 俺達は同時に振り返る。

 そこにいたのは――


「あ、姉貴!? もう起きたのかよ!?!!」

「ちっ。セティさん、まだ早いですよ? 寝ていてください。出来れば永久に」

「……ジャック、その言い方だと、まるで私が御寝坊さんみたいに聞こえるんだけど。あと」

「わっ!」「あーあーあー!!!!」


 姉貴の姿が消え――気づいた時には抱きしめられていた。

 エミリアの悲鳴に構わず、姉貴は唇を尖らせ、俺を責める。

 

「……どーして、起こしに来てくれなかったの? お姉ちゃん、ずーっと、ジャックを待ってたのよ? 昔は何時だって起こしに来てくれて、それをベッドに引きずり込んで、一緒に寝たのに……。その楽しみの為に、昨日、此処に泊まったのよ??」

「あーい、いや、だ、だって……」

「セ、セティさん! ジャックから離れてくださいっ!! は~な~れ~てぇぇ!!!」

「いーやっ! 弟は姉のなのよ? まったく。その程度の基礎教養すらないなんて……ロードランド侯爵家も落ちたものね」

「なっ! なぁっ!? …………ふ、ふふ、ふふふ。セティさん」


 エミリアが絶句し、怖い笑みを浮かべた。

 本日、何度目かのまじぃっ!

 俺は姉貴の腕から逃れようとじたばた。

 しかし、全く動かず。

 な、なんつー力だよ。こ、この細腕の何処に、こんな剛力が!?

 お嬢様が優雅な動作で指を姉貴へ突き付ける。


「――セティさん、良いことを教えてさしあげましょうか?」

「? 何よ?? くだらなことだったら」


「今朝、ジャックは私を起こしに来てくれました」

「!」

「髪も梳いてくれました」

「!!」

「この服も選んでくれました」

「!!!」


 エミリアの口撃に、天下無双の姉貴の身体が大きくよろめいた。

 同時に腕の拘束が緩まり――手を引かれ、今度はエミリアが俺を抱きしめる。

 なお、姉貴に対する口撃なんだが、俺自身の精神的打撃も深刻。

 だ、だって、そうしないとダメって、言われたし……。

 勝ち誇るお嬢様は、ふらつく姉貴を更に追撃。


「そして――皇宮から帰って来たら、今晩は一緒に寝てくれることも、約束済みですっ!」

「こふっ!!!!」


 姉貴の口から鮮血が溢れ、膝をつく。

 ……あ、姉貴が膝をつく姿なんて、は、初めて見たぜ。

 エミリアは俺を抱きしめながら、悠然と宣告。


「勝負は既に明らか。今、敗北を認めるならば、年一回程度、ジャックと会うことを許してさしさげます。寛大な私に感謝を忘れない限りはですが。セティ義姉様?」

「…………ふ、ふふ、ふふふ。甘い、甘いわね」

「? 何を言って??」


 姉貴が立ち上がり、髪を手で払い微笑。

 ……俺、此処にいたくないです。


「ジャックは昨日のお小言中、私にこう約束してくれたわ。『休暇を取って、お姉ちゃんと、一緒に帝都を含め、帝国大都市に旅行へ行く』とっ!」

「!? そ、そんなこと、わ、私は聞いていませんっ! ジ、ジャックは、わ、私の執事なんですよっ!? し、主人である、私の許可無しにそ、そんなことは許されませんっ!!!」

「へぇ~。そう。天下のロードランド侯爵家では、仕えている者へ休暇も与えてないのね」

「!?!! そ、それは……」


 エミリアの身体がよろめき、腕の拘束が弱まった。

 俺はその隙に脱出。

 ……駄目だわ。

 この二人に付き合っていたら、何時まで経っても出発出来ん。

 迎えの馬車も待たせてるし、此処は――


「ジャックにも休暇は必要よ! 何しろ――貴女みたいな子に、毎日毎日、付き合っているんのだもの。あの子には癒しが必要なのよっ! 主に『お姉ちゃん』というねっ!!」

「ざ、戯言を言わないでくださいっ! ジ、ジャックは私の婚約者兼執事なんですっ! し、執事休暇中は、こ、婚約者らしいことをしてもらうんですっ!!」

「そんなことを、させるかぁぁ!!!!!!」

「私達の邪魔はさせませんっ!!!!!!!」


 姉貴の怒号と魔力の奔流。

 それに対する、お嬢様も魔法を派手に展開。

 

 ――その隙に俺は、そっと、玄関を開け外へ出た。

 さて、行きますかね、皇宮へ。 

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