侯爵令嬢の借金執事~許嫁はお嬢様!(3/1スニーカー文庫様より発売☆)

七野りく

第一部

プロローグ(改稿済)

「遠い所をわざわざすまなかったね」

「いえ……少しここまで迷いましたけど、何とか」

「そうか。ああ、座ってくれたまえ。今、珈琲を入れよう」

「ありがとうございます」


 高級感溢れた服に身を包んでいる男性へ頭を下げ、恐る恐る椅子へ腰かける。

 多分、これ一脚で、俺が魚を釣って稼ぐ一年分以上の金額なんだろうなぁ。置いてある他の調度品や、硝子からも威圧感を感じる。

 流石は帝国内屈指の大貴族、ロードランド侯爵様。

 ……今更だけど、どうして俺はこんな所にいるんだろう。どう考えても場違い。

 ことり、音を立てて小皿と珈琲カップが目の前に置かれる。嗅いだことがない芳醇な香り。蒲公英珈琲、じゃ、ない!?


「うむ、我ながらよく出来た。最近は、こうして自分で入れることにはまっていてね。なに、貴族の道楽、というやつだ」

「は、はぁ」 


 一口、飲む。

 うっまっ! だ、大貴族ってこんなのを毎日、飲んでんのっ!? 一年に数回飲む、本物の珈琲とは何だったのか……。

 侯爵が愉快そうに笑った。


「口に合ったようで何よりだ。さて、では――帝国西方の外れから帝都まで、君にわざわざ来てもらった理由を話すとしよう。手紙は読んでくれたかね?」 

「はい。その……本当なんでしょうか? うちの爺さ――祖父と、先代侯爵様が戦友だったっていうのは」


 ――それは、数日前のよく晴れた日のこと。


 学校から帰ると、珍しく親父に呼ばれ一通の手紙を見せられた。

 内容は端的。


『古き約束により、貴家子息、ジャック・アークライトを我が孫娘の婚約者としたい。追記:不可の場合、貴家の借金を即刻、返済願いたく』 


 首を傾げる前に怒鳴ったね。そりゃ、怒鳴ったともさ。「またかよっ!」って。

 うちの親父は悪い人間じゃない。というか、悪人とか絶対無理。小悪党にすらなれないだろう。


 ……が、余りにも、余りにも、人が好過ぎる。


 うちの家、アークライト男爵家は、帝国西方の外れに小さな領地を持っていて、親父は当代。毎日、領地を見回って、問題があれば真摯に対応。なので、領民からの受けはすこぶるいい。

 でも、後先考えず助けるもんだから、家計は何時も火の車。

 上の兄貴達二人はもう結婚して独立。姉貴も自立して、帝都で一旗揚げたらしく、毎月仕送りが来てるのにまだ、足りない。  

 結果、我が家は貧乏貴族。まぁそれはいいんだが。ひもじい思いはしたことないし。

 にしても……この前、姉貴から届いたお金でようやく借金を返し終わったと思ったのに、隠れてまだ借りてたとは。

 俺が餓鬼の頃に死んだ母さんはきっと笑ってることだろう。「ジャックもまだまだ甘いわね」。いや、これは幾ら何でも。第一、古き約束って何なんだよ。

 問いただす暇もなく、親父は俺にこう告げた。


『ま、借金は返せない。すまんが、帝都へ逝ってくれ☆』


 文字が違ぇ!!!!

 取り合えず、本気で殴りかかり――気付いた時には馬車の上だった。お、おのれ。あの無駄に鍛えてやがる筋肉馬鹿っ!!!!

 で、とにかく話を聞き、申し開きをするべく侯爵家に辿り着いたってわけだ。閑話休題。

 侯爵が大きく頷いた。


「私の父は昔、近衛騎士団にいてね、そこで君のお爺様に命を幾度となく救われたそうだ。そして、戦乱が鎮まり別れる際、こう約束をした。『子供達を結婚させ、親族となろう』とね。まぁ、昔はよくあった話だ」

「…………」


 確かにありがちな話ではある。あるが――相手は侯爵。しかも、皇帝陛下ですら気を遣う由緒正しいロードランド家。

 で、うちは爺ちゃんが戦場で活躍し、叩き上げで貴族になったぽっと出貧乏貴族。

 ……普通に考えたら無理じゃね?

 顔に出ていたらしく、侯爵も首肯。

 

「うむ。普通は無理だろう。が、我が父親ながら、先代は頑固者。約束は必ず果たす、と言ってきかないのだ。お互いの子供達は皆、男子ばかりだったからな」 

「……それで、孫の俺、というわけ、ですか。あ、でも、それならうちの姉貴なんか如何でしょう? 独身ですし、歳も俺と三つ違い」

「うち子供達は三人共、娘ばかりだ」

「…………借金は、如何ほど?」

「見ない方が良いと思うがね」

「お願いします」


 メモ紙に数字がかかれ、差し出される。

 み、見たくない。けど、見ないと先へ進まない。頑張れ。頑張るんだ、ジャック。お前なら立ち向かえるさ。

 意を決して覗き込み――嗚呼、真っ白な地平が見える。

 あ、あのクソ親父ぃぃぃぃぃぃ!!!!!!

 なんつー額を借りてやがるっ。うちの年収の何年分だよ、これ。うぅ……おうち帰りたい……。

 侯爵がにこやかな笑み。


「残念だが、君には選択肢がない。諦めてくれたまえ。何、悪いようにはせん」


 手元の鈴を鳴らす。

 扉がノックされ、綺麗な栗色の髪を長く伸ばし、リボンでそれを結っている長身の美少女が部屋へ入って来た。ほ~。


「御父様、お呼びですか?」 

「エミリア、先日、話をしたな。この子が、お前の婚約者となるジャック君だ。うちから魔術学院に通ってもらう。右も左も分からぬだろうから、色々と世話してあげなさい」

「はい、分かりました――御父様、ジャック様に御屋敷を案内して差し上げたいのですか」

「構わんよ。ジャック君、では、これからよろしくな」


 俺の意思は最早ないらしい。

 

 ――だが、しかし。

 

「ま、待ってくださいっ!」


 俺は勇気を振り絞り、声を張り上げる。


「何かね?」「………」


 侯爵と少女が俺を見た。

 回らない舌で訴える。


「お、親父の、し、借金は、も、申し訳ありませんでした。で、ですが、ど、どうにか、返したいと思っています。『借りはすぐに返せ』。か、家訓なので。な、何でもします!」

「ふむ……一理ある。ならば」


 侯爵がにこやかな笑み。

 ――……あ、これ、まずったかもしれん。


「君には、娘の専属執事になってもらおう。その給金の一部で、返済していく、というのでどうかね?」

「!? し、執事ですか?」「御父様?」


 侯爵が頷き、少女は何処か不満気。

 すると、執務机に近づくよう、手で指示。父娘が内緒話。


「(良いではないか。どうやら、彼は、随分と律儀な男に育ったようだ。なに、あの額だ。返しようもあるまい。執事にしておけば――何時でも、傍に置けるぞ?)」

「(! た、確かに……そ、そうですが……)」


 少女が俺をちらり。

 視線を戻し、侯爵へ頷いた。


「娘も同意したようだ。では、これからよろしくな、ジャック君。エミリア、彼を」

「はい」

「…………はい」


 俺は力なく立ち上がり、頭を下げ、部屋から出る少女の後に続く。

 ……並ぶと分かる。俺より背が高ぇ。


 ――無言で長い廊下を歩くこと暫し、少女が振り向いた。目には嫌悪感。


 冷たい小声で囁く。 


「言っとくけど、私、あんたの許嫁になったつもりなんか、これっっぽっちもないわっ。そのつもりでいてよね。御父様と御母様に心配はかけたくないから、屋敷内でだけ話はしてあげる。か、感謝なさい。でも、仕事はしてもらうから」 

「! まじかっ! いや、良かったぁぁ。なら、とっとと破談になるよう頑張ろうなっ! なっ!! あ、仕事はするぜ。頑張る!」

「…………」


 無言で少女が大股で歩き出した。さっきより明らかに不機嫌。あ、あれぇ?

 ま、いいか。少なくともこいつは敵じゃない。味方でもないだろうが、大局的に見れば味方な筈。今のところはそれだけで十分。

 

 だから――背で負けてるのは、見なかったことにしといてやるっ!

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