第2話 予行練習

「え、えーっと……こう、か?」


 週末の休日、俺は自室に置かれた大きな姿見の前で、教則本を片手にぎこちなく、手や足の動きを再現する。

 なお、着ているのは黒の執事服。

 なんでも、俺はこれを着て皇宮へ行かないといけないそうだ。

 ……拒否権は端からない模様。お嬢様のニヤニヤした顔が脳裏に浮かぶ。

 

 なんという横暴っ! 不条理っ!! 理不尽っ!!! 

 

 確かに俺には借金がある。親父の内臓その他を売る→禁呪で蘇生→再度(以下略)を数百回繰り返してなお、返しきれない借金が。

 でも、でもっ……頭を抱える。これは幾ら何でも、酷い。酷過ぎる。あんまりだ。


「「じー」」


 俺を見つめる、双子の視線。

 いつの間にか、入り口が開き、リリアとルリアが入って来ていた。しまっ。

 双子はすぐ駆け寄って来ると、楽しそうに聞いてきた。


「ねーねー、ジャック、ジャック」「ダ、ダンスの練習をですか?」

「う……」


 目をキラキラさせている幼女達。逃げきれない。

 それぞれの頭に手を置き、頷く。


「まーな。……今度、皇宮で晩餐会があるだろ? なんか、俺もそこに行くことになってな。お前らの姉の陰謀でっ!」

「! ジャックも行くの?」「わ、私達も行きます」

「おーそっかそっか。俺、そういうの出たことねーから、当日は助けてくれよ?」

「うん♪」「はーい♪」

「いい子だ。前払いで、こーだ!」

「「!」」


 綺麗な髪を撫でまわすと、双子がきゃっきゃっ、とはしゃぐ。

 嗚呼……ささくれ立った心が癒されるぜ。


「……リリア、ルリア。勉強はどうしたんですか?」 

「「!?」」


 一瞬で、心が寒風に曝される。

 入口で腕組みをし、私服姿のエミリアが妹達へ厳しい視線。

 双子達は俺を盾に、ぐいーっと押してくる。お、おいっ。止めろっ!

 つかつか、とお嬢様が近づいて来た。俺を見て


「…………」

「な、なんだよ」

「な・ん・で・も、ありませんっ。リリア、ルリア、遊んでもいいですけど、きちんと勉強を終わらしてからになさい。そうしないと、この人みたいになってしまいますよ? それでいいんですか?」

「「! やっー!!」」

「なら、戻りなさい。後で一緒にお茶を飲みましょうね」

「「は~い♪」」


 そう言うと、双子は通り雨のように去って行った。

 その隙に、教則本を懐へ――手を、がしり、と掴まれた。

 ぐぐぐ……こ、こいつ、俺より、力がつぇぇぇぇ。


「何を隠そうとしているのかしらぁ? 御主人様には全てを曝け出――……ひ、昼間から、な、何を言わせるのっ! 油断も隙もないんだからっ!!」

「さ、流石に、今の流れは拾いきれねぇぞっ!? 何でもねぇから、はーなーせー」

「いいでしょう」


 エミリアが俺の手を離した。珍しく素直な。

 まぁ、理由はどうあれ、バレないなら良し。

 俺は平静を装い、姿見の前から離れようとし――お嬢様が再度、手を差し出してきた。表情はニヤニヤ。


「な、何だよ?」

「え? 練習をするのよね? ダンスの」

「っぐっ! ち、違っ」

「皇宮の晩餐会で、ダンスを踊れないととてもとても悲惨よ? 料理を食べるしかなくなるわ」

「最高じゃねぇか! 美味いんだろ? 味付けを覚えて」

「そして、参加させた家の名誉が傷つく」

「お、おーし、覚えようかなー。お前じゃなくて、ネイに習って」

「却下」


 手を取られ、ぐいっ、と引き寄せられる。

 抵抗することも出来ず、腕の中。うぐぐ……。


「ふふ……恥ずかしいの? 顔が真っ赤よ?? 大丈夫。私、自分より背が低い男は対象外だから♪」

「で、で? どうすればいいんだよ??」


 毒を食らわば、の精神で尋ね返す。

 ――視線が交錯した。

 何せ身体を密着しているわけで、近い。

 お嬢様が左手の指と指を絡め、手を繋いできた。

 そのまま、左腕を俺の背中に回しぎゅー。


「お、おいっ!」

「うふふ♪ ジャーック♪」


 い、いけねぇ。

 こ、こいつ、目的であるダンスを完全に忘却してやがるっ!

 左手が動き、俺の右手を取った。そのまま、自分の背中へ持っていく。

 ……ここで拒否したら、泣きそうだ。

 仕方なく、そう、仕方なく、俺は背中に手を回した。


「……い、いきなり、どうしたんだよ?」

「え? 理由なんかないけど? そこにジャックがいたから? あと、妹達だけだと不公平だし?」

「もっともらしく言っても駄目だからなっ!?」

「ケチっ。そんなこと言う人は、晩餐会で一緒にいてあげないから」

「リ、リリアとルリアと一緒にいるし」

「残念でしたぁ。あの子達は御母様と一緒に行動することが決まってるんですぅ」

「な、んだ、と……?」


 無慈悲な宣告に、俺の膝が崩れそうになる。

 つ、つまり、当日、俺が頼れるのは……い、いやっ! あ、諦めるな、ジャック。俺には、友人である


「なお、ネイさんはムギさんの紹介で貴方をからかう――……こほん、構っている暇はないわよ?」

「言い方っ! 言い直しているようで、直ってないからなっ!?」

「現実逃避してもいいけど、選択肢は二つしかないわ。当日、私にからかわれつつ回るか、私に遊ばれつつ回るか、よ★」

「あ、悪魔めっ……」

「そうよ? 知らなかった??」


 エミリアが嬉しそうに、顔を肩に乗せてきた。

 囁いてくる。


「貴方は私のなんだからね。リリアとルリアにも渡さない。……何処にも行っちゃ嫌」

「あー……大丈夫だって。多分。離れやしない」

「む! 多分って何よ、多分ってっ!!」

「まさか、はあるだろうが?」

「…………手首に紐を、ふぇ」


 俺はお嬢様の頭を軽く抱いた。

 前にも言ったことを囁き返す。


「まぁ……約束は守る」

「……うん、知ってる。誰よりも」


 ――なお、ダンス云々は杞憂だった。

 ネイ曰く、踊りたくなければ踊らなくても良いらしい。

 汚い。ほんと、俺のお嬢様である、エミリア・ロードランドは汚いっ!

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