第5話 迷子
「…………此処、何処だ?」
ああ、いや、場所は分かってる。
皇宮。帝都で一番どでかい建物で、皇帝陛下がお住まいになっている場所。
で、俺は今晩、ここのとんでもない広い内庭で開催されている、晩餐会に参加してるってわけだ。
だが、しかし――周囲には人影無し。微かに喧騒は聞こえて来るものの、結界の外なのか、俺程度の技量じゃ、方向すらも曖昧。
晩餐会会場で『少しは執事の仕事をしないとな!』と飲み物を取って来る最中、視界に捉えた妙な『影』が気になって、何となく着いて来たら、これだよっ!
ぐるり、と四方を見渡しても見えるのは、咲き乱れる花々だけ。思わず呟く。
「…………まじぃ」
まじぃっ! ほ、ほ、本気でまじぃっ!!
い、今頃、あ、あのお嬢様は、苛々し始めている頃だろう。
あ、姉貴がいない分、まだ、マシだが……な、何をするか分かったもんじゃねぇ。
どうにかして戻らねばっ! でないと――
『ジャック――……以後、屋敷内、学内、外出する際は、首に赤紐着用を義務付けます★ 拒否権はありません。貴方にそんなものは、前世も、来世も、来々世にも存在しません! ええ!! この私がっ、存在させませんっ!!!』
……あいつは、エミリア・ロードランドなら、やる。間違いなくやる。絶対にやる。そして、俺の精神が死ぬ。
どうにか、どうにか、回避せねばっ!
「――……あ、あの」
「! ひぃっ! ご、ごめんなさいっ!! わ、わざとじゃないんだってっ!!!」
「きゃっ!」
突然、後ろから声をかけられ、両手を挙げ、即座に謝る。
……あれ?
今の声、エミリアじゃなかったような??
恐る恐る、振り返ると、怯えた様子の少女が一人。
淡く細いキラキラした長い金髪。均整の取れた華奢な身体に純白のドレスを纏っている。明らかに超高級品。歳は俺とそう、変わらないか、やや幼いように見える。
なお、背は俺よりも高い……。
おどおど、と少女が告げてくる。
「こ、ここは、は、入っちゃいけない、場所、なんですけど…………」
「あ、うん。そ、そうだよなー。そうだと思ったわ……」
「早く、で、出て行って、ください」
「…………」
至極真っ当な要求。
両目を閉じ、自らの自尊心を封じ、懇願する。
「えっと…………か、帰り路が、わ、分からねぇんだ……ど、何処から出て行けばいいのか、教えてくれないか?」
「??? 此処まで、入って来たのにですか?」
「うぐっ! そ、それは……へ、変な影を追いかけて来たら、いつの間にか、此処にいたから……その……」
「――あ、分かりました! 貴方、迷子の執事さん? なんですね?」
「…………ハイ」
少女が得心したように、手を合わせた。
反面、俺は項垂れ、その場にしゃがみ込みそうになるのを必死で耐える。
耐えろ、耐えるんだ、ジャック・アークライト。お前は、出来る男だろう?
……まだ、まだ、間に合う。
小言は確実に言われるだろうが、今、戻れば首に赤紐は免れる筈だ。
その為ならば、一時の屈辱なんて――少女の楽しそうな声。
「分かりました。助けてあげます」
「ほ、本当か?」
「はい」
おしっ!
俺ってば、幸運っ!
頭を下げる。
「よろしくお願い」「ただし、何かと交換です」
俺の声と少女の声が重なる。
…………おっと、雲行きが突然、怪しくなってきたぞ。
頭を上げ、視線を合わせる。
そこにあるのは、悪戯を思いついた大きな瞳。
――エミリアが、俺に向けるのと同種だ。
しどろもどろになりながら、説明する。
「こ、此処を、ぬ、抜け出て、晩餐会会場へ戻る方法だけを、お、教えてくれれば、いいんだが……?」
「私に利がありまえん。貴方は会場に戻る。では、その分、私に何を返してくださるんですか?」
「え、えーっと――……こ、紅茶を、淹れる、とか?」
「…………」
少女が口元を押さえ、目を見開く。
――やがて、上品に笑い始めた。
「私に紅茶を? ですか?? ふふ……。面白いことを言う執事さんですね。分かりました。なら、それを条件に貴方を案内します。御名前をお聞きしても?」
「……ジャックだ」
「ジャックさんですね。覚えました。さ、それじゃ行きましょう、迷子の執事さん♪」
「…………」
少女が上機嫌に歩き始める。
俺はその後へ続きながら、不吉な考えを思い――意図的に考えるのを止める。
うん、そうだよな。俺なんか、大した魔法も使えないわけだし、偶々、今晩はこんな場所に入り込んじまっただけ。
ここはきっと、ち、ちょっとした上級貴族様なら、入れる場所なんだろう。うん、きっと、そうだ。
少女が振り返る。
「迷子の執事さんは、何処の執事さんなんですか?」
「…………そ、それ言わないと駄目か?」
「え? だって、紅茶を淹れてくれるんですよね? ……もしかして、嘘を」
「う、嘘は言わねぇよっ! だ、だけど、その……お、俺にものっぴきならねぇ、事情があってだな…………つ、仕えている先に迷惑をかけるのは、出来なくて……。ア、アークライトだ。俺の姓は」
「ジャック・アークライト、ですね。覚えました。はい、此処です」
少女は満面の笑みを浮かべ、草むらを指さした。
……普通の草むらなんだが?
「そこを通れば、晩餐会の会場に出られます。約束、守ってくださいね? 迷子の執事さん? それと――」
少女が耳元で囁き、何かを握らしてきた。
「今晩のことは、二人だけの秘密です」
「…………」
俺は頷き、頭を下げ謝意を示し、草むらへ。
――気づいた時には、賑やかな晩餐会会場の片隅に俺は立っていた。
今までのは夢、か?
けれど――手の中には。
はっ! さ、殺気っ!!
「………………随分と、遅いお帰りですね、ジャックぅぅぅぅ?」
後方から、笑い混じりのお嬢様の問いかけ。
身体が勝手に震えてくる。
俺は、今晩で死ぬかもしれん。
――その後、散々エミリアに絞られた。
いやまぁ、俺が悪いから何も言えん。
それでも――執事服のポケットに入れた、ブローチのことは流石に話せなかったが。
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