第10話 月夜

 その日の晩、一度ベッド(とんでもなく豪華。これ、何人用なんだ……ふっかふふっかだし)に入ったものの寝付けなかった俺は、とぼとぼと屋敷内の廊下を歩いていた。

 目的は何もない。

 かと言って、屋敷の外に出て、庭を散歩するのは禁止されている。

 ……お嬢様に。


『ダメ。ぜっったいにっ、ダメ! 出歩いて、また怪我をしたらどうするのっ!! 屋敷内なら何かあってもすぐ、私が――……こほん、誰かしら、対応出来るでしょう? 大人しくしていること。分かった? 分かったら、返事っ!』


 実際、怪我してる手前、反論し辛い。助けてもらったことに対しても、多少の恩義は……その、あるし。

 窓の外には大きな月。田舎で見たのと同じ月だ。

 昨日、ここにきて、爺ちゃんが昔、先代ロードランド侯爵としてたらしい約束を知って、親父がまたもや借金をしてて、お嬢様が何故か許嫁になって、帝国魔術学院に編入させられて、ザーキス? に絡まれて、お嬢様に助けられて、お嬢様に人参を食わされて、ノートを取ってもらって、再決闘だか何だかを申し込まれて……うん、激動過ぎる。取り合えず、神様と親父は説教+大熊用の罠行き決定。許さん。ぜってぇ、許さん。

 あ、でもセラ先生とワタリ先生はいい仕事だった。神様だけは大猪用罠で勘弁しとこう。

 だけどなぁ……溜め息をつきつつ、学院から戻ってきた後に侯爵とした会話を思い出す。


※※※


 俺が今日あった出来事を説明し終えると、ロードランド侯爵は大笑した。


「はっはっはっ。編入初日に、か弱い女子を守り決闘沙汰とは、君も中々の者じゃないか。うむ、エミリアの婚約者ならば、それくらいはやってもらわねばな。出来れば、自力で全て片付けてほしかったがね。まぁそれは御愛嬌だろう。ああ、噂にならぬよう、私からも手は回しておく。安心したまえ」

「は、はぁ……」


 あれ? 普通は怒られる流れじゃねぇの?? 噂になる、とか考えもしてないんすけど???

 横目でお澄まし顔をしてやがる御嬢様を見る。こいつも、どうしてさっきから黙っていやがる。帰りの馬車の中じゃ、あんだけ俺に説教しやがったのに。

 公爵が尋ねてくる。


「――で? 無論、この申し出、君は受けるのだろうね?」

「あー……右腕もこんなですし、断」

「当然、お受けする。明日、返答したその場でも構わない――そう、ジャック様は、馬車の中で雄々しく仰っていました」

「!?!! ちょっ、おまっ」

「……ですが、私がお止めしたのです。せめて、その右腕が完治し、普段通りに動かせるようになるまでは、猶予を求めるべきです、と」

「うむ、一理ある。蛮勇は、勇士のすることではないからな。では、右腕が治癒次第――名は何だったかな? まぁいい。某子爵家のその学生と決闘だなっ! いや、まさか、この時代にそんな物が見れようとはっ! 当日は、我が侯爵家に仕える者も見学するとしよう」

「い、いや、あの、そのですねぇ……」

「おお、そうだ。君が勝ったら、お祝いとしてアークライト男爵家への借金は減額するよ」

「!?」


 減額、だ、と……? 

 あ、あの正直、親父の内臓を売っても返せねぇ額が、減る??

 ……い、いや、待て。待つんだ、ジャック。落ち着いて考えろ。

 俺が使える魔術は爺ちゃんに習った、例の魔力を集中させて受け止めるやつだけ。他は精々、小さな種火を出すくらい。

 対して、ザーキス? は剣術はそこそこ。まぁ、爺ちゃんや姉貴よりはよぇぇけど、間違いなく俺よりは使う。魔術は攻撃魔法やら、土壁を放ってたから、比べるまでもねぇ。

 ……やっぱり、勝ち目はほぼ無しじゃね? 

 まぁ、俺は別に負けてもいいけど――ほんの一瞬だけ、隣の少女を見やる。


 何故か、視線が合う。


 にまぁ、と口角を上げた。嘘だろ、おい。どうして、今の間で目が合うんだよ。

 俺が何を言う前に、お嬢様が侯爵へ宣言。

 

「御父様、それはジャック様に甘過ぎなのではありませんか?」 

「そう言うな。お前とて、婚約者の勇壮な姿を見たいだろう?」 

「……はい、とっても」


 頬を僅かに赤らめ、頷く。

 う、嘘だっ! 世間の皆さん、ここに大嘘つきがいますっ!!

 ……くっ。そうか、こいつ、俺が無様に負けるのを楽しむつもりだな。

 酷い。俺の許嫁はほんと、酷い。誰が『学院の天使』だよ。


「ですが」


 お?


「ジャック様は、あまりこの手の荒事に慣れておられぬ御様子で……私、また怪我をされないか、心配なんです……御父様、私、決闘までの間、色々と御世話をしたいと思います」

「!?」

「ほぉ……うむ、だがそれは良い考えだな。お前とジャック君は、将来、二人、手を取り合って共に歩むのだから、その予行練習としても悪くはない。私に異論はないよ」 

「ありがとうございます。ジャック様、よろしくお願いしますね?」


 天使のような笑み。なれども、その瞳は……形容しがてぇ。昔、姉貴が世話してた子犬を見る目に近いような、遠いような。可愛がり過ぎて、ノイローゼになったんだよな、あいつ。

 少なくとも、一つ言えるのは……俺の意思は何処いずこにありやっ!!!

 が、他の選択肢も、最早無し――断腸の思いで、頷く。


「よろしく、お願い、しま、す……」

「はい♪」


※※※


 まん丸なお月様を見ていると、ほろり、と涙が零れそうになる。

 ……はぁ、本当に俺はこれからどうなっちまうんだろうか。夕飯も人参尽くしだったし。まだ、ピーマンじゃないだけマシだけど。バレねぇようにしないと。

 静かな足音。「……わんこ? やっぱり、わんこなの? 月が見えると、吠えたくなるの?」こいつは、何を言ってやがるんだ。

 無視していると近付いてきて、覗き込んでくる。


「何? 泣いてるの?」

「な、泣いてなんかねーしっ! お前は、どうしてそうやって俺を――……」

「? どうかした??」

「…………」


 月明かりの下、不思議そうにしている少女。こいつって、こんなにも。

 ……はっ! お、俺は今、な、何を考えてた? も、もしや、これが精神汚染魔法!? バカなっ!


「ちょっと、無視しないでよっ!」

「あ……あーはいはい。うし、俺はもう寝るわー。……おい、その手は何だ‽」

「転んだら大変でしょう?」

「転ばねぇよ」

「はいはい」

「お、おい」


 強引に左手を取られる。ったく。

 ――なお、お嬢様の手はとても小さくて温かく、そして柔らかかった。

 は? 何? 子守歌?? いるかっ!!!

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