第30話 とある戦場にて

 帝都より遥か遠方の辺境。

 とある戦場は、大混乱に見舞われていた。


「隊長殿! こ、これ以上、戦線を維持するのは不可能でありますっ! 撤退のご決断をっ!!」

「駄目だっ! ここを抜かれれば――」


 泥まみれになり、青褪めながら近づいてきて撤退を進言する部下を一瞥し、髭面の隊長は地図へ視線を戻し、指を突き付ける。

 そこには街が存在していた。


「避難はまったく終わっていないそうだ。我等が撤退すれば……非戦闘民が犠牲となるっ! 我等は帝国軍人だ。民を犠牲にし、我等だけが生き残ることなぞ、出来ぬっ!!」

「し、しかしっ!」


 部下が再度、声を大きくした時――大気全体を震わせる、鳴き声が轟いた。

 同時に、閃光と爆音。

 壕に伏せると、土と共に吹き飛ばされた兵士の肉片が飛んできた。

 ―—吐かれたブレスによって、防衛ラインが切り裂かれたのだ。

 隊長は、目を血走らせ、上空を飛んでいる魔物を睨みつける。


「化け物めっ! 耐魔結界程度、竜には効かぬかっ……だか、それでもっ! 総員傾注っ!」


 壕内の兵士達が青褪めつつ、隊長を見た。

 剣を抜き放つ。


「ここが最終防衛線だっ! ここを抜かれれば、街が、我等の故郷は業火に焼かれるだろう。勝て、とは言わぬっ。が……避難と、増援が来るまでの時間を稼ぐため、すまん、貴様らの命を私にくれっ!!」

『お、おおおおお!!!!!』


 兵達は青褪めながらも剣を突き上げられる。

 上空を飛ぶ竜は訝し気に尋ねてきた。


『人よ、貴様らの命を懸けた戦いは無意味。何故、そう死に急ぐのだ?』

「黙れっ! 貴様こそ何故、突然襲ってきたっ!」

『決まっておろうが。暇潰しだ』

「暇、潰し、だ、と?」


 隊長と生き残りの部下達は絶句した。今までの戦いで数百の将兵が戦死していた。その多くは、死体すら残っていない。

 しかし、当の竜は気にせず続ける。


『西の竜と賭けをしたのだ。先に街を蹂躙した方が勝ち、とな。故に我からすれば、貴様らと戯れている暇はあまりなし。手を出してきた故、掃ったが、何もしないのあれば、それで良い』 

「~~~っ!!!!!」


 将兵は激高し、次々を魔法を放った。

 しかし、巨大な魔法障壁に阻まれ、火花を散らすばかり。

 竜はこれみよがしに溜め息を吐く。されど、その瞳には残虐の色。


『貴様等から手を出したのだ。火の粉は払うのが、竜の掟。せめてもの慈悲で、苦しまぬよう一撃で屠ってくれ、!!!?!?!』


 最後まで言い終わることなく、竜は地面に叩きつけられていた。砂塵が巻き起こる。皆が唖然とする中、ふわり、と若く美しい一人の女が降り立った。

 淡い栗色の髪を背中の半ばまで伸ばし、手には紙を持ち視線はそれに固定。戦場だというのに恐ろしいまでの軽装。鎧はおろか、剣すら持っていない。

 隊長が目を見開いた。


「あ、貴女様は……!」

『許さぬ……許さぬぞぉぉぉぉ!!!! 人如きが我に触れ、あまつさえ、地に叩きつけようとはっ!!!! 万死に値する!!!!! 死ねぃ、人の子よっ!!!!』


 竜が巨大な尻尾を女に叩きつけて来た。普通の人間ならば、肉片すら残らないだろう恐るべし一撃。

 ―—が。


『!?』

「五月蠅いなぁ……今、世界で一番、大事な手紙を読んでるのよ。邪魔をするなっ!!!!」


 人差し指一本でそれを止め、竜を再度吹き飛ばした。

 何が起こっているのか隊長達の理解は追いついていない。ただし、名前はわかっている。兵士が呟く。


「……これ、が最強の冒険者『竜魔殺し』セフィ・アークライト……なんて……なんて力だ……」

「……その異名、可愛くなくて好きじゃないのよね。あ、途中で、もう一頭にもからまれたから倒しておいたわ。あとは、こいつだけ」


 視線を動かさず、女――セフィは兵士へ告げた。絶句。それ以外の言葉はない。

 見たところ、何処にも怪我した様子もなく、血すらついていない。

 軍隊ですら蟻同然に蹂躙する竜相手にどうすれば、そんな事が可能になるのか……。

 竜は羽を羽ばたかせ、空中へ。セフィへ向ける視線は憎悪。そして恐怖。


『お、おのれ、悪鬼羅刹めっ!!!! 死ねぃ!!!!』


 大口を開け、魔力を集中。防衛線を一撃で引きちぎった、竜のブレスだ!

 にも関わらず、セフィは未だ手紙を読んでいる。時折「魔法の勉強かぁ……今度、教えないと!」「ふふ、すぐに馴染むのは昔から変わらないのよね」「―—大丈夫。あの馬鹿親父はお姉ちゃんが成敗するからねっ!」と、ニヤニヤしながら、呟いている。竜は眼中にすらなない。

 大気に殺気交じりの魔力が満ち――集束。セフィヘ向けて解き放たれた。

 眩い閃光。壕の中で、身体を屈めた隊長達は続けてくるだろう衝撃を覚悟し、目と耳を押さえた。

 

 ――しかし、何時までたっても何も起こらない。


 恐る恐る、顔を出すと、何かが地面へ堕ちる音。


「!?」

「終わったわよ。後始末はよろしく」


 セフィは手紙を、この世で一番貴重な物であるかのように丁寧に丁寧に折りたたみ、仕舞うと、隊長を一瞥し告げた。

 ―—地面には両断された竜の死体が横たわっていた。絶命している。

 声も出ない隊長達。

 ようやく歓声があがった時には、セフィの姿は何処にもなかった。この日『竜魔殺し』の伝説に新たな一頁が加わったのだった。 

 ――当の本人はというと


「はぁぁぁぁ、ジャック、ジャックぅぅぅ。お姉ちゃん、頑張ったのよ……とってもとっても頑張ったの。本当だったら即座に帝都へ急行したかったのを我慢して、我慢して、我慢して……だから、こんな田舎でお仕事してたのよ? なのに、手紙の最後で『姉貴も気を付けて』だ、なんてっ! 最近じゃ誰も私の心配なんてしてくれもしないのにっ!! 優しい子っ! 天使っ! 私の愛しい愛しい弟わんこっ!! もう、限界だわ――今すぐ行くからねっ!!!」


 と、この数か月で一番浮かれに浮かれ、次の瞬間走り出した。

 ―—後世、『竜魔の万里行』と讃えられる伝説の内実はこうだったのだ。 


「! さ、寒っ……嫌な予感がする……」

「ジャック? ど、どうかしたの? ひぅ!? そ、そんなに、だ、抱きしめて……いえ、いいんですよ? ええ、私は何時でも!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る