エピローグ

「―—で、ホテルが全壊した、と?」

「は、はい」


 お嬢と姉貴が激突した夜、屋敷へ戻った俺は、侯爵の部屋に一人、呼び出され、事情を説明していた。

 いや、俺じゃなくて、二人に聞けばいいんじゃ……侯爵が疲れた表情を浮かべつつ、机の上に両肘をついて、話しかけてきた。


「……ジャック君」

「は、はい」

「私としては、こういう事態になった場合、止めるのは君の役割だと、認識しているのだ」

「! そ、それは……」

「エミリアは君の婚約者だ。そして、セフィ・アークライト嬢は君の姉君。その仲を仲裁する人物は、君以外にいるかね? 死傷者が出なかったのは奇跡だよ」

「…………」


 確かに。指摘されたら、ぐうの音も出ねぇ。

 元はと言えば、俺が姉貴に拉致されなきゃこんなことにはならなかったわけで。加えて、お嬢がやって来た段階で、どうにかして止めていれば、あんなことには……。これで、ここでの生活も仕舞いだろうな。

 深々と頭を下げる。


「……申し訳ありません、でした。確かに、俺の責任です」

「うむ。分かってくれて嬉しいよ。右腕の怪我は大丈夫かね?」 

「はい。動かすと少し痛みますが、骨に異常もありません。働く分には」

「そうかそうか。それは良かった。しかし、無理をしてはいかん――そうだろう? エミリア?」


「はい、御父様」

「!?」


 後方より、澄ました声。

 振り返るとそこにいたのは、ドレス姿のエミリア。い、いつの間に。

 すっ、と俺の傍に寄ってくる。瞳には肉食獣の輝き。頬を冷や汗が伝い、身体が何故か震えてくる。

 ど、どうしたんだ? どうして、俺は、不安を感じてやがるんだっ!?

 それに姉貴は……左腕を絡めとられる。ちょ、おまっ。


「(お、おいっ! あ、当たって、当たってるっ!)」

「(馬鹿ね。当ててるんですよ)」

「!?」

「こほん。……仲睦まじいのは大変、結構だが、婚姻まで節度は守るようにな」

「はい、分かっています、御父様」

「!?!!」


 エミリアが平然と返答。

 俺は狼狽しつつ侯爵へ向き直る。


「こ、婚姻って……こんなことの原因となった俺と、侯爵令嬢であられる、エミリア・ロードランド様とでは、釣りあ、ぃぃぃってぇぇぇぇ!!!」


 思いっきり、腕の関節をきめられる。

 余りの激痛に、話を続けられない。

 にこやかな侯爵の声。


「―—ジャック君、私はね、これでも、色々な貴族達にお金を貸してきたんだ。そして、その全員からお金を回収してきた。……ただ一人を除いてね」

「! そ、それって……いや、でもですね、親父も決して、返さないとは……」 

「民間において、帝国最強を謳われるセフィ・アークライト嬢をもってしても、捕獲が出来ないのだ。中々、難しいだろう」

「…………」


 あ、嫌な予感。

 どうにか、左腕を外そうとするも、ますます、強く抱き締められる。

 隣のお嬢からは微笑を浮かべ、視線をぶつけてくる。

 ……あれ? 俺、もしかして。


「父君から返して貰えないのならば、仕方ない。息子である、君に払って貰おう」

「お、お待ちをっ! で、あるならば、兄二人にもですね……」

「セフィ嬢からは『そっくりジャックに払わしてください』と」


 あねきぃぃぃぃぃぃ!!?!

 何故、どうして……い、いや。そ、そうかっ!

 きっ、とお嬢を睨み、耳元で呟く。


「(お前、姉貴に何を、何をっ!)」

「(簡単です。『貴女の御実家と、帝都。会いやすいのはどちらでしょうか? ジャックは、あれで責任感の強い人です。返し終わるまでは、戻らないでしょう。何時でも会いに来てもらって構いませんよ?』と)」 

「(おまっ、そ、それは汚いだろうがぁぁぁ。……つーか、よく、納得したな、あの人が)」

「(それも簡単です。貴方が全額を返しそびるまで、私との婚姻は無し、という条件にしましたから)」

「(お、おおぅ……)」


 確かに、姉貴なら呑むわな……うちの実家、遠いし。

 婚姻云々は、俺にとっても利が――ぞくり、と寒気。な、何だ?

 お嬢と侯爵の眼が爛々と光っている。


「しかし、だ。ジャック君。私は悪魔ではないのだよ。まして、身内に対しては。君に機会を与えよう」

「は、はい……?」

「そうですね。御父様は悪魔じゃありませんし、私は――むしろ、貴方にとっての天使です。さ、ジャック、この紙にサインをしてください」

「? な、何だよ」

「いいですから。貴方はサインさえしてくれればいいんです」

「?」


 いったい、何だってんだか。

 渡された用紙は白紙。

 何も書かれておらず、ただ、右下に線が書かれているだけ。ここに俺の名前を書けってか? 

 ―—怪しい。怪し過ぎる。


「あーあー。俺ってば、利き腕、怪我してて、書けないんですよねー。治ってから」

「なら、私が代筆してあげます。さ。左手でペンを持って」


「ジャック!!!!!」


 扉が開け放たれ、姉貴が飛び込んできた。

 何故か、双子も、きゃっきゃっ、と楽しそうにしながら、背中に抱き着いている。姉貴、チビッ子好きなんだよな。

 お嬢は「……ちっ、もう気付きましたか」と舌打ち。侯爵は苦笑し、俺に片目を瞑ってくる。あ、これって。

 近付いて来た姉貴とお嬢が相対。俺の腕を捕まえているのを見て、笑みが深まる。こ、こぇぇぇ。


「……エミリア、貴女、早速、約束を破ろうとしているわね?」

「何のことでしょう?」 

「その紙を貸しなさい」

「嫌です」

「貸して」

「い・や!」

「……うふ。あ~私、何だか、とっっても、運動したくなっちゃったわぁ」

「……ふふ、奇遇ですね。私もです」


「ま、待ったっ! 待ったっ!! 待ったぁぁ!!!」


 俺は勇気を振り絞り、二人の会話を遮った。双子が真似して「「まった、まった」」と叫んでいる。


「……姉貴も、その――エミリアも、止めろって。ホテルで、あれだけ暴れたろ?」

「ジャック、だけど、この泣き虫エミリアが」「泣き虫じゃありません」

「―—もし、喧嘩したら、俺は二度と、二人と喋らない!」

「「!?」」


 断言すると、姉貴とお嬢は部屋の隅っこへ行き、協議中。双子が寄ってきて、楽しそうに俺の左側に抱き着いて来る。はぁ、天使だわぁ。

 侯爵の笑い声が響く。


「どうやら、ジャック君の勝ちのようだ。今晩はこのへんで仕舞いとしよう」

「こ、侯爵、あの、親父の借金と、今回のホテルの件は……」

「無論――君に払ってもらうとも。なに、利子については君がこの屋敷にいる限り、免除しよう」

「っぐっ……分かりました……」


 親父、今度、会ったら、殺す……。

 二人は未だ、激論中。どうやら、夜はまだまだこれからか。

 こうして、俺の侯爵家逗留延長が決まったってわけだ。

 

 ―—後日、お嬢に再度、謎の白紙を渡されたんで、魔力を流してみた。


「……おい」

「さ、書いてください」

「…………いや、だから、こういうのは、本人同士の気持ちが」

「―—私は、ずっと、ずっと、想ってます。小さい時出会った、あの時から、ずっと、貴方だけを」

「? エミリア?」

「何でもありません。ジャック、結婚誓約書にサイン!」

「おう! ……って違うわっ!! エミリア、サイン!」

「はい、書きましたよ。貴方の番です」

「そこは、恥じらいを持ってくれっ!?」

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