第9話 約束

「う…………」


 俺は思わず口籠る。

 い、いやだって、い、幾ら何でも、皇女殿下に紅茶を淹れるって……最近、ようやくエミリアは褒めてくれるようになったとはいえ、そこまで自信があるわけじゃなし。

 姉貴? 

 あの人は、俺が作る物なら何でも『美味しい♪ 私の弟は天才ねっ!』だから、当てにならん。

 こんなことになるんだったら、もうちょい、ネイとムギ相手にでも毒見を重ねておくべき――少女の顔が近づき、俺の両頬に手を置く。


「きいてますかぁー?」

「き、聞いてます、聞いてます」

「…………む~」


 ぷくぅ、とロサナ様は頬を膨らました。

 それに合わせて、魔力がキラキラと輝く。


「……どうしてぇ、そんな口調なんですかぁ? 普通に喋ってくださいっ!」

「い、いや、そ、それは、さ、流石に……」

「少年、普段通りで構わないわよ。『アークライト』に何かを要求する程、私達は恩知らずじゃないし」

「セティさんの弟さんなら、私達にとっても弟さんみたいなものです」

「…………はぁ」


 メルタ様とヘルガ様がロサナ様を援護してくる。

 ……姉貴はともかくとして、うちの実家に天下の帝室が忖度するなんて、あり得ないと思うんだがなぁ。

 うち、何せ貧乏……手で目を覆う。

 嗚呼! どうして、俺はこんな所にいるんだか。

 …………親父、死すべし。

 目の前の皇女殿下が慌てる。


「! ど、どうしたんですかっ!? あ……も、もしかして、い、痛かったんですか?」

「違いま――こほん。違う違う。ちょっと、人生について思い悩んでいただけだって。や、約束のことなんだが……」

「あ! そ、そうでしたっ! 明日! 明日がいいですっ!! 世界で一番美味しくて、私がまだ飲んだことがない紅茶を淹れてくれるんですよね♪? 甘いお菓子付きで☆」

「!? ち、ちょっと、待」

「ほぉ……そうかそうか」「あら、ロサナ。いいわね♪」

「…………」


 退路が一瞬で断たれる。逃げ道無し。しかも、ハードルが上がった。

 俺は後方をちらり。

 

 ――飛び交う無数の魔法が次々と姉貴に直撃。


 が、無駄。

 埃を払いながら、姉貴は悠然と歩を進めている。

 エミリアが叫ぶ。


「こ、このっ! ど、どういう、頑丈さですかっ!? い、いい加減、帰ってくださいっ! ジャックは、私のなんですっ!! か・え・れーっ!!!」

「ふんっ! 甘いわねっ! その程度の魔法で、私のジャックに対する愛を止められるとでも? ああ~そうようねぇ~。貴女のジャックに対する想いって、その程度だものねぇぇ~。まぁ、姉の弟に対する想いに勝てる筈もないのだけれど。ほほほ」

「なぁっ!? …………セティさん、今、言ってはいけないことを言いましたね? あ、貴女の想いなんかに、わ、私の想いは、負けないっ!!!!!!」


 …………そっと、視線を外す。

 なお、周囲の人達は談笑しつつ、エミリアと姉貴の争いを見物中。

 帝国貴族と上級階級の胆力、怖い。

 いやまぁ、二人共、本気じゃないのは分かるが。

 俺は目の前の小悪魔皇女殿下に向き直る。


「え、えーっと……あ、あれだ! お、俺ってば、び、貧乏貴族でさ。き、今日は、お嬢様付きで皇宮に入れるけど、ほ、本来なら、入れない、っていうか」

「なら、私がロードランド侯爵家へ行きますっ!」

「待って! 俺はまだ命が惜しいのっ!!」


 思わず悲鳴をあげてしまう。

 すると、三人の皇女殿下は微笑。

 ……うわぁ。こ、この三人、こうして見ると姉妹だわ。

 ロサナ様が俺のポケットに手を入れ、ブローチを取り出した。


「お、おい」

「……私、母様のブローチまで渡して、約束しました。なのに守ってくれないんですか?」

「う……」


 悲しそうにロサナ様は俯き、ブローチを開けた。

 中には少女を抱きかかえる明るそうな女性。

 あ……そうか、そういうことか。ざ、罪悪感が。

 メルタ様とヘルガ様に両肩を叩かれる。


「少年。妹がここまで他者に興味を示すのは珍しいのよ?」

「私からもお願いします。ロサナとの約束、守ってくれませんか?」

「………………わ、分かりました。あ、明日、う、伺います……」


 俺は屈し、頷く。

 ロサナ様が満面の笑みを浮かべた。


「やったぁ♪ 私、男の人に紅茶を淹れてもらうの、初めてなんです」

「そ、そっか……い、言っとくけど、お、俺はまだ新米執事だからな? そ、そこまで、美味く淹れられるわけじゃないからな?」

「はい♪ それじゃ、明日、お待ちしてますね――ジャック・アークライト君☆ メルタ御姉様、ヘルガ御姉様、行きましょうっ! 御母様にお話しないと、ですっ!!」

「………………」


 だ・ま・さ・れ・た!

 両手で顔を覆い、さめざめ、と泣く。

 ……帝国の偉いとこの娘さんって、みんな、みんな、酷ぇ!

 メルタ様とヘルガ様の笑い声。


「ふふふ……お、面白いな、し、少年……」

「ぷふっ……セティさんの弟さんとは思えない程、素直で良い子ですね」

「うぅぅぅ……」


 恨めし気に呻いていると、再度、俺のポケットにロサナ様が手を入れた。

 輝くような笑み。舞い散る白光が眩い。


「明日、返しにきてください。待ってますから。日付が変わった後、ずーっとっ!」

「…………そこは、寝てくれ。ったく」

「わっ」


 ロサナ様の頭を軽く叩く。

 皇女殿下は驚いた表情をし――すぐに、相好を崩し、自分で頭を抱え込んだ。


「……えへへ♪ 初めて、男の子に叩かれちゃいました。せき」

「その続きは言わせんっ! 明日な、明日!」

「わっ、わっ!」


 今度は少女の頭を軽くかき乱し、話を打ち切る。

 メルタ様とヘルガ様は、そんな俺達の様子を楽しそうに眺め――ロサナ様の手を引き、離れて行った。嵐は去った。

 

 ……そう、一つ目の嵐は。

 

 俺は両眼を閉じ、息は深く吐き、両手を挙げる。


「まぁ、待とうぜ? 人は……話し合える生き物だと、俺は思うんだ」

「……へぇ? ジャック、どうやら、貴方には私の執事兼婚約者である自覚が足りていないようですね?」

「ジャック、お姉ちゃんと少しお話しましょう★」 


 ――この後のことは思い出したくない。人は忘れることが出来る生き物なのだ。

 まぁ、とりあえず明日は皇女殿下との『約束』を果たしに行かねぇと、な。

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