第6話 医務室

「あーこれはダメね。ひびが入ってるわ。そんなに酷くはないけど、固定して一ヶ月程度の安静が必要よ」

「…………は?」


 言われた意味が理解出来ず、目の前にいる白衣姿の先生を見つめる。ワタリ先生という名前だそうだ。

 南方系の血が混ざっているらしく、褐色色の肌。男子が憧れる究極装備の一つ、白衣を身に纏い、左手薬指には地味な指輪。

 人妻の色気漂う美貌と、スタイルとが相まって、いやもう、ほんと素晴らし――後方より、肌を刺す殺気+怒気。

 い、いけねぇ。これ以上の負傷は避けねぇと。

 ただでさえ、俺は今、心に大きな傷を負って……思い出すな。思い出すんじゃねぇ、ジャック・アークライト。あれはお前じゃない。お前じゃないんだっ。抱えられて空なんか飛んでない。そうだろ?

 ……ちょっとだけ、いい匂いがするなぁ、とか、やっぱりこいつも女の子なんだなぁ、柔らかい、なんて思ってない。思ってないんだっ!

 目を瞑り、心を落ち着かせる、よし。

 ワタリ先生へ質問する。


「えっと……治癒魔術とかで、あっさりと治ったりってしないんですか?」

「んー別に治してもいいけど」

「……こういう場合の治癒魔術って凄く痛いらしいわよ」

「……マジで?」


 振り返ると、お嬢様が俺を睨んでいた。だけど、瞳には微かな心配。

 嘘じゃなさそうだ。前に向き直ると、何故か苦笑。

 

「本当よ。それに魔術で治すとその部分が脆くなるの。治癒魔術って切り傷や裂傷にはとても効果があるんだけど、骨や内臓には少し使いにくいのよ」

「そう、ですか……」


 マジかぁぁぁ。

 まいった。これは本当にまいった。

 俺の利き腕は右手だ。つまり、これから約一ヶ月間、ノートも碌に取れないってことになる。ただでさえ、授業について行けるか不安だってのに……はぁ、どうしたもんかなぁ。

 後ろから、これみよがしな咳払い。


「こほん」

「……先生、どうにかなりませんかね? 利き腕が右なんで、動かせないと授業が。俺、今日、転入してきたばっかなんで、正直、不安が」

「こほん、こほん」 

「あらー? そうなの。それは大変ね。でも――ふふ、大丈夫じゃないかしら。ねぇ、そうでしょ、エミリア・ロードランドさん?」


 先生が楽しそうな笑みを浮かべて、俺じゃなくお嬢様に話を振った。

 何でじゃ。

 こいつが俺を助けてくれる筈――いやまぁ、ついさっき助けてもらったけども。

 あーまだ、礼を言ってねぇや。指で頬を掻き、再度、振り向いて頭を深々と下げる。驚く気配。


「!」

「悪い、さっきはほんと助かった。その……あんがとな」

「……べ、別に、その、助けたのは、いいわよ。だけど、編入初日から騒動に巻き込まれるなんて、まったくっ、もうっ! この事は、御父様に報告します」

「ま、待った! そ、そんな事になったら、俺はこの学院にいれなく――……あれ? いれなくていいんじゃね??」

「良くないでしょっ! 少しは自分の立場ってものを考えて行動を」

「はいはい、仲良しなのは分かったわー。でも、夫婦喧嘩はお家に帰ってからにしてね」


「「夫婦じゃないですっ!!」」


「ふふ、私と旦那様の若い頃を思い出すわー。取り合えず――ロードランドさん」

「はい」

「同じクラスなようだし、怪我が治るまで彼のお世話をしてあげて。利き腕が使えないのは不便だと思うから。担任はセラよね? 私からも伝えておくわ。ああ、後で学校側へ今日あったことの説明を要求されると思う。覚えておいて」


 おや?


「はい、分かりました。説明もちゃんとさせます。万事、お任せください」


 おやおや?

 左手を額にやり考える。何か今、よく分からないことが飛び交ってなかったか?? 

 お嬢様が覗き込んでくる。

 

「どうしたの? もしかして、腕以外も何処か痛めたの!?」

「ばっ、ち、ちげぇよ。いや、その」

「何よ」

「…………」


 こいつ、こうして見ると綺麗な顔してるんだよなぁ。本当に同じ人間か??

 妙に恥ずかしくなって、思わず目を逸らす。


「む、どうして目を見ないのよ! 言いたいことがあるんでしょ?」

「あーうーえー。何でもなーい、と思うぜ。うん」

「ほらっ! ちゃんと、こっちを向きなさいよぉ」

「ロードランドさん」


 先生がお嬢様の細い肩を掴み、少し離れてひそひそ。「いいー? あの年頃の男の子はちょっとだけ扱いが難しいの。押し過ぎても駄目よ」「……なるほど。では、どうすれば?」「こういうのはどうかしら?」「! で、でも、そんな、はしたなくありませんか?」……まったく、聞こえねぇ。だけど、取り合えず、良からぬ話なのは分かる。嫌な予感。

 暫くして、二人が戻って来た。

 お嬢様がジッと、見てくる。な、何だよ。


「……ねぇ」

「?」

「利き腕が使えないと、生活に支障があるのよね?」 

「え、あ、うん。まーな。でも」

「……転入初日で、右も左も分からないのに、あんたを放り出したせい、よね」

「! ち、ちげーよ。俺が後先考えず、馬鹿な喧嘩を吹っ掛けたせいだ。お前が気に病むことなんか」

「私は気にするのよ。ね、だから――」


 お嬢様が、左手を優しく両手で掴んできた。

 ……うぅ。


「怪我が治るまで、私に世話をさせて」 

「いや、でも」

「――お願いよ、ジャック」

「! …………授業のノートだけ、頼むわ」

「分かったわ。任せておいて」


 心からの笑顔。調子が狂う。

 またしても、二人が席から離れてこそこそ。「……先生、凄いです!」「ふふー。私の旦那様もああいう気がある人だったから」「また色々、教えてくださいますか?」「勿論」突然の握手……ゾクリ、と悪寒。か、風邪ひいたか?

 二人が戻って来た。


「それじゃ、お大事にね。ジャック君、あんまりお痛をして、を心配させないように!」

「は、はぁ。でも、こいつは俺の心配なんか」 

「んー???」

「…………ごめんなさい。以後、気を付けます、ハイ」

「素直でよろしいー」

「ほら、そろそろ行くわよ。午後も授業なんだから」

「はっ! そ、そうだったっ! もう、なんか帰るだけだと思ってたぜ。あ、昼飯食いそびれた……」


 意識したと同時に腹が鳴る。

 お嬢様が噴き出す。


「…………おい」

「だ、だって、あんた、何でそんな可愛らしい音なの、よ、くふっ」

「う、うっせぇ! 音の調整なんか、出来るかっ!!」

「仕方ないわね―—先生、セラ先生に御伝言願います。お昼を食べさせないといけないので、午後の授業、少し遅れます、と」

「! ち、ちょっと待」

「はいー。お腹減ってるのはダメだものね。伝えておくわ」

「ありがとうございます。さ、行きましょう♪」

「…………」


 幾ら俺でも、空腹には勝てねぇ。

 ――決してお嬢様に再び抱えられそうになったから、じゃない。いや、ほんとのほんとに。嘘じゃねぇって!

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