第4話:オフの過ごし方/その四

「あんっ!これはちょっと辛いですぅ。」


 いつもより上ずった声をあげて、チドリが身長ぐらいはあろうかと言う何か大きな物を背負っています。

 正確には、外観が巨大な玉こんにゃくそっくりの柔らかい質感そのままのオブジェクトで、接している面がめり込んでいる様子から、背負っているというよりへばり付いていると言った感じでしょうか。


 ここはいつものVRフィールド。

 チドリがお仕置きされているかといいますと、そうではなくこれも立派なお仕事。今日の主な目的である情報収集になります。


 チーフが持つコネクションや情報網を使って、クラッカーが使うウィルスやマルウェアなど日々新しく作られるクラッキングアプリを収集しており、その情報量はセキュリティ関連会社も一目置いているそうです。


 これらのアプリは、所持しているだけで罪に問われる物もありますが、ネットハウンドの特典アドバンテージの一つに研究目的での所持を条件付きで本人及びスタッフに認めており、マスターがネットハウンドの資格を取って一番チーフが喜んだ内容ではないでしょうか。


 チーフは収集してきたクラッキングアプリやウィルスなどのアプリを斑鳩の配下で実際に動かして、そのアプリの挙動や作られるデータの送信フォーマットなど一つひとつを斑鳩のデータベースに蓄積していきます。


 この様なアプリの検証を、チドリのコンピュータの中に検証用の環境を構築してアプリを動かしています。

 VirtualMachineと呼ばれる技術で、例えば事業級エンタープライズのコンピュータの中に仮想的に業務級ビジネスクラス個人使いパーソナルユースの環境が構築する事ができます。これにより、費用や構築工数、工期を抑えられるメリットがあり、広く使われています。


 戦略級ストラテジークラスのチドリには、チーフの努力で、事業級エンタープライズから個人使いパーソナルユースの様々な環境をVM環境下ですぐ使える様に用意しており、今日の様な検証をする際に呼び出す為のものになります。

 また、実際の仕事の場では、クライアントのコンピュータをコピーして肩代わりしたり、用意したVM環境を使って実在しないコンピュータを作って囮にしたりと、マスターも色々な手段で使われていらっしゃいます。


 今は個人使いパーソナルユースのコンピュータ環境下で検証をしていますので、チドリは頭一つ分低く身体のメリハリも少しおさえられたいつもと違うナビゲーターの姿をしております。

 衣装スーツも萌葱色の裾をミニ・スカートの様に限界まで短くした浴衣の様なデザインで、ライトな装いです。


 今回の巨大玉こんにゃくモドキは、人気のあるサポートAIのカスタマイズアプリの脆弱性をついた新種のマルウェア、つまりインセクトになります。

 すでにアプリの作成者は脆弱性について修正したバージョンを公開しているものの、使っている人はあまり脆弱性について重要視されてなくそこを狙って感染したと言う報告があがっています。

 チドリの声が上ずっているのも、実はこのアプリの効果で口調がカスタマイズされた影響だったりします。


 いつもこの様な作業は、マスターの自宅兼仕事場である4LDKの一室、仕事部屋で行われます。

 この部屋の片方の壁にそって、外部モニターで操作する机と書類、各種デバイスとそれを制御する接続装置が置かれる棚、そして最大の特徴は外部モニターの前に置かれている椅子とは別に、部屋の真ん中に高性能なワークチェアが一台だけ置かれています。

 マスターは通常VRフィールドで作業される際は、ヘッドマウントディスプレイを装着してこのワークチェアに座られます。場合によっては数時間座りっぱなしになるので、このワークチェアにはお金をかけているそうです。


 今日の様な二人で作業される際も、マスターは中央の椅子に座ってられますが、チーフは外部モニター用の椅子に座り予備のヘッドマウントディスプレイを利用されます。



「一応インストール警告は出るみたいだけど、そもそもこんな大きなサイズの時点でおかしいと気付くんじゃないのか?」

「それが、入れちゃうユーザーは入れちゃうンだよ。よし、次のバージョン切り替えようかねぇ。アスカ、次はリリースを一個あげよう。」

「はい、承りました。」

 検証をするAIナビゲーターのカスタマイズアプリのバージョンを変更すると、チドリにへばり付くインセクトがプルプル震えだし、ますます背負い辛くなってきました。


「つっ、つま先がつらいですぅ。」

 VRフィールドでオブジェクトの質量とか、AIの筋力とかのパラメーターはないのですが、確かに状態表示をみるとAIエンジンのメモリの喰いが著しい様です。


「次のサンプルは?」

「バージョンの数字が上がっているねぇ。内部プログラムが大幅に改修されているよ。よし、アスカ。次のバージョンに切り替えて。」

「承りました。」

 用意されている次のバージョンのサンプルを、チドリのVMマシンにセットします。


「「あっ!」」「おっ!」

 バージョンを差し替えた途端、チドリが背負っていたインセクトのこんにゃく色の外皮が、上からミカンの皮を剥く様な感じで剥がれ落ち、下で支えるチドリを覆い隠します。

 その途端、ズズンと音を立てて、そのインセクトはフィールドの地面に落下しました。


 もし、この玉こんにゃくモドキのクラッキングアプリが、コンピュータの破壊を目的としているならチドリを押し潰してしまうのでしょうが、目的はコンピュータの乗っ取り。外皮が剥けて現れた液体らしき物に満たされた透明な膜の中に、チドリは取り込まれてしまいました。


「がばっ!ごぼごぼ!」

 窒息する事は無いとは言え、正確に音声を表現する斑鳩。

「メッセージウィンドウをつかえ!」

 マスターの呼びかけは聞こえた様で、みんなが見える位置にウィンドウがポップします。


[>やだぁ?なにこれぇ?]

「アスカ、チドリの様子パラメータは?」

「モニターを見るか限りでは、チドリのAIプログラムには侵食はない様子です。」

[>絡みついて、気持ち悪いですぅ。]

 膜に満たされた液体は、粘性が高い様で動きずらそうです。


[>えっ?あっ?きゃ〜〜!見ないでぇ!]

 チドリが動く度に、溶けて千切れた衣装スーツの破片が液体の中に舞い、下から下着が見えてきました。


「これはえげつないねぇ」

 これはセキュリティレベルの格段の低下を起こしています。


[>もぅ〜、何なのよぅ。これぇ。]

 とうとう元衣装スーツだった切れ端で大事な部分を守るかの様に手で隠し、チドリは液体の中で丸まってしまいました。

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