第9話:コーヒータイム

 あの案件よりおよそ一か月後。

 

 眠気覚しのコーヒーを二人分入れながら、朝から訪問してきたチーフの話を聞いている。

 ここは自宅兼仕事場である4LDKのマンションのリビング。


 ハウンドの資格を取って以来、会社が用意したこのマンションで、仕事をする様になったのは、セキュリティの関係で、以前は毎日出勤していたオフィスには、月に数度しか顔を出さなくてよくなった。

 世の中には在宅勤務が珍しくない業種もあり、自分も業務連絡や打合せは、メッセージやVRフィールドでのミーティングで事が足りている。


 この様な環境の中、チーフはこのマンションにやって来る顔触れの一人だ。

 セキュリティ上、アクセス出来る場所が制限されている斑鳩のメンテナンスでやって来るついでに、情報交換をしている。


 向こうの都合や体調もあるのだろうが、ハウンドの案件が終わった後、正確には報告書を書き上げた頃に大概ひょっこりやってくる。

 今回も変な時間から開始した調査が手こずって、空が明るくなる頃にようやくWCSCへの報告書を書き上げた。その報告書を送信したのを見計らったかのようにやってきた。


 ちなみに奴は小柄の上に、オフィスではいつもダブダブの白衣をコートの様に羽織っているので分かりずらかったが、最初マンションに訪れた彼女を見て、白衣以外の私服が有ったのかと、当たり前ながら驚いた。

 ダブダブの白衣は、彼女のプロポーションを隠す為の物だったに違いないと思っている。


 コーヒーを淹れたマグカップをチーフに渡し、今回の案件の報告や、これからの予定を一通り話をしていると、

「そう言えば、この前キミが対応した商社だけど、臨時株主総会があって役員が一人解任された様だよ。」

「あ〜、『RAT』張り付けてたナビゲーターのオーナーかなぁ。」

「さぁ、それは知らない。」


『Marionnette-RAT』が張り付いてたナビゲーターつまりデイジーのあの後だが、昼食を後回しにして、デイジーをネットワークから切り離し隔離。あそこまで酷いとコンピュータとして使う事が出来ず、セオリーとは言えあの薄幸なナビゲーターは初期化されている可能性が高い。

 一方『DB-Aphid』だけだったクラリスは、腕の良い技術者によってクラッキングアプリは除去されて引き続き業務で使われ続けていた。

 ちなみにネットワークの調査については、案の定全端末をチェックする事になってしまい、報告書も含めてその週はかかりっきりになってしまった。

 デイジー以降は、何台かの個人使いパーソナルユースでグレーなアプリが有った程度で特に大掛かりな問題はなく、クラリスの案件以外はテンプレートで報告書が賄えたのはありがたかった。


「ちなみに解任理由は?」

「一応、一身上の理由ってコトになっている。まあ、程度の差があれ商社ってノは血が通ってない連中が多いからねぇ。当の役員は、権利争いの急先鋒だったり、天災にあった子会社の保険金を巻き上げた上にその会社を売り払ったり、色々やっているみたいだからねぇ。今回の失態も、擁護派は恨みとか失脚工作とかの線も視野に入れてた様だけど、第三者の外部機関からの報告書の内容が決め手になったみたいだよ。」

「おぉぃ、ユーザー特定しているじゃねぇか。」

「派閥のトップが業務中にエロ動画で失脚とは、脇が甘いねぇ。脇が甘いと言えば、この件のクラッカーも身柄を確保されたらしいよ。」

 天才変態天才変態同士の独自のネットワークがある様で、普通だと知らされない情報も持っている。

「おっ、アドレスからあの国だと思ったが、警察は仕事をしたか。」

「クラッカーもクラッカーで、素人丸出しだったからねぇ。バックも居なければ経験も無い相手を取り逃がしていたら、無能扱いされるよ。」

「バック無し?面白半分の愉快犯か。」

「それが、そうでもないみたいだね。どうやらネットで勧誘された様だねぇ。」

 と、手にしていたタブレットの画面を見せる。通信技術が発達しても文字で情報を残す手法は変わらない。タブレットには、ワールドワイドで使われているネット掲示板の一つの書き込みが表示されていた。

「これがその書き込み。『クラッキングのやり方を指南します。成功した場合はデータ買取り。』連絡先はもちろん捨てアカ。」

「じゃあ、依頼人は未だ不明か?」

「そうだね。後、問題なのはこの書き込みにどれだけの人が釣れたって事だねぇ。身柄確保されたクラッカーの話によれば、ターゲットサーチまで終わって侵入経路まで指南が入ってたらしいよ。」

「至れり尽くせりだな。依頼を受けた側もリスクを認識してないってか?で、WCSC様としては、どうするんだろう。」

「情報が少ない、と、言うか、依頼人が巧妙に立ち回っているので、尻尾が掴めないらしいよ。同様の案件が発生していないか引き続き注視する見たいだねぇ。」


 ジータに仕掛けていた時に、早期に決着つくか、トコトン時間がかかるかのどちらかかと思ったが、結果はどちらも当たった感じになった。しかし、当然の事ながら全然嬉しくない。

「なんか新しいアプローチだなぁ。依頼人のターゲットが複数なのか、あそこの会社を狙い撃ちなのか、それとも本当にその役員を陥れる為なのかますますわからん。まぁ、エロ動画の役員はとばっちりかもしれないけど、コンピュータをあんな扱いする輩は同情は出来ないね。」

 斑鳩によって、サポートAIを一人の人物として見るようになった影響かもしれない。

「それについては同感だが、そのおかげで私としては別に新しい事例の収穫が有ったので得をした感じだね。」


 話はこれでお終いとばかりに、マグカップを置いてリビングから抜け出そうとするチーフの腕を引き寄せる。

「キャンッ!」

 バランスを崩したチーフが、かわいい声を上げて床に置いているクッションの一つに倒れ込む。


 言っておくと、自分もまごうことなく健常ノーマルな成人男子であるので、ナビゲーターの感触が手に残る斑鳩の仕様はかなり精神にくる。

 チーフ変態に3次元未満の世界でのストレスを過去に鎮めて貰った事があったがそれ以来、なし崩しに始まったこの関係は何故か今も続いている。


「ちょっと待て、キミは今日はオフかもしれないが、私は2時間後にオフィスでミーティングが、あぁあんッッ!」

 体格差を最大限に利用して小柄なチーフを小脇に抱えて寝室に連行する。

 徹夜明けのおかしなテンションの男を甘く見たのが間違いだ。


 スケジュールがどうのと文句は言うものの、寝室への連行については文句は無いらしい。

 ただ最大の誤算は、事もあろうか行為の最中に、どうやら寝落ちしてしまった……。


 目覚めて時計を見たら、ガッツリ8時間寝ていたらしい。もちろん、チーフの姿はない。

 リビングのテーブルには、「バカタレ」と四文字書かれたメモと、ラップされた軽食が置かれていた。

 アスカに確認すると、いつも通り斑鳩のメンテナンスを行った後、チドリの回線を使ってVRでミーティングに参加して帰った様だ。

 空き時間に作ってくれたと思われるハムサンドにかぶりついたら、盛大に辛子が盛られていたのは、ベッドに連行した仕返しか寝落ちした抗議なのかはよくわからない。

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