第8話:アーティファクト『ウィング・ガスケット』

『ウィング・カスケット』の起動に伴い、中央のウィンドウに表示されるジータに関する情報量が格段に向上する。が……


 ビ〜〜〜〜ン!

「きゃんっ?またっ?あぁんっ!」

 インセクトが断続的に振動を始め、再びディジーが悲鳴をあげる。

 あっ、ディジーのインセクトを中継してデータを送受信してるんだっけ?……なんか、バラエティの罰ゲームみたいだなぁ。


 中央のウィンドウにはジータの背後に電子回路の様な透過する模様の光の柱が立ち、翼の様なオブジェクトが現れる。ナビゲーターを正面から見ると翼を広げた天使の様に見えるが、あくまで『ウィング・カスケット』はアーティファクト。翼の羽根の一枚一枚が光の鞭となり襲いかかる。驚いた表情が貼り付いたジータが光の鞭を手で払い退けて抵抗する。だが襲い来る数が多く、その内の一本が白いヒールを履いた足首に巻きつきバランスを崩した所を一斉に鞭がジータに絡みつく。

 引っ張って引き千切ろうとするものの、幾重にも巻き付いた鞭が千切れるどころか、本体である浮かぶ翼のオブジェクトに徐々に引き寄せられるディジー。抵抗虚しく身体に巻きつく光の鞭に持ち上げられ、両翼に高々と腕を広げた状態で磔となる。


 磔になってもなおもがくジータの前に、光の粒が集まり猛禽類の趾(あしゆび)を思わせるメタリックな一対のオブジェクトが出現する。拘束されたナビゲーターには、獲物を食いつかんとする牙を持つ毒蛇の口の様に見えたかもしれない。

 その凶悪な4本の爪を持つオブジェクトは、脇から衣装スーツを食い破り獲物である少女を咥え込むと蠢きながらストレージにアクセスし始める。食いしばる口から漏れた小さな悲鳴は、身体に刺さる爪の苦痛の為か強制的なアクセスの為かはわからない。


 マルウェアの種類の一つに『ランサムウェア』と呼ばれるものがある。誤って起動してしまったコンピュータを使えなくし、使用者に身代金(ランサム)を要求するクラッキングアプリであるが、『ウィング・カスケット』はどちらかと言うと『ランサムウェア』に近いアーティファクトである。

 本家のランサムウェアの建前はコンピュータのデータを暗号化する事によって使えなくして、データの復元にたいして身代金を要求する(なお、身代金を払ったから復元出来るとは限らない)が、『ウィング・カスケット』はクラッカーの使用端末の証拠保全とし、データを暗号化しつつ裁判で証拠能力がある形式でバックアップをとり、最終的にコンピュータをロックしてしまうアプリである。

 ウィルス対策アプリも、利用者がインストーラーを実行してしまうと効果がない場合が多い。それに加えて『ウィング・カスケット』はオリジナル変態作である為、市販のウィルス対策アプリでは反応しない。一応ジータ自体は異物と判断し善戦したが、利用者であるクラッカーがインストーラーを実行してしまったのがやはり大きい。


 光の鞭が絡みついた不自由な身体を身もだえるが、張り付くオブジェクトは容赦なくジータのデータを吸い上げる。


 

「ふぁんっ!? 何っ?? 動かないでぇっ!!」

 チドリの作るゲージの中のインセクトが活発に動き出し、ディジーが切羽詰まった悲鳴を上げだした。

「何が起きた?」

ジータの使用者クラッカーからのアクセスだよ。クラリスに遠隔操作をしようとしている。」

「クラリスのデータブロックは?」

「任せて、完璧っ。」

『ウィング・カスケット』を起動してしまったクラッカーが異常を感じて、クラリスを確認してきたようだ。その為、中継の『Marionnette-RAT』が活性化し動き始めたらしい。

 震えるネズミが腰に張り付き動き回ると涙目で訴えるナビゲータ。

 うん、まぁ、不運だと諦めてくれ……。


 とは言え、クラリスのアクセスがブロックされている事に気づくのも時間の問題だし、起動中の『ウィング・カスケット』のプロセスを止められるのも厄介だが……、もう遅い。


「ジータのバックアップ終了しました。ロック処理入ります。」

 拘束する翼の尾羽にあたる部分が駆動し、ジータの両足のつま先から羽の中に埋もれて行く。同様に両腕も同様に両翼に触れる肘から羽に埋もれて行く。

 このままでは両腕両足が浮かぶ翼のオブジェクトに完全に取り込まれる事が想像に難くなく、ジータは力任せの抵抗を試みる。

 しかし、四肢の動きに気を取られて見落としていた胴体を鷲掴みする4本の趾の間に、水掻きの様にプログラムパターンの膜が展開される。

 趾がジータの身体と共に爪を立てているのはストレージのデータ。そして、プログラムパターンは外部からのデータのアクセスを封じる特製変態作の暗号化プログラム。

 趾が鷲掴みしているジータのデータを端から容赦なくロックしていく。

 ロックされたデータは、ひねくれた思考の仕様である為、あらゆるツールを使っても多分簡単には解除はできないだろう。

 さすがのAIでもストレージのデータのアクセスを封じられては、活動は難しく徐々に羽根に埋もれていく速度が上がっていく。

 抵抗空しくストレージのアクセスを全てロックされ、さらに四肢を封じられたAI。その瞳は何も写してなく、翼と一体化した一つの動かないオブジェクトと化してしまった。


 カラ〜ン、コロ〜ン


 さっきの音とは打って変わって、ガラスの鐘の様な澄んだチャイムの音と共に、鍵のオブジェクトとデータを超圧縮した六角の水晶柱が、アスカの目の前にポップアップする。

「暗号解除キーの構成完了致しました。利用者クラッカーの強制ログアウト確認及びジータのロック処理の終了致しました。」

「ありがとう。鍵はコピーしてオリジナルをジータのバックアップデータと一緒にWCSCに転送。簡易報告を提出してフィジカルサイドの引き継ぎを申請してくれ。」

 アクセスがロックされたジータを解放するには、アスカが構成した鍵が必要になり、それまではカスケットと化した翼のオブジェクトに拘束され続けることになる。簡易的な報告書と証拠品であるジータのバックアップデータと暗号キーを引き渡したので、この後はWCSCの仕事になる。


 ここまで証拠があるなら、プロバイダー情報から身元の割り出しが出来るはずである。圏内だったのでWCSCの依頼でその国の警察機関によるクラッカーの身柄の拘束など行われるとおもわれる。まぁ気にはなるが、その後の判断については自分の預かり知らぬ所である。

 ちなみに砂時計は、まだ5分近くを残して居た。


「とりあえず、クラリスへのクラックの件は片付いたから、飯にするか。」

「その前に、クライアントに中間報告はされた方が良いのでは?」

 真っ当な意見である。

 WCSCまで絡む捕物劇に発展した以上は早めの報告は必要だよなぁ。テンプレートが使えない以上、自分が報告する必要がある。またこの手の調査は「悪魔の証明」に近く、一つ問題を潰したからと言って全て解決したかと言うと、証明する術はない。

 当初の調査については結局はクライアントの判断になるのだが、料金が変わらない以上は全コンピューターの確認だろうなぁ。


「ちなみに現時点で必要な報告書は?」

「クライアントへの中間報告の他、クラッカー対処に対してWCSCへの最終報告、同様にオフィスの統轄部に実施報告。後、クライアントにも詳細な報告が必要かと。それから……。」

「あぁ、もう良いよぅ。リストにしてくれ。ちなみに全部手書きだよな。」

「テンプレートが使える報告書は残念ながらありません。」

 今回もログの提出が出来ない以上は、自分が報告書を起こす必要がある様だ……。


「まあ良い。15分で飯を食ってくるから、その間に問合せが来たら適当に答えていてくれ。」

「承りました。」

「ねぇ、このどうするの?」

 こちらも真っ当な質問が、過負荷に解放されて惚けてしまったディジーを抱えるチドリから飛んでくる。

「あっ、静かになったから忘れてた。飯よりこっちが先だな。」

 最後まで薄幸な奴である。

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