第7話:泣き女(バンシー)

「申請書を作成いたしましたが、如何なさいます?」

「ありがとう。だが、チーフの帰りをちょっと待とう。」

 指示をしたD様式の申請が出来たようだが、クライアントに作戦の協力を断られる可能性もある。


「承りました。後、『コイル・ミミック』は、後5分少々でセット完了致します。」

「了解。どちらにせよ、チーフが帰ってからだから、それまでに間に合っていれば大丈夫だ。」


 さて、チーフの交渉の方だが、クラッカーも最終目的が判らないものの、データを漏えいさせる事を目的としている以上、例え一旦攻撃引いたとしても脆弱性に関する対策が整うまで、継続して攻撃が続く可能性が高い。

 自分達が付きっきりで対応するのもありだが、“Hermit's Lamp”社はボランティア活動をしている訳では無いので、決して安くない対価を取る必要があるし、社としても虎の子のハウンドを専属でつける事は出来ない。


 そもそもハウンドが関与出来るのはWCSCに加盟しているエリアのサイバーネット上、しかも捜査のみである。

 実際には、捜査の名の下でクラッカーを無力化する権限を持つが、必ずしもクラッカーを特定するまで追跡する必要はない事は、WCSCは認めている。


 クライアントがクラッカーの特定まで依頼するならともかく、今回攻撃しているクラッカーの手口は巧妙なので、引き際もわきまえているはず。ハウンドが対応していると察知すると、痕跡も残さず撤退するはずだ。


 その様な理由で、クライアントには短期決着型プランの提案をしたのだが、問題はまた一時的に決済システムが停止してしまうのを、受け入れてもらえるかだ。



 思ったより時間がかかって、モノリスが復帰する。


「おかえり。時間かかったね。どうだった?」

「プランは受け入れてもらえたよ。システムの停止で向こうの法務が、損失だ補償だと騒いでいたけど、ウチのマーちゃんと先方のシステム担当の責任者が黙らせてくれたよ。」


 ちなみに『マーちゃん』とは、“Hermit's Lamp”の営業で、いい歳をしたおっさんである。

「それで時間掛かったか。よし、アスカ、ハウンドの申請書を送信をよろしく。」

「承りました。」


「じゃあ、承認の返信待ちだねぇ。だけど、時間がかかったのは、クライアントの法務が原因じゃないよ。ゴネたけど向こうの責任者とマーちゃんとで瞬殺。時間かかったのは、クライアントのシステム担当の何人かが、オカルト体験をしたらしくパニックになってたよ。」

「あ゛っ!」

「ちょっと気になって居たけど、キミが集中してたからねぇ。コンピュータの音声出力から、女のすすり泣きが再生されたそうだよ。」

 集中し過ぎてあまり深くは考えなかったが、ちょっとやらかしてしまったかも……


「噂の泣き女バンシーが出たと大騒ぎになって、私一人では収拾がつかないからねぇ。ちょうど当番で連絡が取れたマーちゃんにも出張ってもらった訳だよ。」


 最近サイバーネットで『サイバーネットには、泣き女バンシーを伴った“墓場の番犬チャーチ・グリム”がいる。』と、言うオカルトネタがある。


 なんでも、クラッキング中にコンピュータのサポートAIの反応が無くなったと同時にくサウンドから女のすすり泣きが再生される怪現象が発生するらしい。さらにその泣き声を聞いた人は死者の列に迎え入れられると言う内容だ。

 サポートAIが使えなくなるのは良く聞く話だが、すすり泣きについては理由がつかないということだが、まぁ、サイバーネットによくある、都市伝説の一つに過ぎない。そう、都市伝説だ。


「まぁ、そう言う訳で時間がかかった訳だよ。」

「そっ、それは申し訳無かったですな。」


 事態の収拾にマーちゃんが出たのなら、後でお礼をしておかないとな。


「で、ベガはどうだい。」

「まだ、放心中。」

 チーフの問いに、ベガを抱えたままのチドリが答える。


「あそこまで徹底的に弄り倒されてはねぇ。さすがのAIでも処理停止まで、追い込まれてしまうよ。キミは集中してアッチの世界に行っていたみたいだから気づいてないと思うが、正に鬼の所業って感じだったねぇ。」

「そうですね。正に“おっぱい職人”でした。」

 チーフに相づちを打つチドリ。


「胸を揉む手つきというか、テクニックというか、管理者権限を持っているキミの手を振り払う事も出来ないベガの懇願だろうが、泣き喚こうが耳を貸さず淡々と追い込んでいくのは、正に職人だねぇ。最後にはベガが痙攣しかしなくなった時は、止めた方が良いかと思ったけど、さすがは“おっぱい職人”。きちんと仕事をしますなぁ。」

 やり過ぎたのは確かだが、好き勝手言うチーフ。

 見てろ、今度泣かせちゃる。


 ♪ポンポラポンポンポン


 そうこう話をしている内に、蝋で封をした古めかしい封筒の形をしたオブジェクトが、間抜けなチャイムとともに自分の手元にポップアップする。


「お話の途中ですが、WCSCのジャッジメントからの送信を確認しました。」

 いつでも終わって良いお話です。

 アスカが確認したオブジェクトの送信元を報告する。承認審査が終わったようだ。


「なぁ、これだけど……」

 宙に浮く封筒状のオブジェクトの封蝋部分に自分の親指を押し当てるながら、前々から言いたかった仕様の改修を開発者チーフに直接物申そうとする。


「キミが言いたい事は推察出来るが、私とは短くもない付き合いだ。私がなんと返事をするか推察出来るのではないかい?」

 チーフがどの様な返事をするかは10通り以上想像出来るが、返事の内容はいずれも一緒である。


 自分の生体認証を元に暗号の解除がされた封筒のオブジェクトは、封蝋の部分からキューブ状の光に分割し、電子認証パターンの透かしがバックに表示された一枚のウィンドウと、淡いライトグリーンの液体が満たされ静かに時を刻む一つの砂時計に組み変わる。

「認証パターン一致。令状を確認しました。」


「はぁ、りょ〜かい。」

 ため息とともに、どちらに答えたかわからない返事をする。とりあえず、準備が整った。


「よし、アンカーをフェノンに変更。ベガは寝かせておいてくれ。」

 フィールド中央にチドリとお揃いの髪型のナビゲーターが現れると共に、アルタイルの横にベガが同じ長椅子に寝かされる。


「『コイル・ミミック』の準備は出来てるよ。」

 フェノンと名付けた、デネブのコンピュータのコピーは、チドリと同じ口調で返答をする。


 デネブと同じフェノンの衣装スーツは、ベガやアルタイルと同じベストを模した長めのタイトスカートと一体化したワンピースだが、予備機扱いの為かスリットが短めでブラウスもノースリーブではなく半袖と若干違っている。

 そして、フェノンとデネブ違いが、衣装スーツのカラーリングで、アクセントに赤いラインが入ったダークパープルのデネブに対して、チドリの仮想マシン上で動いているフェノンはチドリと同じ浅葱色のグラデーションのデザインだ。


 チドリのAI上の自我は、今はフェノンに移している様で、自分が指示しない限りフェノンで対応する様だ。自分としても、そちらの方が都合が良さそうなので続行させる。


「相変わらず、尻を触りに来ているか?」

「嫌だなぁ、もぅ。言い方がオヤジ。間隔がランダムだけど、定期的にきてます。」

「よし、8分後の午前1時30分に開始する。今使っているスペックの70%まで一気に出力を落とせ。以降1分毎に1%づつ擬似的にスペックを落としていってくれ。システム停止に近づいたら教えてくれ。」


 システムによっては、深夜などあまり使われない時間帯に、1日のまとめの処理やバックアップを設定する。管理上12時ちょうどや1時ちょうどなど、キリが良い時間にスケジュールする事が多い。


 この夜間処理を開始すると、そちらの処理にコンピュータのリソースが取られ動作が遅くなるので、今回はそれに擬装してワザとスペックを落としいく手順を取る。

 自分の見立てだと、スペックの60%を切ったあたりで限界が来るのでは無いかと思っている。


「フェノンのスペック状態をウィンドウ表示します。」

 アスカの操作で全員が見える位置にフェノンのスペック状態の他、ベンチマーク、DoS攻撃の状態、そしてクラッカーからと思われるポートスキャンの過去履歴一覧など、必要と思われる情報が表示された新しいウィンドウがポップする。

 この辺のアスカの有能さは、コンピュータのスペックなのだろうか、それとも蓄積した経験値なんだろうか。


「そろそろ、1時半だね。10秒前。5、4、3、2、1、ゼロ!スペック70%まで抑制。」

 スペック状態のウィンドウに表示しているベンチマークのグラフが、目に見えてスコアを落としていく。

「以後、1分毎に1%づつ擬似的に抑制していきます。」

 DoS攻撃をまだ受けている最中。10分後には、見た目にはベガやアルタイルの様に、処理が滞って来るはずだ。


 開始して15分後、思ったよりねばったが、55%の所でベンチマークの値が壊滅的な数値を表示する。

「システム停止しっっ、ひゃっんっ!今、触られました。」


「よし!段階的な抑制を停止。以外と早くかかるかもしれない。喰いつき次第、釣り上げるぞ。」

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