忘備録.1

第1話:オフの過ごし方/その一

「アスカ!後何分だ?」

「残り1分27秒になります。ザルのご用意を。」

「了解。」


 何をしているかといいますと、パスタを茹でているマスターのキッチンタイマー代わりをしています。


 申し遅れました。

 私、コンピュータ名『HLTST-ICL』のサポートAI、アスカと申します。

 ムラサキ技研の筐体をベースに、OSはオープンソースのThorOSトールのエディションE、通称事業級エンタープライズと呼ばれるクラスのコンピュータになります。

 私が搭載しています筐体については、元々斑鳩をテストする為に構築した検証機扱いだった為、稼働当初はムラサキ技研のマザーボードをベースにゴコイチで構成されていて、新品はストレージとケーブルのみで作られたと聞いています。


 近年リリースされる全てOSにはサポートAIが標準で搭載される事により、ユーザーの音声のみでコンピュータを操作する事が可能で、コンピュータの設定からネット検索、簡単な資料の作成などの行う能力を持っております。

 そのサポートAIであります私が管理しますコンピュータには、コンピュータの管理アプリ『斑鳩』がインストールされております。

 この『斑鳩』は、同じサポートAIを女性のキャラクターとして表示する事でコンピュータを管理するアプリで、、もう一人の管理者であるチーフによって開発されました。



「チーフよりメッセージ、駅に着いたって。」

「了解。後5分くらいか?遅れたら先に食べてたのにな。」

 チーフに対して結構きついことを言い合うマスターですが、多分チーフが遅れたら遅れたで待っていたと思います。

 チーフからのメッセージを告げた彼女は、マスターが扱う二台コンピュータの内、私ともう一台のサポートAIであるチドリになります。


 彼女が構築された経緯は、案件対応の作戦上どうしても二台目のコンピュータが必要となり、私の筐体のスペックの一部を使ってマルチ起動する様に設計されました。

 人で例えますと、彼女とは血を分けた姉妹になるのでしょうか。

 構築時に私の筐体から分ける事が出来たのは、個人使いパーソナルユースのスペック程度ですが、今ではクラスタ構成によって、世界に3,000台も稼働していない戦略級ストラテジークラスのコンピュータの一台で、マスターのお仕事では主力を担っています。


「マスター、時間です。」

「O.K.ありがとう。」

 パスタの茹で時間をお知らせしますと、マスターは鍋のパスタを手早く湯切りをして、先に炒めておいたフライパンの食材と絡めていきます。


 ちなみにVRフィールド電脳空間の住人である私達が現実世界リアルワールドのマスター方とお話し出来るのは、リビングキッチンのホロビジョンに入出力をリンクして居る為で、この4LDKのマンションの何部屋かに同様のデバイスが用意されています。


「マスター、チーフが一階のエントランスに到着されました。」

「ありがとう。開けてくれ。」

 ちなみに私は、この家のホームセキュリティシステムも兼ねております。


 今日はマスターは特別なインシデントが無い限り呼び出し優先が低いオフの日に当たります。

 ただし、完全オフでは無い為に、規定時間までは自宅待機になりますが、この様な日はチーフと自宅で打合せをする予定を入れる事が多く、今日も昼食後に斑鳩でシュミレートをする予定になっております。


 広域情報通信網をサイバーネットと呼ぶ様になった頃には、業種によっては在宅勤務が一般になってきました。

 タイムラグなしで大容量データを送れる様になった現行規格のネットワークによる恩恵の一つになります。


 ただ、マスターが自宅で仕事をされるのは、セキュリティ上の観点からになり、マスターもその一人であるネットハウンドの有資格者は、クラッカーや犯罪者からの報復や、他社からの引き抜きを避ける為、通常ハウンド個人に関する情報は伏せられます。

 マスターが勤務していますシステム監視サービス会社“Hermit's Lamp”社は、直接雇用しているマスターの他、マネジメント会社を介して3名のハウンドと契約を結んでいるそうですが、ハウンド個人の情報はわかりません。


 まぁ、マスターについては“Hermit's Lamp”社のシステム管理者からハウンドになった少々特殊な経歴の為、会社の古参の方々には個人情報がダダ漏れという状態がありますが、“Hermit's Lamp”社の規模の会社でハウンドを直接雇用している会社は珍しい部類に入ります。


 この様にハウンドになった事によって、月に数度しかオフィスに顔を出さなくなったマスターと情報共有する為に訪問する方の一人が、チーフになります。

 開発部の責任者の一人であるチーフの目的はマスターとの情報共有だけでなく、直接の操作がマスターの自宅とオフィスなどに制限されている私やチドリ、斑鳩のメンテナンスを行う事も含まれます。

 “Hermit's Lamp”社で、事業級エンタープライズ戦略級ストラテジークラスの2台の高スペックのコンピューターをマスター個人のコンピューターみたいに扱うことに対して問題にならないのは、斑鳩が他の方が扱えない事が最たる理由で、むしろその事で哀れんで居るとの話も聞きます。


 ♪ピンポ〜ン

「は〜い、お待ち下さい。今解錠致します。」

 チーフがいらっしゃった様です。

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