第6話:申請書送信

WorldWCyberCSpaceSCourtC(世界電脳空間裁判所)』

 ネットワークを介した国を跨ぐ犯罪増加の問題対応の為、発足した司法組織で、実用化されていないネットダイブなど複雑化するネットワーク技術の発達を意識した名称を持っている。

 WCSCはサイバーネットに限定した犯罪のみと扱うなどと効力範囲が限られるが、加盟する国に働きかける権限を持っており、訴えに対して加盟国の政府機関に要請をして対応する。なお、警察権は持っておらず各国の警察組織の権限もって逮捕などを執行するのだが、一般的にはWCSCがネット犯罪の対応をしていると言う認識だ。


 一方、捜査権についてはWCSC独自に技術者を擁しサイバーネットによる犯罪に対応しているが、絶対数が足らない為に民間の電脳技師ウィザードに協力を要請する資格制度を打ち出した。それが“ネットハウンド”である。


 ネットハウンドの資格はその技術者の知識や経歴などの審査を経て発行され、有資格者はWCSCに対してクラッカーへの捜査令状を請求する事ができる。ハウンドにWCSCから発布される捜査令状は、ネットからのアプローチに限定されるが、クラッカーに対する捜査、つまり実質の攻撃を公的に認めるものである。その為、ハウンドの資格を持つ電脳技師ウィザードはネット関連企業だけでなく、大企業や警察などの政府機関も要員を確保している。

 なお、ネットハウンドの活動には様々な制約と、逆に特典アドバンテージが与えられる。

 制約については、前述のネットからのアプローチしか認められない他、得られる特典アドバンテージに時間制限がある点。捜査令状が有効と同時にWCSCのサイト上に内容が公開される点などがある。

 また、ハウンドが捜査に利用するアプリについても登録制で、WCSCに申請し審査されたものしか使えず、捜査で登録したアプリ以外を利用した場合、ペナルティーが科せられる。このWCSCに登録されたアプリの事を電脳技師ウィザードが利用する道具にちなんで『アーティファクト魔法の道具』と呼ばれる。

 ちなみにアスカやチドリを擬人化処理する『斑鳩』も登録を行なっており、アーティファクトの一つに挙げられる。


「調査結果を元にB様式申請書を作成しました。法務に送信致します。」

 WCSCに令状を発布してもらう為に提出する申請書の面倒な作成とややこしい手続きを、アスカと法務の担当者に丸投げして令状が届くのを待つ。とは言え、法務担当も目検程度で定形化された申請手続きをサポートAIに任せているだろうし、WCSCに至っては申請の審査は大掛かりなシステムが24時間稼働しており、通常5分もかからずに令状が手元に届く。


 ♪ポンポラポンポンポン

 相変わらず力が入らない様子のディジーをチドリがホールドしている事を視界の端で確認しつつ、次の手順を二人のナビゲーターに指示を出そうとした瞬間、間抜けなチャイムの音と同時に、蝋で封をした古めかしい封筒の形をしたオブジェクトが自分の手元にポップアップする。


「WCSCのジャッジメントからの送信を確認しました。」

 アスカが偽装されてないかオブジェクトの送信元を確認する。WCSCで稼働するシステムは、タロットカードから命名されてるらしい。法務担当が目検をしているかの疑問は残るが、WCSCは処理は早い。


「しかし、その気が抜ける着信音とこの大仰な仕様はなんとかならないのかね。」

 開発者変態の仕様に文句を言いながら、宙に浮く封筒状のオブジェクトの封蝋部分に自分の親指を押し当てる。暗号化されたWCSCからの文書を読むには生体認証による復号化処理が必要である。まだ一般的ではない生体認証デバイスを搭載しログインに使用しているアスカならモーション不要で開封できるはずだが、なぜか斑鳩では封に親指を当てるモーションを要求してくる。

「マスターがそう仰るので先月のメンテナンスの際、チーフにお伺いしたら、『私の趣味。諦めて付き合え。』だそうです。」

「……あ〜、さいですか。」

 他にも無駄と思えるモーションを斑鳩は要求してくるから、おかしいと思ったんだよね。


 暗号の解除が終わり指を押し当てた封蝋からキューブ状の光に分割した封筒は、電子認証パターンの透かしがバックに表示された一枚のウィンドウと、淡いライトグリーンの液体が満たされ静かに時を刻む一つの砂時計に組み変わる。

「認証パターン一致。令状を確認しました。」

「よし、了解!」

 ここからは時間との勝負である。


 捜査執行のトリガーとなる砂時計を掴んでひっくり返す。この瞬間、WCSCに執行開始の情報が送信され、今頃専用サイトに内容が公表されているであろう。

 捜査執行によって利用できる特典アドバンテージの有効時間が斑鳩では砂時計で表示される。執行開始と同時に上の菅にブルーのドットに満たされた砂時計と、その上に新たにポップアップしたデジタル表示が30分の時を刻み出す。


「ディジーの『RAT』を逆に利用して、クラッカーに反撃する。マーカーパケットを使って追跡する。」

「了解!」「承りました。」

 クラッカーはディジーの『Marionnette-RAT』を経由して、クラリスにクラッキングをしかける過程で双方向に通信が発生しているはずである。その『Marionnette-RAT』からクラッカーへ送信されるパケットを追跡すればクラッカーへたどり着くはずだ。

 ここでネットハウンドの特典アドバンテージの一つが有効になる。


 7年前に現行規格ベースとなる超高速通信を導入する際に、WCSCの要請に応じた大手通信機器メーカー5社が中心になって、ネットワークの結び目にあたる機器の通信データ、いわゆるパケット情報をリアルタイムで見る事が出来る機能が実装された。“パケットビューイング”と呼ばれるその仕様については、秘匿が常としたネットを飛び交うパケット情報の開示に、世論を含めて難色示したが、パケット情報の閲覧がネットハウンドからの一つの申請に対して30分と時間を限定した事によって決着が着いた。もちろんWCSCに協力しないメーカーや国も多数存在し、また旧規格の通信機器も現役で稼働している為、サイバーネット上の全パケットを閲覧出来る訳ではないが、今ではネットハウンドはサイバーネットの約40パーセントの機器から情報を取得する事ができ、捜査活動に対して成果をあげている。

 とは言え、クラッカー側から送信されるパケットは大抵は偽装されている事と、情報がリアルタイムでしか取れない事、そしてサイバーネット上を飛び交うパケットは膨大で、目的の一つのパケットを探し出す事は、砂漠から目的の砂つぶを探し出すのと同じ位困難である為、実際のところパケットの送信元の特定に関してあまり使い勝手は良くない。その使い勝手の悪さをネットハウンドがそれぞれ工夫をして補っている。

 その一つで最も使われているのが、『マーカーパケット』による追跡トレースである。これはクラッキング対象のコンピューターからクラッカーへ送信されるパケットを追跡する方法である。


「『Marionnette-RAT』仕様にしたマーカーを作成しました。」

 不自然にならない様に、パケットの偽装カスタマイズは必要である。これをディジー経由で送信するのだが、

「チドリ、行けるか?」

追跡トレースを含めて、準備は出来てるよ。」

「よし、マーカー送信。3秒毎を1分間送信。解析の都度再送信。」

「了解!」

 チドリは、ディジーに張り付くインセクトに手をかざすと魔方陣の様なプログラムパターンを展開。プログラムパターンはインセクトを囲むゲージの様になり、一定のリズムで明滅する。

「くぁっ!あっ!いっ!あっ!……」

 プログラムパターンからのパケットをインセクトが受け取る度に蠢くので、ディジーは詰まった様な声を上げる。チドリから送り込まれたマーカーパケットは、ディジーを通じてクラッカーに送信されていく。

 クラッキングする対象のコンピュータと通信する際に、クラッカーは追跡を避ける為様々な対策をとる。良く使われるのは、ディジーの様な不正に遠隔操作できるマルウェアに感染した別のコンピュータを複数中継したり、プロキシと呼ばれるシステムを中継したりする方法だ。ただこの方法を取ったとしても、パケットの中に格納されているデータの情報は大抵変わらない。マーカーパケットは、その変わらない情報をマーカーにしてパケットビューイング機能で追跡する方法である。

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