第3話 デイモス
※前回のあらすじ
禁術『森の王』の発動を阻止するため、前川みさきにもう一度会うため、九凪皆は桐生ビルへと足を踏み入れる。
待っていたのは
規格外の化け物を相手にしても九凪皆は一歩も引かず、次第に追い詰めていく。
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九凪皆の深層心理に存在する『斬られるかもしれない』という恐怖から生み出された幻影。
それを、否定する。
九凪皆は両手を大きく左右に広げて能力を発動した。
九凪皆が持つ絶対の盾。
自分から半径数メートルの範囲の界力の動きを固定化させる。以後、如何なる界力術が襲ってこようとも、それが界力を使って生み出されたものである限り、九凪皆の領域の中には一切干渉する事ができない。
九凪を中心にして展開される半球状の白い光が、シャボン玉を膨らませるように体積を増やしていく。その輪郭は、まるで炎のように揺らめいていた。
そこへ、上空から無数の切っ先が激突していく。
だが、九凪へは届かない。
全ての太刀が白い光に触れた瞬間から、まるで木刀が工業機械で先端から鑢で削られていくように霧散していく。
九凪は
だが、遅い。
元々、肉弾戦は得意ではないのかもしれない。それでも問題がなかったのだろう。なにせ、今までは接近戦になる前に一方的に相手を蹂躙できたのだから。
迫り来る九凪に対し、青年は背を向けて広いフロア内を疾走する。だが突如として、方向を変える。逃走ではなく、反撃に出るのだろうか。動きに違和感を覚えた九凪は凝視してみるが、そこには壁際に
九凪の方へ向き直った夢の使者が鈴を鳴らし、太刀を振るった。
ザザザザザザザザザザザッッ!!!!!! と。
九凪の足下から黒い太刀が天を衝くように屹立する。一瞬にして、辺り一帯が竹林のように黒い刃に塗り潰される。
しかし、九凪には刺さらない。展開した白い光に触れた途端、足下から伸びた黒い太刀は霧散していった。そのままの勢いで九凪は青年へと肉薄する。
懐に潜り込まれた青年は何のとか距離を取ろうと跳び上がろうとした。
だが。
「なにっ!?」
九凪には青年の心の中が手に取るように分かった。
「どうしたんですか
しかし、流石は五本指といった所だろう。九凪皆の領域の中でもわずかだが
生まれた距離を詰めるため、九凪も跳躍した。
その瞬間。
分身。
思い込みを利用した幻影の創造。
気付けば、目の前に太刀を振り上げた状態の
「くそっ」
太刀を振り下ろそうとしている
「逃がすか!!」
九凪は
だが、丁度、フロアの中央を横切る直前だった。
パチン、と。
直後。
「――嘘、だろっ!?」
刹那の静寂を食い破るように。
上空から、巨大なシャンデリアが落下してきた。
軽自動車ほどの大きさの物体が、月光を引き連れて九凪の脳天へと吸い込まれていく。
「(幻影じゃない!? これは、実体……!!)」
ガラッシャァァァァァンッッ!!!!!! と。
空間を埋め尽くすような凄まじい破砕音が耳を劈いた。
九凪は横に跳ぶ事で辛うじてシャンデリアの直撃を回避する。だが、弾丸のような勢いで弾け飛んだガラス片の雨を正面から浴びた。界力術ならば介入を許さない
両手で顔面を守る九凪に対し、無数の鋭利な切っ先が突き刺さった。つー、と頬から幾筋もの血が垂れる。歯噛みをしながら
「どう、して……?」
シャンデリアが幻影ならば話は簡単だった。九凪の精神の中に存在する『シャンデリアが落ちてきたらマズい』という恐怖を利用すればいいのだから。この場合、九凪が能力を使えばシャンデリアの幻影は消す事ができる。
だが、落ちてきたのは実物のシャンデリアだ。落とすためには、はるか上空、八階天井にシャンデリアを固定していた金属製の結合部を断ち切る必要がある。
遠くまで術式を投影できる刻印術式や、遠距離戦に特化した
ならば。
「(……くそ、
展開していた領域の輪郭が曖昧になる。領域を維持しようと力を込めても、まるでガス欠の車のように思うように作用してくれない。
「おや、先ほどまでの威勢はどうしました?」
不敵な笑みを頬に浮かべた夢の使者が、今まで防戦一方だったことを忘れたかのように余裕そうな声で話しかけてきた。
「(……気にするな、これも作戦なんだ)」
デイモスの術式は、その条件により相手の恐怖心を煽る必要がある。故に
「(理解しろ、飲み込まれるな。相手はただの界術師なんだから)」
戦闘が長引けば精神が摩耗していき、こちらが不利になる。
すぐさま勝負に出ようとした矢先に、
「随分と辛いようですが、大丈夫ですか?」
「……、」
九凪は答えない。会話に応じて術中に嵌まることを避けなければならない。
りん、という涼やかな鈴の音色。
そこには黒い刺青のような模様が浮かび上がっていた。
『シャンデリアが落ちてくる』
直後だった。
九凪の頭上に十個のシャンデリアが出現する。
「……なんっ」
脳の理解が追い付かない。それほどまでに現実離れした光景だった。
まるでパソコンの画像編集ツールで、シャンデリアの画像を狭い空間に無理やり何回も貼り付けたかのような状況。天井を埋め尽くすほど広がったシャンデリアの群れが、面となってその質量で九凪を押し潰す。
「……っ、幻影!」
止まりかけた思考を無理やり動かす。
だが、脳裏に過ぎるのは先ほどの光景。
本物のシャンデリアが落下し、ガラス片によって怪我をした。
その経験が、精神を刺激する。
恐怖を。
呼び起こす。
再び。
空間を引き裂くような破砕音と共に、十個のシャンデリアが床へと落下した。
自身の頭上のシャンデリアだけは何とか打ち消した。だが、周囲に落下した物までは無力化できなかった。文字通り、四方八方へと大量のガラス片が撒き散らされる。
「――ぐ、ぁあっ……ッ!!」
九凪の口から苦悶が漏れ出す。ガラス片が体中に突き刺さったのだ。
しかし、全く服は破れていないし、血も出ていない。ガラス片は青年の幻影によって生み出されたものだ。ダメージを与えられるのは九凪の精神体のみである。衣服の下にまでガラス片が届いているという錯覚も、実物の落下により刻まれた恐怖が生み出してしまったのだろう。
外傷は皆無だが、感じる痛みは本物。
九凪の額には脂汗が滲む。
本来、九凪が能力を万全の状態で使えれば全てのシャンデリアの幻影を打ち消す事ができたはずだ。だが二度目の
だが、その痛みよりも。
九凪の頭の中はある疑問に支配された。
「(言葉だけで、幻影を生み出した……!?)」
だが、デイモスの怪談は他にも存在する。
言葉で、対象に苦痛を与える。
怪談の中には確かにこのような類いのものもあった。しかし、この怪談が術式化されていることはないと新谷零士は判断した。怪談の中で使役者が支払った代償は『体の一部』であり、『幻影』の術式のように界力を使用することで代償とすることは不可能だと考えたのだ。
だが事実、
「(知らないぞ、こんな術式は……!!)」
本当に言葉だけで幻影が生み出せるのだとしたら、これ以上なく厄介だ。
万全の九凪であれば対処できたかもしれない。しかし、能力の出力が低下している現在であれば、先ほどのシャンデリアのような広範囲の幻影を対処しきれる保証はない。
シャンデリアに限った話ではない。凶暴な怪物を生み出すことだってできるし、巨大な岩を頭上に出現させて九凪を押し潰すことだってできる。
要するに何でもありという訳だ。
「困惑していますね。優秀な情報屋でも、こちらの術式については調べられなかったようです」
青年の手の甲に浮かんでいた黒い刺青の一部が、まるでインクを水で洗い落とそうとしたように滲んでいる。
「なんだ、それは……?」
「大前提として、悪魔とは代償をもって契約者の願いを叶えます。ですが、術式の中には
「……まさか」
こうして自分の術式を説明するのも、九凪の恐怖感を煽る為の策だと言うのは理解している。だがそれでも、耳を塞ぐことはできなかった。それほどまでに
「代償の前払い。ボクは前もってデイモスに代償を払い、それを肉体に保存することができるんですよ」
「そ、それはあり得ない! 代償を払ったのに術式を発動しない? そんな事をすれば術式不発と見なされて儀式術式の『呪い』が返ってくるはずだ!」
「『呪い』は返ってきません。『彼』とはそういう契約をしましたからね。おかげで、いつも
悪魔を使役する術式は必ず代償が求められる。
多くの場合は、界力を代償として使えるように術式を構築する。だが、それができないような術式を発動する為に、多くの界術師はどうにかして代償の支払いを誤魔化す方法を研究していた。
だが
悪魔の術式を使えば、界力下垂体を通じて術者の精神が汚染される。常に悪魔の手の平の上に剥き出しの魂を晒すような状況が続くのだ。常人が耐えられるはずがない。
純粋な精神力の強さ。もしくは生まれつき精神と界力の適応能力が高かったからか。どちらにしても正気を保っていることが異常だった。
あるいは、それこそが五本指と呼ばれる理由なのか。
「(ふざけるな、そんな無茶苦茶な理屈が本当に存在してるって言うのか……!!)」
代償が重すぎて、一度しか発動できない。
そんな分かりやすい必殺技を、
用意する為に莫大な資金が掛かって、一度の戦争で一回しか使えない超強力兵器を湯水の如く使えると言ったように、
りん、という鈴の音色。
九凪の恐怖が、幻影という形で現れる。
「どうしました?
耳元で囁かれる青年の声。
ぞくり、と氷の手に心臓を掴まれたような悪寒が走り抜ける。
「ッ!?」
慌てて能力を発動し、手刀を青年の幻影へと放った。
反応できなかった。
霞のように消える
甲高い金属音が、九凪の精神へと侵入する。
「あまり五本指を舐めない方がいい。君が対峙しているのは、頂点に界術師の頂点に君臨する十人の内の一人なんです。そんな貧弱な能力で、本当に僕を倒せるとでも思っていたんですか?」
先ほどと同じく正面の少し離れた場所に現われた
青年の背後の空間に、無数の太刀が出現する。
壁を一杯に埋め尽くすように浮いている幻影の凶刃。
その切っ先は、全てが九凪を正確に捉えていた。
「ここは僕の夢の中です。もう、誰も逃れることはできない」
不敵に、
「
射出される。
まるで無数に配置された砲台が、一斉に火を噴くような光景。
鋭利な太刀が撃ち出された矢のように飛翔し、圧倒的な物量でもって迫り来る。
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