第7話 怒れる炎

 ※前回のあらすじ


 界力石盗難事件の黒幕――とよたかを倒すためになぎかいはルリカと共闘する。


 だが相手は分家関係者の界術師。経験と実力カラーの差を覆すことができずに劣勢を強いられる。現状を打破するためにルリカが憑依を発動する。


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 憑依ひょうい

 召喚術式の真骨頂である。


 呼びだしたじゅうを術者に宿す技術。界力獣の能力や特性の一部を、術者が任意に使用することができるのだ。


 炎の化身。


 体の輪郭が薄れて様々な箇所から真っ赤な炎がおこり、大きく伸びた影は篝火かがりびのように揺らめいている。まるで蝋燭の芯となったように、ルリカの体は炎と完全に同化していた。灼熱の輝きによって夜に染まった景色を熱く染めていく。


 それでもルリカの服は燃えておらず、肌も焦げ付いていない。炎は燃え続ける為には酸素を消費するが、息苦しそうな様子は見せていない。それは憑依を発動しているため炎紅鳥が炎に包まれていても影響がなかったように、ルリカの体や所持物が界力によって保護を受けているのだ。


 だがこれは、憑依のみが可能にする暴挙。

 他の方式で同じように炎を体に纏えば、特殊な装備でも着ていない限り、間違いなく術者は全身に大火傷を負う羽目になるだろう。


「ルリカ、憑依は……っ!」

「分かってます、ナギサン……だけど、もう我慢できない」


 血走った眼でルリカは豊田をめ付ける。吊り上げられたまなじり。その炎に覆われた鬼気迫る表情は凶暴で、九凪の心は制御できない猛獣を見ているようにざわついた。


 憑依は九凪の次元干渉バリス・フルクティアと同じく、術者に多大な負担を強いる諸刃の剣だ。長時間の戦闘には向かない。ここからは一気に畳み掛ける必要がある。


「……僕に、策がある」


 豊田に聞こえないように、九凪は正面を向いたまま小声で囁く。


「難しいことは言わない。僕が豊田から隙を作るから、ルリカはとどめを刺してくれ。それまでは自由に動いてもらって構わない」


 こくり、とルリカが小さく頷いた。


 直後だった。

 ズドンッ!! と熱風を撒き散らしたルリカが地面を蹴る。


 大量の火の粉を熱風と共に舞い上げ、一瞬の内に豊田の懐へと飛び込んだ。憑依を発動したことによって一時的に界力の処理能力が上がり、先ほどよりも速度が上がっている。


 思わず後ずさる豊田に対し、ルリカは迷わずに炎を纏った大型ナイフを振り抜く。三日月のような弧を描き、燃え盛る炎を置き去りにして斬撃が放たれる。


 豊田は界力石を握った左手を持ち上げた。紫色の界力光が瞬時に分厚い板のような形状に広がってルリカの一撃を防ぐ。界力の防壁によって、勢い余った炎が無理やり川を分岐させたように左右へと流れていく。


「……ぐぅ!!」


 両目に力を入れながら、豊田が呻いた。


 界力の防壁は機能している。ルリカの斬撃も炎も豊田には届いていない。だが、ルリカは炎の塊と化しているのだ。何かしらの攻撃を受けなかったとしても、ただ距離を詰められるだけで熱に焼かれそうになってしまう。

 堪らずに、豊田は界力の防壁を利用してルリカを遠ざける。そのまま、距離を取るように後ろへと身体強化マスクルを使って跳んだ。


 だが、ルリカは攻撃の手を緩めない。

 遠ざかっていく豊田に向けて、手を向けた。


 直後だった。

 豊田の周囲で、複数の火球が破裂する。


 まるで空気を入れすぎて風船が爆発するように、内に秘められていた灼熱の炎が撒き散らされる。凄まじい勢いで夜を飲み込んで太陽のような輝きを放ち、熱風が舐めるように広がった。


 舞い上げられた粉塵を突き破るように、豊田は上空へと逃れる。両腕では界力の防壁が展開されている。それで身を守ろうとしたのだろうが、完全には庇い切れなかったのか着ているスーツの背中部分が焦げていた。


 ひとっ飛びで三十メートル近く上がった豊田を追いかける為に、ルリカは電球部分が割れて光を失った路灯へ飛び乗る。それを足場にして、夜空へと駆け上がろうとした。


 しかし。

 豊田が右手を路灯に乗ったルリカへ向ける。同時に、展開していた界力の防壁が紫色の界力光に包まれて形状を変えた。腕の太さ程の大砲の銃身を生み出し、収束させた界力光の散弾を豪雨のように撃ち下ろす。


 上空へ跳び上がろうと膝を曲げていたルリカだったが、咄嗟に両手に持った大型ナイフと纏った炎を使って界力の散弾から身を守った。

 一撃必殺のような威力はないため牽制が目的だったのだろう。それでも対処を余儀なくされたルリカは攻勢に出るタイミングを逸してしまった。


「(やっぱり、そうだ)」


 地面に着地しようとしている豊田へと、九凪は身体強化マスクルを使って白い界力光と共に駆け出した。


 豊田隆夫に、隙はない。

 これは界視眼ビュード・イーによって界力の流れをて、戦闘中の様子を観察して導き出した答えだ。少なくとも九凪やルリカに付けるような隙は見つけられなかった。


 ならば。

 豊田隆夫を完璧たらしめているものは、何か。


 それは精神内の術式保管領域に保管された膨大な界力武装の設計図だろう。

 刻印術式を使う界術師は、意味を持った刻印の一部分だけを記憶していく。それを必要に応じて術式構築領域で組み立てて、一つの術式として現実次元に投影しているのだ。

 だが豊田隆夫の場合は、設計図のまま記憶している。英単語を、アルファベット一つ一つではなく単語の状態で暗記するようなもの。必要に応じてアルファベットを並び替えるよりも記憶は膨大なデータ量になる筈だ。普通の界術師にとっては非効率な方法である。


 おそらく、豊田は術式保管領域が他の界術師に比べて何倍も広いのだろう。界力武装の設計図をそのまま記憶していなければ、ここまで素早く様々な界力武装を即席で投影し続けられないからだ。


 培ってきた経験と、保管領域に記憶された膨大な設計図、そして数ある選択肢の中から最適解を即座に導き出せるだけの戦闘センス。多彩な界力武装を使い分けるという戦い方は豊田隆夫にとって最も自分に合っていたのだろう。


 事実、九凪やルリカがどんな攻撃をしたとしても、豊田は最小限のダメージで切り抜けてしまう筈だ。考えれば考えるほど隙がなくなっていく。


 一方で、精神内の術式構築領域は他の界術師よりも狭いのだろう。


 理由としては二つ。

 一つ目は、範囲攻撃を全く使ってこないこと。刻印術式を使う界術師は、刻印を広い範囲に投影することで様々な角度から相手を攻撃できることが強みの方式だ。だが、広い範囲に術式を投影する為には、当然のように広く術式構築領域を使う必要がある。投影した術式の維持にも構築領域のリソースを割かなければならない為、他の術式の使用に支障を来してしまう。


 二つ目は、先ほど身体に投影した身体能力向上の術式をすぐに解除したこと。身体能力向上の為に術式構築領域の処理能力を使うと、展開できる界力武装の数や質に影響が出るのだろう。


「(だけどこれは、僕達にとっての弱点にはならない)」


 道路に着地した豊田隆夫が、突進してくる九凪に視線を向けた。九凪は迷わずに距離と詰めていく。


「(突破口にはならない。僕達が付けるような隙じゃない)」


 術式構築領域が狭くても、術式の出力や威力はきっちり実力カラーが紫色の分は発揮されている。展開した界力武装は設計図で予測されたスペックを限界値まで引き出せている筈だ。長刀は鉄も切り裂けるほど鋭く、防壁はどんな攻撃からでも身を守れる程に堅い。


「(だったら、僕達が優位に立てる点はなんだ?)」


 答えは、未知。

 九凪皆の能力が、相手に知られていないこと。

 先ほど、九凪が豊田の界力武装を無効化した時の反応を見れば一目瞭然だ。


 接近してくる九凪に対し、豊田は直接肉体に刻印術式を投影する。身体能力を向上させる術式だ。先ほどの攻防で九凪に界力武装が通じないと理解した為、通用した術式を選択したのだろう。


 それは、九凪への対策としては完璧だった。


 界力の流れに干渉して、界力術を無力化できる九凪だが、全ての界力術を無力化できるという訳ではない。身体強化マスクルのような生命力マナの操作には干渉できないし、闘術とうじゅつのような肉体に直接作用する術式は不可能ではないが時間が掛かる。炎や風のように放つ術式と違い、術者の精神との結び付きが強いからだ。


 豊田が発動している身体能力向上の刻印術式も、闘術と同じく解除には時間が掛かる。その為、呼吸すらままならない高速戦闘では行えない。


「(これは完全な初見殺しだ。二回目は通じない)」


 再び、正面から九凪は豊田へと突撃していく。対して、豊田は硬く握った大きな拳を振り上げた。


「(だから、この一度のチャンスに全てを賭ける!!)」


 九凪は右腕を豊田へと突き出し、能力を発動した。


 途端。

 ぼふぅ! と突風のようなものが豊田隆夫の全身を撫でた。


 術式解除アルス・リーズ

 九凪皆の能力の応用。


 対象は一人に限られるが、その術者が使用している界力術を、身体強化も含めて無条件で全て解除させることができる。術者が遠隔で発動している界力術もまとめて吹き飛ばす問答無用の強制終了。糸が絡まって解けないのなら、ハサミで切ってしまうような反則技である。


「っ!!」


 突如として強制的に術式が解除させられたことが瞬時に飲み込めないのだろう。豊田は両目を大きく見開いて困惑に顔を歪める。


 術式解除アルス・リーズには、使用した瞬間に九凪自身に発動している界力術も解除されてしまうというデメリットが存在する。しかし九凪は能力者プラージだ。自身の能力と身体強化マスクル以外の界力術を使えない九凪にとって、このデメリットはないに等しい。


 それに、今は関係のないことだ。


「――ルリカッ!!」


 合図。

 反撃への号砲。


 焦げ付くような強烈な熱が九凪の頭上を越えていく。

 灼熱の火焔が、夜闇を赤く焼いた。

 炎を纏ったルリカの一撃が、身体強化マスクルすら発動できていない豊田へ直撃する。


 ごうッ!! と莫大な衝撃が目の前で炸裂した。


 膨らんだ爆煙から押し出されるようにして、豊田の身体は数メートルも吹き飛ばされる。道路を何度もバウンドして転がるが、途中で受け身を取って無理やり体制を立て直した。


「っ! 無理やり、腕に界力を……っ!?」


 界視眼ビュード・イーで確認した九凪は舌打ちをした。


 ルリカからの横薙ぎの一撃を、豊田隆夫は無理やり腕に界力を流すことで防ごうとした。刻印術式で普段から肉体に界力を流すという技術を使っているからこそできる荒技。他の方式の界術師ならまずできない方法である。


 だが、無傷ではない。


 肉体に界力を流すのだ。生命力マナの操作である身体強化マスクルとは訳が違う。加減を誤れば多大な負荷が襲い掛かる。事実、刻印術式によって肉体に影響がないように調整して普段は強化しているのだ。


 そんな余裕は、流石の豊田隆夫にもなかったらしい。術式解除アルス・リーズによって強制的に術式を解除された直後なのだ。精神的な動揺もあった筈。その状態で界力を腕に流せただけでも驚くべき対応力である。


「……ガキ、が……っ!」


 だらん、と豊田は左腕を垂らしている。無理やり界力を流した反動か。激痛に耐えるように顔を顰めている様子から判断するに、左腕は使い物にならないのだろう。


 ルリカが駆け出す。火の粉を撒き散らし、一条の光となって夜闇を翔る。

 そして、思うように身動きの取れない豊田にとどめの一撃を食らわ――


「そこまでだ!! 止めるんだルリカ!!」


 ぴたり、と。

 大型ナイフを突き刺そうとしていたルリカの動きが止まった。


 新谷零士。

 九凪の後方から息を切らして走ってきた新谷が、必死の形相で叫んだのだ。


 戦場に空白が訪れる。

 わずかに呆然としていた豊田だったが、すぐに立ち直って身体強化を使ってその場から跳び退いた。距離を取って、状況を把握しようと険しい顔で新谷を見詰める。


 困惑しながらも、九凪は構えを解いて体の力を抜いた。


「……アラヤ、どういうことですか?」


 新谷の方を向いたルリカが、俯いたまま訊ねる。その声は怒りに震えていた。ルリカの激しい情動を反映するように、まとった炎が一際大きく揺れる。


「どうして、やめなくちゃいけないんですか……っ!!」

名桜めいおうの上からの命令だ。僕たちはこれ以上、豊田隆夫に危害を加えられなくなった。だから、ここまでなんだ」

「……そ、そんなのッ!!」


 キッ、とルリカが眉を吊り上げるようにして新谷を睨み付けた。周囲で激しく燃え上がる業火のように、ルリカの瞳にも強烈な感情が光となって宿る。


 新谷零士も本意ではないのだろう。悔しそうに唇を噛む姿は、内面の葛藤を色濃く表していた。その隣では黒鐘明日美も俯いて口を閉ざしていた。


「……はっ、はは、あーはははははは!!」


 唐突に、豊田隆夫は身体を反るようにして哄笑を響かせた。


「助かっちまったなあ! ツイてるぜ! 天は俺の味方のようだ!!」


 心底おかしそうに腹を抱えて笑い続ける豊田の耳障りな声を聞いて、ルリカが静かに豊田隆夫へと向き直った。そして、一歩踏み出す。


 危うい空気を感じ取り、九凪は口を開いた。


「駄目だルリカ。僕達は、これ以上は戦えない」

「……いや、です」

「ルリカ! これは個人の我が侭が許されるようなことじゃな――」

「じゃあナギサンは許せるんですかッ! ここでアイツを見逃せるんですかッ!!」


 鋭い反駁が、空気を引き裂いた。


「アイツは川島さんを殺したんですよ! 何の罪もない人を、自分の都合の為だけに手に掛けたんです! そんな奴を見逃せって言うんですか!!」


 首だけ九凪へ向けたルリカが、剥き出しの感情をぶつける。


「そんなの、ッ!!」

「っ」


 正しくない。

 その言葉に、九凪は言葉を失った。


 ルリカの主張は間違っていない。豊田隆夫は正真正銘の外道だ。ここで殴り飛ばされたとしても文句は言えない。むしろ、そうすることが正しいように感じる。

 だが、それは正しくない筈なのだ。新谷零士の言葉。雇い主である名桜の命令ならば、例えどんな状況だったとしても従うのが正しさである。


「(……どうしたら、いいんだ?)」


 疑問が膨れ上がり、九凪の脳内を埋め尽くす。


「(一体、なにが正しいんだ……?)」


 足を止めてしまった九凪を尻目に、ルリカが正面を向いた。このままではまずい。その感覚だけが、九凪を衝き動かす。


 だが、九凪はルリカを止められなかった。


 爆発があった。


 まるで可燃性ガスが充満した狭い室内でライターを点火したような大爆発。

 突如として吹き荒れる熱風を受けて両腕で顔を守る。


「……ルリ、カ……?」


 腕をどけた先にあった景色に、九凪は呼吸を忘れた。


 夜空を衝くように屹立する、巨大な火柱。


 五階建てのビルほどまで上がった火焔かえんの渦が、次第に何かの輪郭を形作る。それがなにを模しているのか、九凪には分からなかった。辛うじて左右に広がったものが翼であることは理解できた。


 完全憑依。

 界力獣の力の一部ではなく、全てを術者の身に宿したのだ。


「(この状態は、まずい! ルリカが暴走する!)」


 突風が、吹き荒れる。


 ルリカが巨大な炎の翼を羽ばたかせて飛び上がったのだと知った時には、九凪の身体はすでに宙に舞っていた。すぐに立ち上がってルリカを探す。


 はるか上空。黒々とした夜空を太陽のように眩しい輝きで照らすルリカは、唖然とした表情で空を見上げる豊田隆夫へ、まるで隕石のように落下した。


 慌てた様子で豊田が身体強化を使って跳び退く。


 そこへ。

 巨大な炎の槍となったルリカが突き刺さった。


 轟音が大地を震撼させた。高速道路の高架全体に亀裂が走り抜け、ブロック状になったコンクリート片が周囲へ散弾ように飛び散った。


 衝撃に耐えきれなかった豊田が更に後方へと吹き飛ばされた。無事な右腕には界力の防壁を展開しているが完全には相殺しきれていない。ルリカの猛攻を凌ぐための次の一手を繰り出す余裕は残されていない。


「(ルリカ、やっぱり我を忘れてるのか!?)」


 完全に自制心を失って暴走するルリカを止める為に、九凪は走りだそうとした。


 だが、脳裏に走った疑問。

 自分は、何をする為にルリカを止めようとしているのか。


 豊田隆夫を守る為なのか?

 それは本当に正しい行為なのか?


 その一瞬の迷いが、致命的となる。


「(くそ、間に合わな――っ)」


 ルリカの爆炎が、豊田隆夫を飲み込――


 ズバンッ!! と。

 強烈な衝撃が、炎ごとルリカの身体を弾き飛ばした。


「……ったく、クソッタレな状況だな。うんざりするよ」


 夜闇の中でも輝きを失わない真っ赤な長髪が、風になびいて大きく揺れる。身体のラインが浮き出るようなライダースーツ。切れ長の両目に鋭い眼光を滲ませて、その女性はゆっくり立ち上がった。


 ひさかた


 裏の五本指レフト・ファイブ切斬女キラーレディ

 最強の界術師が、夜闇よりも黒い界力光と共に戦場へと舞い降りる。

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