第6話 分家関係者の界術師

 ※前回のあらすじ


 界力石盗難事件の黒幕は界力省の役人――とよたかだった。

 自分の身の安全を保証するために川島を殺害した豊田隆夫を打ち倒して情報を得るために、なぎかいはルリカと共闘する。


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 九凪皆は約十五メートルの間を開けて、豊田隆夫と対峙する。


 鋭い目付きの大柄な男だ。身長は190センチを軽く超えている。肩幅は広く、ボタンの留まっていないスーツは前が広く開いていた。短く刈り込まれた髪に野蛮そうな顔付きと、まるで浪人のような荒々しさを感じた。


「(……刻印術式、しかもかなりの使い手だ)」


 気を引き締めるのと同時に、九凪は界視眼ビュード・イーを発動させて身構える。


 数の上ではこちらが有利。見た目は中学生でも、ルリカは名桜の一部隊を任せられた界術師だ。裏社会の中でも有数の実力を誇っている。それにルリカと共闘するのは今回が初めてではない為、問題なく息を合わせられる自信があった。


 だがそれだけの利点を思い浮かべても足を竦ませるような恐怖心を完全に打ち消すことはできなかった。それほどまでに豊田隆夫の界術師としての技能を評価しているのだ。


 同じく名桜の界術師である黒鐘明日美は、先ほど頭上を通り過ぎていったヘリに乗って新谷零士と一緒に後から合流する。黒鐘は戦闘向けの界術師ではない為、新谷の隣で後方に待機してもいる予定だ。


 この高速道路も、今夜中は一部区間だけ通行止めにしてもらえるように新谷零士が手はずを整えていた。どのような方法を使ったのか想像すらできない。流石は名桜の幹部といったところだろうか。


 唐突に、ルリカが何かを取り出す。古いお守りだろうか。神社ならばどこでも買えそうな変哲のないそれを大切そうに握り締めた。


 じわり、と燃える太陽のように鮮やかな赤いこうが夜闇を上書きする。


「――来て、炎紅鳥えんくちょう。炎熱の王の風格をここに……!!」


 そう、祈りを捧げた時だった。

 パチ、パチ、とルリカの背後からまるで炎の中で薪が弾けるような音がした。虚空から表れる小さな種火。それらは莫大な熱風と共に夜を飲み込み、一瞬で大きく広がる。


 顕現したのは、体が炎で創られた巨大なわしだった。


 翼を左右に伸ばせば五メートルは届きそうだ。ぎょろりした双眸に、コンクリートの地面くらいならば容易に砕けそうな鋭利な嘴。猛禽類らしい鉤爪は人間ならば握り潰せそうな程に強靱で、空の王者と呼ぶにふさわしい。全身を覆う羽毛は全て炎で形作られており、今にも爆発しそうなほどの熱量が込められていた。


 不死鳥フェニックス。そんな単語が脳裏を過ぎる。


 炎の鳥が大きく羽ばたき、威嚇するように嘴を開いて甲高い雄叫びを大地に響かせた。肌を焦がすような熱風が吹き荒れ、春の突風に攫われる桜の花びらのように火の粉が舞い上がる。


「……獣人かよ、気分悪いな」


 腕で熱から顔を守っていた豊田が、顰めた顔に嫌悪感を色濃く浮かべた。

 獣人。それはあまの界術師に対する蔑称である。


 始まりの八家が一つ――あま。生み出した方式は『召喚術式』。

 じゅうと呼ばれる獣の形をした世界の記憶メモリアを召喚する術式だ。


 術者は『触媒』を用いて、記憶次元に存在する界力獣と契約する。契約が完了したならば、術者の力量に応じたランクの界力獣を現実次元に呼びだして使役することができる。一つの界力獣であっても、呼び出せる段階は複数存在するのだ。


 界力獣の顕現や存在の維持には術者の生命力マナが使用された。当然、ランクが上がれば使用する生命力マナの量は増える。契約できる界力獣で実力カラーが、使役には生命力マナの量が、それぞれ要素として関わってくるのである。


 豊田隆夫が露骨に眉を曇らせた理由。それは、ルリカが天城家の界術師だからだろう。


 二家界術師同盟。方針に賛成できないと約十年前に六家連盟を脱退して、独自に組織を作った天城家とちん西ぜいは、六家連盟に対する過激な対応などから差別の対象になっている。現在、それらの偏見は全盛期に比べれば薄れつつあるものの、まだ世間に根強く残っていた。

 特に歳森第一分家のような連盟に近い立場の豊田隆夫は、実際に差別を行ってきた界術師となる。二家同盟に対する憎しみは人一倍強く根付いているはずだ。


 ルリカが動く。

 じんわりと全身から漏れ出した赤い界力光は、身体強化マスクルの証か。体勢を低くするように構えたルリカの両手には、軍人が使用するような直刃の大型ナイフが逆手に握られている。二本の大型ナイフを交差するさせ、豊田を睨み付けた。


 脚のバネを使い、赤い残像と共にルリカが地面を蹴る。

 湖面を滑空する燕の如く地面を舐めるように疾駆する。そして、猫のようにしなやかな動作で跳び上がった。


 月明かりに濡れた二本の銀色。まるで血を滴らせるように月光を夜闇に刻み込みながら、ルリカは大型ナイフを閃かせる。


 ガキン!! と、鼓膜を貫くような金属音が炸裂する。


 それは豊田隆夫が、紫色の界力光が束ねられた長刀でルリカの大型ナイフを防いだ時の音だった。

 即席で生み出された界力武装。

 両手で長刀を握った豊田は、一歩踏み出すと同時に真一文字に振るう。明らかに武道を習得している者の動きだ。だが鋭い一撃は、ルリカが半歩下がった為に空を切った。


 連続して半月ような残光を薄闇に刻む長刀をルリカは俊敏に掻い潜る。わずかな隙を見逃さずに、大型ナイフが地を這う蛇のように不規則な軌跡を描いて豊田の首筋へと吸い込まれた。


 しかし、豊田は獰猛な表情で大型ナイフを長刀で受ける。火花のように飛び散った紫色の界力光が、刹那の間だけ二人の顔を照らした。


 一秒間に何度も撃ち合うような攻防。


 状況は豊田が優勢か。実力カラーで言えば豊田が紫で、ルリカは赤。どうしても一色差による地力の差がじわじわと漏れ出してくる。

 劣勢を悟ったルリカが、深追いせずに隙を見て大きく跳び退いた。


 そこへ。

 上空から無数の業火が降り注いだ。


 炎紅鳥えんくちょう――全長五メートルにも届く巨大な炎の大鷲が力強く羽ばたく度に、大量の業火が弾丸のように射出される。一つが人の頭ほどの大きさのある灼熱の砲弾が、豊田を中心とした周辺へと一斉に着弾した。


 熱風と粉塵を伴って、夜闇に紅蓮が咲き誇った。


 轟音が辺りの山々へと木霊した。わずかの間だけ昼間のように照らされた道路には粉塵が漂い、時間の経過と共に夜の静寂がゆっくり染み込んでいく。


 突風が吹き荒れると同時に、炎紅鳥が飛翔した。一度だけ大きく上昇し、地面を走る獲物を捕まえるように矢のような勢いで道路へ降下する。

 だが、唐突に炎紅鳥が羽ばたいて動きを止めた。巻き起こされた風によって浮いていた粉塵が吹き飛ばされる。


 その中で。

 豊田隆夫は紫色の界力光を湛えた界力石を、腰溜めの状態で構えていた。


「おらよッ!!」


 まるで短剣を目の前の相手に突き立てるように、豊田は握った界力石を斜め上へと向けて放った。


 直後。

 紫色の界力光が一条の光となって伸び、夜空へ撃ち出された。


 異変に気付いた炎紅鳥は慌てて飛び立とうとしたが、体の位置を少しずらすのが精一杯だった。豊田から放たれた一撃が、右の翼の付け根辺りを浅く切り裂く。鮮血のように火の粉を散らしながらも、炎紅鳥は羽ばたいて上空へと距離を取る。


「……っ!」


 九凪の近くまで後退していたルリカの右肩が、浅く切れて血が滲んだ。

 召喚術式におけるデメリットである。


 基本的に、契約できる界力獣は一人につき一体である。だが召喚できる界力獣には『段階』があり、それは術者の実力に由来する。よって実力カラーの高い術者ならば、複数の段階の界力獣を状況に応じて召喚できるということだ。

 当然、段階が上がればそれに応じて術者への負担も大きくなるが、その代わりに界力獣はより強力になっていく。


 だが、段階が上がることによるデメリットはもう一つある。術者と界力獣の結び付きが強くなるにつれて、界力獣が受けたダメージが術者へと跳ね返ってくるようになるのだ。同時に、精神的な結び付きが強くなっているので、界力獣と正確に意思疎通ができるようになるというメリットも発生するのだが。


 上空へと距離を取ろうとする炎紅鳥へ追撃を狙う豊田へと、身体強化マスクルを発動した九凪が走り出す。これ以上、炎紅鳥を攻撃させる訳にはいかない。

 近づいてくる九凪に気付いたのだろう。豊田は再び即席で長刀の界力武装を創り出し、九凪を迎え撃つ。


 正中線に長刀を構えた豊田へ、九凪は正面から突撃した。


 豊田の顔に一瞬だけ怪訝そうな色が浮かぶ。武器を持った界術師を相手にして無防備に突っ込んでくる九凪の意図が分からなかったのだろう。だがすぐに獰猛な光を両目に滾らせ、必殺の一閃を繰り出――せなかった。


「!?」


 豊田の顔が驚愕に染まる。


 紫色の界力光を束ねて創った長刀が、九凪の体に触れた瞬間。

 正確には、九凪が能力を使って自身の体を覆うように張った膜に触れた途端に。

 長刀を形作っていた刻印術式が、強制的に無力化されたのだ。


 界力の流れに自由に干渉できる。

 能力者プラージである九凪皆の能力だ。


「セアァッ!!」


 裂帛の気合いと共に、九凪は指を畳んで掌を立て、手首を固定した状態で豊田の顎を思いっ切り打ち上げる。そして、間髪入れずに鳩尾へ肘鉄を突き立てた。

 後方へとよろめく豊田。九凪は体を腰を捻って上段への回し蹴りを放つ。


 だが。


「……!?」


 放たれた九凪の足へと跳ね返ってきたのは、まるで鋼鉄を蹴っ飛ばしたような感触。ズキッ、と身体強化マスクルで強度を増した九凪の足を疼痛が貫く。


 九凪の回し蹴りが当たったのは、顔を守るように持ち上げられた左腕。

 界視眼ビュード・イーを使った九凪の視界には、その左腕に刺青いれずみのような刻印術式が浮かび上がっている光景がはっきりと見えた。


 刻印術式を肉体に投影することによる身体能力の向上。

 身体強化マスクルと併用されれば、いくら九凪でも速度と強度の面で遅れを取る。


「……痛ってぇなクソガキがあ!!」


 唇から血を滲ませた豊田が、大きく口を裂けさせながら叫んだ。

 同時に、豊田の全身に浮かんだ刻印術式に紫色の界力光が走り抜ける。ボゴッ!と空気が膨張するような錯覚。漏れ出していた威圧感が、波長となって全方位へ放たれる。


 やられる、と直感した。

 猛烈な危機感に衝き動かされるように、九凪は全力で背後に跳び退く。


「……白、だと? なんなんだ、お前」


 しかし、豊田は追ってこない。怪訝そうに目を細めて肉体へ投影した刻印術式を解除すると、手の甲で唇から滲んだ血を乱暴に拭った。


「(……考えろ、考え続けろ。立ち止まったら敗北するぞ)」


 メモ帳の代わりに、九凪は脳内に情報を書き込んでいく。


 豊田隆夫の攻撃手段は両手に持った直方体の界力石に刻印術式を投影することで製作する即席の界力武装だ。スーツの内側に界力石を隠していない限り、同時に展開できる界力武装は二つ。手数は多くないが、展開できる界力武装の種類は未知数である。


 対して、九凪の攻撃手段は二つ。相手の界力術によって巻き起こされた界力の流れに干渉し、自らの管理下に置いて、物理的な打撃武器や防御用の盾などに利用する。もう一つは能力を使って相手の界力術を無力化しつつ、身体強化マスクルによって威力を底上げした体術を叩き込む。


 だが、後者に関しては通用しないことが証明されてしまった。体格が違いすぎる。体術と身体強化に自信がある九凪だが、相手の実力カラーが紫色でここまで体重差があるとどうしても不利になる。


「(解放リベラを使うか? いや、実戦で使うのは……)」


 まだ解放リベラを万全な状態で扱えるとは言えない。不安定な状態で発動しても、力を扱い切れずに振り回されるだけだ。最終手段として解放リベラを発動せずに次元干渉バリス・フルクティアを使うというのもあるが、それは負担が大きいためできれば避けたい。


「(突破口はなんだ? どうしたらあいつに届く)」


 界視眼ビュード・イーで豊田が生み出す界力の流れに警戒しながら、九凪は思考を回していく。


 二対一で、ほぼ互角。

 それに、豊田隆夫には隙らしい隙がない。


 技術は高く、経験だって九凪の何倍も積んでいるはずだ。業界のトップと呼ばれる存在。人間としては底辺でも、界術師としては間違いなく超一流である。


 無策で突っ込めば確実にこちらが押される。食い下がれたとしても数を重ねればいつかは必ず致命傷を負う。感情にまかせて無闇に挑みかかるべきではない。


 九凪は押し黙ったまま、豊田隆夫を睨み付ける。


 まずは、攻撃手段を手に入れる。

 相手から界力の流れを奪えないながら、味方からもらえばいい。

 つまり、ルリカに界力術を発動してもらって界力の流れを分けてもらう。


「ルリカ、僕に界力の流れを……ってルリカ!?」


 思わず、九凪は目を見張ってしまった。

 そこにいたのは先ほどまでの少女とは全く別人だったから。


 炎の化身。


 体の輪郭が薄れて様々な箇所から真っ赤な炎がおこり、大きく伸びた影は篝火かがりびのように揺らめいている。まるで蝋燭の芯となったように、ルリカの体は炎と完全に同化していた。灼熱の輝きによって、夜に染まった景色を熱く染めていく。


 憑依ひょうい

 召喚術式の真骨頂がその姿を現わした。

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