第5話 決死の一手

 ※前回のあらすじ


 界力石輸送を担当した関係者である川島から話を聞くことに成功した。


 その後、なぎかいかどみやきょうすけくさなぎろうによるしおあきらへの襲撃計画を手伝うためにくろかねとルリカと別れる。この日はそれで調査が終わったのだった。


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 翌日。

 前日は夜遅くまで活動していた九凪皆を気遣って、その日は午後からという事になった。黒鐘明日美とルリカが宿泊したホテルの一階にあるレストランで昼食を取ってから、九凪と新谷を含めた四人は行動を開始する。


「新谷さん、今日はどうするんですか?」


 新谷が運転するセダンの助手席に座る九凪が訊ねた。後部座席ではあやとりを続けるルリカと、相変わらず人形のように無表情な黒鐘が座っている。


「川島さんにもう一度話を聞こうと思ってるんだ。昨日からルリカの部隊のみんなにも協力して色々と分かってきたことがあるし、それも踏まえてね」


 新谷のセダンは両国橋を通って隅田川を越え、墨田区へと入って行く。


「……川島さんの自宅まで行くんですか? 昨日みたいに待ち合わせて会えばいいような気がしますけど」

「僕もそうしようと思ったんだけど、川島さんに連絡が通じないんだ。職場に連絡してみても無断で休んでいるらしい。ちょっと心配だし直接会いにいこうと思ってね」


 しばらく走っていると景色は昨日の霞ヶ関のような高層ビル群から背の低い庶民的なものへと変わってきた。新谷は道路の端へ車を寄せて停める。ここからは徒歩で移動だ。


 携帯端末を見て先を進む新谷の後ろについていく。車がギリギリすれ違えるような細い路地に入る。辺りには年季の入った一軒家や町工場まちこうば、小さなスーパーなどがあり、懐かしさと共に歴史を感じさせた。


「ふんふ~ん♪」


 鼻歌を口ずさみながら、ルリカは軽やかな足取りで歩いている。白線の上だけを選んで通っているのだろうか。ぴょんとジャンプして次の白線へと移動した。


「楽しそうですね、ルリカ」

「川島さんに会えるのが楽しみなんでしょうね。昨日も遅くまでホテルであやとりをしていましたし、成果を見せたいのでしょう」


 四人は四階建てのアパートの前で止まった。築三十年くらいは経っているだろうか。外壁は雨風で劣化しており、小さな門は薄く錆び付いている。だが周囲の雰囲気に上手く溶け込んでおり、これはこれで味があるような印象を受けた。


 エレベーターはなかった。四人は階段を使って三〇二号室へと向かう。


「……いないのかな?」


 新谷がチャイムを鳴らしてみるが、中から返事はない。何度か試してみるが同じだった。

 駄目元でドアノブを捻ってみると鍵が開いていた。新谷はゆっくりと扉を開けてみる。


「川島さん、すいませんがお邪魔し……っ!」


 途端、新谷の顔付きが変わった。

 原因は、部屋の中から漂ってくるつんとしたえた悪臭。

 鉄錆のような鼻孔にこびりつくこの異臭に、九凪は覚えがあった。


 真っ赤な、血。


「……くそ、川島さん!!」


 新谷が靴を履いたまま框を飛び越え、室内へと駆け込む。九凪も後を追った。

 そして。


「……なんて、ことだ」


 そこには、ぐったりと壁を背にして床に座り込んだ状態の死体があった。


 洗っていない食器が入った水道の流しに、洗濯物が部屋干されたカーテンレール。ついさっきまで人が生活していた様子が色濃く残る室内は、水風船が破裂したように飛び散っ血痕によって赤黒く彩られている。

 川島は壁に打ち付けられたのだろうか。まるで熟した果実を投げつけたように、壁には真っ赤な花が咲いていた。血が通っていない青白い肌はまるで粘土でねられたように無機質で、投げ出された手は石のように固そうだ。


 むせかえるような血の匂いに、九凪は思わず口許を覆う。

 新谷は顰めっ面のまま、死体へと歩み寄っていった。苦痛に歪んだ瞼を下ろし、軽く合掌する。


「……なんですか、これは」


 ルリカが部屋へと入ってくる。見開かれた両目に浮かぶ感情は驚愕だが、そこには少女らしい恐怖の色は一切ない。伏せられた顔には濃い陰翳が浮かんだ。その後ろで黒鐘は目を細めていた。


 不意に、九凪はちりちりと首筋が熱に炙られるような違和感を覚えた。


 界力術が使われている気配。

 だが、あまりにも小さい。今のように気を張っていなければ見逃してしまっていただろう。

 九凪は界視眼ビュード・イーを発動して、室内を見回す。


「……皆くん?」

「なにか、あります」


 蒼い燐光を瞳から放ちながら薄暗い室内を進んでいく。壁際に置かれた食器棚の下。青みがかった視界の中で、微かだがそこから界力の反応があった。

 しゃがみ込んで食器棚の下へと手を伸ばす。埃やゴミの中に、何やら硬い石のような感触。それを引っ掻きだした。


「……界力石、かい?」


 背後から新谷が覗き込むようにして言う。


 九凪にはそれに見覚えがあった。


 翡翠ひすいのような緑色の界力石。これは昨日、川島が見せてくれたものだ。

 界力石がまだ淡い光を帯びている。術式が起動し続けているのだろう。九凪は録音された音を再生する為に、界視眼ビュード・イーを使って術式の『起点』を探し出して界力を流し込む。


 ドゴッ! という何かが落ちるような音がしてから、会話が再生された。


『や、やめてください! 豊田さん! どうしてこんなことを……っ!!』

『おいおい、川島。どうしてって本気で言ってんのか? もし本気なら、やっぱりテメェは無能ってことになるぜ』

『僕はなにも知らないんだ! 貴方が何に関わって、何をしようとしていたかなんて、これっぽっちも知らない!! 本当だ、信じてくれ!!』

『違うんだよ、川島。問題はそこじゃない。お前が知っていようが知っていまいが関係ない』

『……なら、なにが!』

『お前がなにかを聞いたかもしれねぇって、俺が考えちまったことが問題なんだよ。残念だったな、お前は俺が心配性だったから殺されるんだぜ?』

『……僕には、家族がいる。娘は来年の四月から小学校に通うんだ。来週末に帰った時には一緒にランドセルを見に行く約束をしている』

『情けない、命乞いか? みっともねぇからやめてくれ』

『いいや、止めません。僕は家族の為にも家に帰らなきゃいけないんだ。その為だったら命乞いだってしますし、貴方の靴だって喜んで舐めましょう! だから、どうか命だけは助け……がぁッ!?』

『悪いな、聞くのが面倒になった』

『……豊、田……っ!』

『そんな目で睨むなよ、川島。なにもテメェの家族を殺そうって訳じゃねぇんだ。だから俺の安心の為に死んでくれ。それくらいの価値は、テメェにもあるだろ?』

『豊田あァァぁああああああああああああああああッッ!!!!!!』

『うるせぇよ、無能が。さっさとくたばれや』


 グシャリ、と何かをひねり潰すような生々しい音が流れたのを最後に、音声は途絶えた。それからはどれだけ再生を続けても環境音しか聞こえてこない。


 重たい沈黙が、室内を支配する。


 おそらく、豊田隆夫と対面して異変を察した川島が咄嗟の機転を利かせたのだ。界力石のに刻印した録音を起動させて、豊田に気付かれないように食器棚の下へと投げ入れたのだろう。


 誰かがこの音声を聞いてくれると信じて。

 豊田隆夫という外道に、一矢報いてくれると願って。

 それは川島という人間の、吹けば飛ぶような小さく、それでも強い想いが込められた決死の抵抗だった。


「……ふざけるな、です」


 ギリ、と深く俯いたルリカが歯軋りした。


「アラヤ、このクソ野郎の居場所を教えてください……っ! ルリカは、この外道を殴り飛ばさないと気が済まないっ!!」


 その声は、震えていた。

 溢れ出す憤怒の激情を抑えるような、熱い響きを伴って。

 血が滲むほど強く閉じられたルリカの拳には、あやとりが握られていた。


「新谷さん、僕からもお願いします。それに、界力石の盗難を手引きした内通者は豊田隆夫なんです。この情報は何よりも優先するべきです!」

「……そうだね、その通りだ」


 低い声で、新谷は言った。

 飄々とした新谷零士にしては珍しく、剥き出しの感情を瞳に浮かべて。


「後悔させてやろうか、僕達を本気で怒らせたことを」



      ×   ×   ×



 とよたかは深夜の関越自動車道をひたすら北上していた。


 東京から埼玉県、群馬県を抜けて新潟県へと繋がっている高速道路を、豊田は知り合いから借りたスポーツカーで駆け上がる。

 車体は低く改造され、強烈な黄色いヘッドライトが地面を舐めるように照らしていた。マフラーを改造しているのだろうか。エンジンを回す度に不自然な重低音が辺りの山々に響き渡る。


 現在地は群馬県利根郡。丁度、県の中央辺りだ。高速道路の高架周辺は山々に囲まれており、深夜になると周囲の森は完全に夜の闇に沈んでいる。夜闇を散らす等間隔に並べられた路灯の光だけが頼りだった。


 眠気を覚ます意味も込めて、豊田は車内のスピーカーを使ってヘヴィメタルを大音量で流している。当然車の外にも音は漏れており、ここが街中であれば通行人から視線を集めることは間違いない。だが豊田隆夫は、そんな低俗の視線などいちいち気にするような殊勝な性格の持ち主ではなかった。


「……ったく、どいつもこいつも無能ばかりだ」


 乱暴にアクセルを踏み、更に速度を上げる。すでに時速120キロに到達していた。シフトレバーを変え、エンジンブレーキを利用して急カーブを曲がり切る。

 いくら深夜とは言え、不自然なほどに高速道路には車が走っていなかった。だが先を急ぐ豊田隆夫は特に気にすることはなかった。


 輸送中の界力石の強奪。

 この手引きをしたのが、豊田隆夫だった。


 報酬が良かった。依頼主からは取り敢えず数年くらいは遊んで暮らせそうな額をもらい、別人の身分と戸籍を用意してもらう予定になっている。

 依頼主の素性は知らない。軽く調査してみたが、六家界術師連盟の関係者ということしか掴めなかったのだ。何やら連盟の中でも不穏な動きがありそうな気配を感じたが、それは豊田隆夫には関係のないことだ。深入りするつもりはない。


 界力省の役人でも不満はなかったが、高官という立場は正直窮屈だ。豊田隆夫は社会的な地位には固執しない。それよりも刹那的な快楽を享受している方が何倍も充足感を覚える人間だった。歳森第一分家出身としては最低限の役目は果たしたのだ。これからは自分の好きに生きていくつもりである。


 それに豊田隆夫は世間的には黒幕によって行方不明にさせられた被害者として認識されているのだ。最悪、何らかの不都合が起きて界力省の役人に戻りたくなっても、言い訳次第ではどうにでもできるという確信があった。


 豊田隆夫が黒だと知っていそうな人物は、ここ数週間を使って全員口を封じた。依頼主から報酬が支払われるのはもう少し後だ。あとはほとぼりが冷めるまでは息を潜めて隠れれば万事が上手くいく。


 まずは新潟にある隠れ家に向かうつもりだった。そこで最低限の準備をしてから、次の場所へと向かう。完璧な計画だ。豊田隆夫は笑いが止まらなかった。


 だからこそ、豊田隆夫は全く予想していなかった。

 まさか、自分が何者かの手によって妨害されるなどとは。


 道路の先。

 路灯が弱く照らすそこが、目を刺すような光と共に紅蓮の炎の包まれる。


「ッ!?」


 豊田隆夫は驚愕に目を剥いた。


 だが、思考の硬直は一瞬だけ。

 すぐに立ち直り、豊田隆夫は界力術を発動する。紫色のこうを放つ右腕を掲げて天井に刻印術式を投影する。


 ボゴォッ!! という何かを殴るような音と共に車の天井が吹っ飛ぶ。身体強化マスクルを使った豊田隆夫が、穴の開いた天井を更に貫くように跳び上がって車から脱出した。


 スポーツカーは横滑りしながら炎の渦へと突っ込んでいく。エンジンに引火したのだろうか。腹の底まで響くような轟音と共に、一際強烈な爆風が辺りに吹き荒れる。上空で様子を見ていた豊田隆夫の近くまで部品が飛んできた。


 数瞬後、豊田隆夫の体は重力という鎖によって道路へと勢い良く引っ張られる。


 時速120キロ以上で爆走していた車から跳び上がったのだ。いくら実力カラーが紫色とは言え、身体強化マスクルだけでは地面に体が触れた瞬間に新鮮な挽肉になる。それに慣性によって、体は車の進と同じ方向へと流れているのだ。このままでは道路に咲いた炎の花に吸い込まれてしまう。


「っ、面倒だなあ!!」


 毒突きながらも、豊田隆夫はベルトから掌サイズの直方体にカットされた界力石を取り外した。精神内に存在する術式保管領域に存在する術式を、界力石へと投影する。即席でそうを完成させたのだ。


 界力武装を釣りのような格好で振り下ろす。ビュッ、と紫色の界力光が一条に束ねられ、鞭のように撓りながら路灯の一つに巻き付いた。界力光で編まれた弾力性のある紐が伸びきったところで、豊田隆夫はそれを思い切り引っ張った。

 まるでサーカスの空中ブランコを飛び移るような挙動だ。極大の遠心力によって豊田隆夫の体は更に勢いを増し、射出されたように炎の花を飛び越える。


 更に連続して、豊田隆夫は加工を施した革靴に術式を投影した。革靴の裏から紫色の界力光が伸び、まるでスキー板を履いているような格好になる。


 そのまま身体強化を使いつつ、地面へと足を付けた。

 ガリガリガリガリッ!!!! と、紫色の燐光を火花のように散らしながら即席で生み出された界力の板がコンクリートの表面を削り取っていく。豊田隆夫はスキー選手が斜面で止まるように足の裏を平行に並べ、体重を後ろに掛けることで前方に倒れないようにバランスを取った。


 二十メートルは滑っただろうか。

 コンクリートに太い轍を刻み込んだ豊田隆夫の体は、遂に制止した。


 車を脱出する時から、道路へ鮮やかな着地を決めるまでに、豊田隆夫は数々の達人技を披露していた。ここに刻印術式を使う界術師がいたならば、立ち上がって心の底から拍手を送っていたことだろう。それほどまでに、豊田隆夫が何気なくやってのけたことは凄まじい技能の連続だったのだ。


 やはり、この辺りは腐っても界力省の役人に選出されるだけの実力の持ち主という訳か。


「……で、あいつらか」


 豊田隆夫は、先ほどまで炎の花が咲いていた場所を見詰める。

 そこには、二つの人影があった。


「(……ガキか? 何者だ?)」


 眉間に深い谷を刻んだ豊田隆夫に対し、少し離れた位置で立ち止まった少女は鋭く言い放つ。


「ルリカは、絶対にお前を許さない」


 声は高く、口調もどこか少女らしさが拭い切れていない。

 だが。


「……おいおい、まじか」


 向けられた視線は、ぞっとするほどに苛烈だった。瞋恚しんいの炎でぎらついた双眸が大きく見開かれる。その様子は年端もいかない少女のものではなく、親のかたきを討とうと狩人に立ち向かう狼のような野生の獣を想起させた。


 少女は、胃をキリキリと締め付けるような威圧感と共に一歩踏み出す。


「覚悟しろです、外道。骨も残らないと思え」

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