第4話 実用化への気運

 ※前回のあらすじ


 禁術『森の王』を発動するために必要な界力石が界力省から盗まれた。真相を調査するため、新谷零士と別れたなぎかいくろがねとルリカと共に行動を開始する。


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 三人は木々が生い茂る歩道を抜けて、噴水広場へとやって来た。


 平日の午後という事で人の姿はまばらだ。木々がなくなって景色が広がったことで、再び視界には高層ビルが飛び込んでくる。広場には数羽の鳩がいて、見つけるや否やルリカは飼い主が投げたフリスビーを追いかける犬のように駆け出して行った。


 九凪皆は待ち合わせしている人物を探す。


 その人は広場に端に置かれたベンチに座っていた。何やら細かい手作業をしているのだろうか。真剣な顔で膝に置いた本に目を通しながら、手を動かしていた。


 飽きずに噴水の周りで鳩を追いかけ回していたルリカを捕まえてから、九凪は黒鐘と一緒にその人物の前へと移動する。どうやら近づいてくる三人に気が付いたらしい。男性は手作業を止めて顔を上げた。


 ぴょろぴょろとした気弱そうな雰囲気の男性だ。顔に覇気がないせいか歳よりも老いて見える。糸目には和やかな笑みが浮かんでおり、人の良さを伺わせた。


「あなた方は……?」

「先ほど連絡致しました、名桜の黒鐘です」


 黒鐘が一歩前に出て名乗り出る。すると男性は安心したように表情を和らげた。


「そうか、あなた方が……川島です、どうぞよろしく」


 川島は膝の上に広げた本が邪魔で立ち上がれなかったのか、座ったまま申し訳なさそうに頭を下げる。続いて九凪とルリカが自己紹介をした。


「……あやとり、ですか?」


 黒鐘が川島の膝に乗せられた分厚い本を見て訊ねる。どうやらあやとりの解説本らしい。実際に川島が糸を手に絡ませているところを見ると、九凪達を待っている間にも練習をしていたのだろう。


「ええ、娘が最近ハマっているようなのでこうして練習しているんですよ。単身赴任でこちらに来ているので、休日に帰った時に少しでも娘と一緒に遊ぶ時間を作ろうと思いましてね」

「なあなあ、これなーに?」


 ルリカが覗き込むようにして川島の手を見詰めていた。


「あやとりだよ、お嬢ちゃん。知らないかい?」

「名前だけなら聞いたことがあります!」

「そうか、なら」


 会話を続けながら、川島はするすると器用な手付きで糸を操っていく。かなり練習したのだろう。その動きには一切の迷いがなかった。娘とどちらが先に完成させられるかタイムアタックで競争しているのかもしれない。


「ほら、これで完成だ」

「おお、すっごい!! どうなってるんですか!?」

「更に、こうして、こう!」

「おお! おおっ!!」


 川島が連続で技を披露する度に、ルリカはキラキラと両目を輝かせた。その反応に気を良くしたのだろう。川島は満面の笑みで技を出し続けた。


「それを教えてください! ルリカもやってみたいです!!」

「なら、まずは初級から」


 ベンチの上に正座したルリカに、川島は丁寧にあやとりを教えていく。その姿は楽しげであり、休日に娘と仲良く遊んでいる時の様子が容易に想像できた。


「スミちゃんとナギサンも来てください! 一緒にやりましょう!!」

「分かりました、隊長……九凪さんは、川島さんから話を聞いてください」


 後半は小声で言い、黒鐘はルリカへと歩み寄る。

 本来なら名桜の正式な構成員である黒鐘が川島から話を聞くべきなのだが、ルリカを無視すれば拗ねてしまうと直感して役割分担を提案したのだろう。まあ、単にサボりたかったのかもしれないが。


「……む、これ結構難しいんですね」


 両手に糸を絡ませながら、無機質だった黒鐘の表情がわずかに曇る。意外と負けず嫌いなのかもしれない。必死そうに本と手元を交互に見ている。


「ヘッタだなぁー、スミちゃん。ここはこうするんですよ」

「……、」

「こんな事もできないなんて、スミちゃん実は不器用ないたたたたたっ! 痛い、痛いよスミちゃんっ!! 無表情で頭の両端をぐりぐりするのやめてっ!!」


 楽しげにじゃれ合う黒鐘とルリカは、仲の良い姉妹のようだ。

 二人の様子を微笑ましそうに眺めていた川島の隣に、九凪はメモ帳を取り出して腰を下ろした。


「では川島さん、界力石盗難の件について詳しいお話を聞かせていただいてもいいですか?」

「ええ……と言っても、界力安に話した以上の事はお話できませんけどね」


 川島は、界力石輸送の責任者であった界力省の役人、とよたかの秘書をしていた人物だ。本来なら豊田隆夫本人から話を聞きたかったのだが、それは不可能である為、秘書である川島に詳細を聞きにきたのである。


 現在、豊田隆夫は行方不明なのだ。

 界力石の盗難に関して何か知ってはいけない情報を知ってしまった為、黒幕から消されたというのが新谷零士の予想だった。


 九凪の質問に対し、川島は知っている限りのことを全て教えてくれた。

 界力石の輸送の段取りや、それを決めた人物に経緯、当日の様子に輸送先の情報。だが、そのどれもが界力安に提出されている情報と寸分違わず同じだった。


 だが、一つだけ。

 川島は疲れたような溜息と共に、ぽつりと教えてくれた。


「……これは内密でお願いしたいんですけどね、正直な話、僕は豊田さんが行方不明になってほっとしてるんですよ」

「……え?」

「秘書としては許されない発言なんですけどね。でも、豊田さんは典型的な分家出身の界術師でしたから。何というか、その、僕の扱いが酷くて……」


 始まりの八家には、それぞれの本家の下に複数の分家が存在する。

 本家の人間は六家連盟を運営し、今後の界術師の方針などを決定するなど、界術師の中では絶大な権力と発言力を有している。分家にも本家ほどではないが、それなりの権力と特権が与えられていた。


 例えば。

 界力省の役人のほとんどは本家や分家出身、または縁のある界術師だ。これは意図して仕組まれた状況である。他にも界力安や六家連盟の職員、六家と縁の深い企業などには分家出身の界術師が就職しやすいという事情がある。


 もちろん、これらの情報は公言されたものではない。だが界術師だけではなく日本人なら誰もが実感している常識となっていた。それほどまでに、六家界術師連盟とは大きな権力を有しているのだ。


「理不尽に怒鳴りつけられるなんて日常茶飯事でしたし、殴られたこともありましたね。僕の前には何人も秘書が辞めているという話らしいですよ。僕も家族がいなければさっさと辞めていましたね」

「……それは、大変でしたね」

「それに僕はとしもりでも末端の第四分家の関係者というだけですし、界力武装の製造しか能のない『職人』です。豊田さんは歳森第一分家出身で戦闘メインの界術師でしたから、武器しか作れない僕のことを見下していたのかもしれませんね。歳森家の中ではよくあることなんですよ、職人と戦闘員の確執というのは」


 始まりの八家が一つ――としもり。生み出した方式は『刻印術式』。

 界術師の精神内に存在する術式構築領域で組み上げた術式を、現実世界に刻印として投影する。あとは『起点』から界力を流し込めば、刻印に込められた術式が発動するという方式である。

 一度術式を刻印すれば界力を流し込むだけでいいという特性を生かし、そうの製造も行っている。川島のように界力武装の製造を専門に行う界術師は『職人』と呼ばれていた。


「せっかくなので、見てくださいよ」


 川島は翡翠ひすいのように緑色に輝く界力石を取り出した。辺りを見回してから、その手に橙色の界力光を宿して界力光に触れる。すると界力石が柔らかい光を発し、軽やかなピアノの旋律が流れ始めた。


「……すごい」


 九凪は瞠目して、界力石を見詰めた。


「現在の技術で音楽を録音しようとすると、アナログをデジタルに変換する際にどうしても情報量が欠落しますよね。だから音のリアリティや温かみが失われていると言われています。もちろん、カセットテープやレコードのようなものを使えばその限りではありませんが。……そもそも、カセットテープやレコードって知ってます?」

「……名前だけなら、なんとか」


 過去の記憶がないこともあり、九凪はカセットテープやレコードを写真でしか見たことがない。二つとも知識の中の存在だった。


「レコードは音の波をそのまま、カセットテープは音の波を磁気として記憶することで音をアナログで保管します。この界力石は刻印術式を使って、詳しい説明は省きますが、音をそのまま吸収するように術式を刻印しています。これによって音のアナログ保存を実現しているんですよ」


 得意げな声音で、川島は解説していく。


「僕は戦いが嫌いですから。それに今は界力の実用化への気運が高まっています。なら、いっそ界力を生活に役立てるような研究をしてやろうと思いまして。おかげで分家では変わり者扱いされますし、豊田さんには馬鹿にされてましたけどね」


 川島は界力石を操作して、ピアノの旋律を止める。


「ですが、問題点は山積みです。界力石だって貴重な鉱物で非常に高価ですし、僕の組み上げた術式がどれだけの量の音を保管できるのかも不明です。それに界術師しか扱えないというのも問題ですね。色々と改良の余地ありですよ」


 話を聞きながら、九凪は午前中の八地直征との会話を思い出した。


 界力という技術を、どう扱っていくか。


 八地は人間が界力を正しく使えないと危惧していたが、やはり九凪は界力の技術をもっと公にしていくべきだと思ってしまう。川島のように生活を豊かにする為に研究している人も多い。それを生かさない手はない筈だ。


 だがこれは、裏の裏まで知り尽くした八地直征と、世間を知らない九凪皆の発想の違いなのだろうということは理解していた。


 何が正しいかという意見は、その人の経験や思想によって千差万別だ。


 九凪皆と八地直征という二人でさえ正反対なのだ。

 全員が正しいと思えることなんて、やはり存在しないのだろう。


「そろそろ時間ですね、僕は仕事に戻らないと」

「川島さん、色々とありがとうございました」

「いえ、こちらも有意義な時間でした……豊田さんに関してですけど、何やら怪しい連中との繋がりもありましたから。今回の界力石輸送にしても、きっと欲に目が眩んで深入りし過ぎたのでしょう。賢明な人ではありませんでしたから、足下を掬われたとしても不思議じゃないです」


 今まで相当な恨みが積もっていたのだろう。豊田隆夫のことを口にする川島の顔には深い陰翳いんえいが刻み込まれていた。


 川島が立ち上がったことで会話の終わりの察したのか。黒鐘がルリカの分と一緒にあやとりと解説本を川島に返そうとする。しかし、川島は首を横に振った。


「それは差し上げますよ。あやとりは他にも持っていますし、本の内容も覚えてしまいましたから」

「ホント!? ありがとうっ!!」


 ぱぁと顔全体に眩しい笑みを咲かせたルリカは弾むような声で言う。

 川島は黒鐘と九凪に会釈してから、仕事へと戻る為に噴水広場を去って行った。


「人の良さそうな方でしたね」


 ベンチに座って再びあやとりに熱中するルリカから離れながら、黒鐘は九凪へと近づいてきた。


「ええ、本当に」

「捻くれた九凪さんとは大違いです」

「……悪かったですね」


 ふてくされる九凪を尻目に、黒鐘は携帯端末を取り出す。


「零士さんからの指令です。九凪さん、電車で九天駅に向かってください。先に帰って準備をしておいて欲しいとのことです」

「分かりました。了解の旨は、僕から新谷さんに連絡しておきます」


 今日の夜、角宮恭介と草薙二郎が潮見晃のマンションへと奇襲を仕掛ける予定だった。実働部隊は二人だが、九凪と新谷はそのバックアップを担当する予定になっている。


「では、また明日。お気を付けて」

「じゃあねナギサン! 頑張ってください!」


 二人に見送られる格好で九凪は噴水広場を後にする。

 日比谷通りを北上し、地下鉄日比谷駅へと向かった。

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