第3話 それは一輪の花のような

 ※前回のあらすじ


 禁術『森の王』の発動に必要な界力石が界力省から盗まれた。事件の真相へと近づくためになぎかいあられいと共に界力省の高官――なおまさから情報を入手する。しかし、何やら裏で怪しい動きがあるらしい。


 危険を承知で新谷零士は調査を続行する。


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 昼食を取った後、新谷零士とは別行動になった。


 八地直征から得た情報を精査して今後の調査の方針を立てるためだ。ルリカと黒鐘明日美以外の部隊のメンバーは新谷の指示を待っている状態だ。一刻も早く部隊を動かして捜査を開始したいのだろう。


 それよりも痺れを切らしたひさかたに脅されたのかもしれない。今回の調査では名桜と共に玖形由美も動く予定だ。落ち着きのない玖形のことだ。いつまでも連絡のないことに苛立ってるのかもしれない。


「それじゃ! レッツゴー!!」


 ととと、とルリカが元気良く歩道を駆け出ていく。二つに括られた短い髪がぴょこぴょこと撥ねるのを見ながら九凪と黒鐘は並んで歩いていた。霞ヶ関二丁目の交差点を東に曲がり、高層ビルの隙間を歩いていく。


 目的地は日比谷公園。そこで界力石輸送の関係者の一人と待ち合わせしており、詳しい話を聞くことになっていた。


「九凪さん、質問してもいいですか?」


 黒鐘が無機質な表情で訊ねてきた。九凪は首肯する。


「どうして、高校には行かなかったんですか?」

「……特に、理由はありませんよ。ただ何となくです」


 逡巡を挟んでから、九凪は目線を逸らして答えた。


「中学まで通いましたけど、正直あんまり楽しくありませんでした。勉強に苦労したとか、学校に馴染めなかったとか、そういう訳じゃないんですけど……」

「コミュ障なんですか?」

「違います。ちゃんと友達もいました」

「その友達とは、今も連絡を取っているんですか?」

「……、」

「残念ですが、それは友達ではありませんね。ですが安心してください、私も大学に友達はいませんから」

「そんな悲しい同情はいりません!」


 別に九凪はコミュニケーション能力に不足があるという訳ではない。界術師としての能力を隠しながら学校生活を送ることも問題なくやってのけた。その辺り、九凪はそこそこ器用なのだ。


 学校生活の居心地が悪かった理由は他にある。


 九凪皆には、過去の記憶がない。

 正確には九天市に来る前の記憶を完全に喪失している。


 それは、九凪皆という存在を支える『土台』がない事と等しい。

 高い所にぶら下がったはいいが、足下の地面が急に消失したような状況。

 何を、どれだけ積み重ねても、全てを実感できない。


 何故ならば、九凪皆の人生には土台がないから。地面がないから。


 積み重ねようとする度に、先に進もうとする度に。

 せっかく手に入れた何かは、足下から闇に落ちていく。


 どうしてこう感じるのか、この考え方に至ったのか、そのきっかけを知らない。自分という人間がどういう風に作られてきたのかを知らない。言うなれば、九凪は自分という人間の『正体』を知らない。


 自分は、一体何者なのか。

 どういう人間なのか。


 生き方や考え方の『根源』を消失した九凪にすれば、他人も自分も変わりない。


 九凪は、自分の意見に固執しない。いや、固執できないと言った方が正しい。

 それが本当に自分の想いだという確証がないから。その願いが自分の心から湧き出た純粋なものだと思えないのだ。過去を失った九凪は、胸の中にある想いが自分のものなのか、それとも他人から借りてきた都合の良い言い訳なのか、判断することができなかった。


 吹けば掻き消える煙のような意識。

 瞼を閉じて眠った瞬間に、自分という存在の輪郭が溶けてなくなってしまうという感覚に何度も襲われている。


 つまるところ、九凪皆は自分が自分であるという実感に乏しいのだ。


 そのせいで、九凪は自分を取り巻く全てのモノが空虚に感じられた。腹の底から笑ったり、心の底から怒ったりする事ができない。周囲で起こる出来事は、全て分厚いガラスを挟んだような状態でしか見られなかったのだ。


「何というか、僕は学校生活を楽しめなかったんです。みんなが笑っている時も、悲しんでいる時も、どうしても同じ気持ちになれなかった。始めは無理やり周りに合わせてました。でも、それも苦しくなって途中で止めました。僕には向いてなかったんですよ。こうして新谷さんの仕事を手伝っている方が気楽です」

「だからこのコミュ障は高校にも行かずにニートをしているとそうですか」

「話を聞いてましたか、僕はしっかり働いています」

「身内のぬるま湯に浸かって満足しないでください、この若年無業者が。社会の荒波に溺れてから偉そうな顔をして欲しいものです」

「……黒鐘さん、なんか僕に恨みでもあるんですか?」


 どうやら、何としてでも黒鐘は九凪のことを小馬鹿にしたいらしい。相変わらず抑揚の少ない声だが、その声音はいつもより弾んでいるような気がする。


「真面目な話をすると、高校くらいは卒業しておいた方がいいと思いますよ。最終学歴が中卒では将来的に色々と困る場面が出てきますし」

「……それ新谷さんにも言われたんですけど、そんなにマズいんですか?」

「普段は適当に九凪さんをからかって遊んでいるわたしでさえ、割と真面目に忠告しようと思うくらいには」


 つまり、黒鐘は冗談ではなく本気で警告しているらしい。


 別に、九凪も迷わなかった訳ではないのだ。

 だが、何となく高校へと進学する他の中学生とは、九凪の背負っている事情は天と地ほどの差がある。一般企業に就職する気は毛頭ない九凪にとってただ体裁を守るためだけに高校に進学する理由がなかった。


 目標も、夢も、他人に胸を張って語れるようなものはない。


 そもそも、自分という認識が薄い九凪は、そういう眩しいものとは縁遠い存在なのかもしれない。目標も夢も、自分は他人とは違って、これだけのことができると周囲に示したいという願望が元になっている筈だからだ。自分の本当の願いすら見つけられない九凪には理解できないものだろう。


 自分は界術師として戦うという生き方が、一番向いている。

 それだけは、きっと間違っていない筈だ。


 それに九凪は、新谷や玖形の仕事がない時は、名桜のルリカの部隊で行われる訓練や任務に参加していた。まだ新谷には相談していないが、このまま名桜の一員になりたいという想いをぼんやりとだが抱いている。考え無しという訳ではなかった。


 名桜からしても戦力が増えることは歓迎するだろうし、九凪はルリカの部隊の面々と良好な関係を築けている。特に問題はないだろう。


 しかし、この判断が本当に正しいのかは分からない。

 普段から歳上や大人に囲まれているせいで、同年齢よりは考え方や行動が大人びているという自覚はある。しかし、今日も新谷零士の隣にいて実感したが、まだまだ社会的な常識には乏しい子どもなのだ。とても社会人として一人で生きていくことなどできそうにもない。何年後かに、この判断を後悔するという可能性も捨てきれない。


「(……あれ、なんか不安になってきたぞ)」


 この一件が終わったら新谷に相談してみようか、と九凪は割と真剣に考える。だがまた自分を誤魔化して愛想笑いを浮かべることを想像するとずんと気が重くなった。


 ならばラクニルの高等部に進学すればいいと思うかもしれないが、そういう訳にもいかない。九凪は一度、ラクニルに進学するように新谷に勧められて断っているのだ。


 界術師なのにラクニルに通わないという現状を用意してもらっているだけで新谷零士にはかなりの無理をしてもらっているのに誘いまで断ってしまった。今更、やっぱりラクニルに行きたいとは言いにくい。仮にラクニルに通うことに決めても、今度は山のような書類の処理や金銭的な問題が浮上してくる。あまり現実的な予想ではなかった。


「九凪さんは色々と難しく考え過ぎなんですよ。もっと肩の力を抜いて生きればいいんです」

「……そう言われましてもね」


 こればかりは性格だからどうにもならない。

 それに、考え続けていれば見付けられるかもしれないのだ。誰から借りてきたかも分からない意見の中に紛れた九凪皆の『本当の想い』を。簡単に他人に譲れないそれを知りたいという願望は、胸の奥で確かに燻っていた。


 メモ帳に自分の考えを書くのも、思考をまとめるというよりは、精神を安定させるという意味合いの方が大きい。考えていれば、他人と自分の違いを認識しようとしている間は、これが自分の想いかもしれないという希望を持てるのだから。


「由美さんを真似すればいいじゃないですか。あそこまで何も考えずに脊髄で前にだけ突き進める人はいないですよ。尊敬に値します」

「師匠は反面教師です。真似したら駄目人間になります」


 やはり、性格は簡単には変わらないのだった。


「二人ともー! 早く来てくださいー!」


 かなり先に進んでいたルリカが手を振って九凪と黒鐘を呼ぶ。だが到着を待たずに歩道を外れて日比谷公園へと入っていった。二人も早足で後を追う。


 右手にはレンガ造りの日比谷公会堂がそびえ立ち、左手には硝子張りで現代的なデザインの日比谷図書文化館がある。入り口のY字路を左に向かい、三人は木々に囲まれた歩道を進んでいった。


 通行人はスーツを着たサラリーマンが多い。営業に行くと行ってサボっているのだろうか。疲れ切った顔を見ると、確かに九凪はまだ本当の意味で労働に従事していないのかもしれないと思ってしまった。


「九凪さんの話を聞いたので、次はわたしの話を聞いてください」


 北風にさらわれそうなほどか細い声で、黒鐘が話し始めた。梢の隙間からこぼれた下午かごの陽射しが艶のある白髪の上を滑り落ちる。


「わたしは九凪さんと違って、しっかりと界術師育成専門機関ラクニルに通いました。今も将来に向けて教養を付けるために大学に通っています。九凪さんとは違って」

「……、」


 言葉に棘を感じるが、九凪は無視することで反撃とした。

 だが気にすることなく、黒鐘は希薄な表情で正面を向いたまま続ける。


「先ほども申した通り、わたしには友達がいません。理由は分かっています、こんな性格ですからね。わたし自身も周りに合わせる気は皆無でしたから。いつも一人でした。ですが、それが別に厭じゃなかったんですよ。わたしは学校生活なんてこういうものだって思ってましたから」

「それって、典型的なぼっちだったんじゃ……」

「いいえ、違います。孤独と孤高の違いも知らないんですか? 教養がないのもここまでくると立派ですね。いっそ関心しますよ」


 黒鐘は無表情のまま捲し立てた。どうやら触れてはいけない部分だったらしい。


「……話を戻します」


 話しにくいのか、黒鐘は口許まで覆っていたマフラーを少しずらす。


「わたしは常に周りに壁を作っていました。高くて、堅い壁を。その強度にはかなりの自信がありました。誰も入ってこられない鉄壁。ですが、それを悠々と越えてきた少女がいました。そう、隊長――ルリカです」


 黒鐘は離れた位置のルリカを見据えた。こちらの状況はいざ知らず、ルリカは旋風つむじかぜによって舞い上げられた枯葉を掴もうと真剣な顔でジャンプしている。あまりに能天気な光景に、九凪は微笑ましい気持ちになった。


「始め、わたしは隊長のことを拒絶すると思いました。今まで誰も入れてこなかった領域に土足で踏み込んできたんです。思いっきり突き放してやるつもりでした。でも、できなかった。受け入れてしまったんです、隊長を。しかも無意識の内に。驚きましたよ、何かしらの界力術を使われたと錯覚したほどです。きっと隊長には他人の心に入り込む才能があるんでしょうね」


 表に出すのは癪であり、九凪は心の中で頷いた。思い当たる節があったから。


「何事にも真っ直ぐで、純粋で、ドジで、頑張り屋さんな隊長のことが、わたしは大好きです。多分、部隊の他のメンバーもみんな隊長のことが大好きな筈です。この部隊は隊長を中心にみんなが繋がっていますから。……ですが、たまに怖くも感じます」

「……怖い? ルリカがですか?」

「はい。先ほど八地直征は、柊グループの事を分からないからこそ恐れられ、崇められていると表現したそうですね。まさしくそうです。わたしは、隊長のことが分からないから怖いんです。どうしてそんなに真っ直ぐなのか、純粋なのか、理解できなくなる時があります」


 赤縁眼鏡の奥にある瞳に、わずかだが翳が落ちた。顔を伏せた黒鐘は罪の意識を隠すようにマフラーで口許を覆う。


「わたしには、隊長が眩しくて、怖い。……すいません、喋り過ぎました。駄目ですね、冬になるとどうも気分がセンチになります。忘れてください」

「そんな明らかな弱みを忘れろと言われましてもね。僕の性格上それは難しいと言いますか」

「黙れよガキが、大人しく忘れないと殺すぞ」


 無表情のまま黒鐘に凄まれた。力がこめられた両目が、刺すようにじっと九凪を睨み付ける。やはり、どうしても会話のペースを持って行かれてしまう。


「……こほん」


 正面に向き直った黒鐘は、誤魔化すように咳払いをした。


「言い忘れてましたが、わたしは九凪さんの事は怖くありませんから」

「……それだと、黒鐘さんは僕の事を分かっているということになりますけど?」

「ええ、そう言いましたよ」


 言い切ると、黒鐘は九凪よりも少し前へと歩みを早めた。


「短くない付き合いなんです、これでも九凪さんの事はそれなりに分かっているつもりです……それに、」


 くるり、と黒鐘は白いロングスカートを翻しながらターンを決めると、すっと静かに九凪を見詰める。少しだけ頬を緩めて、くすりと目許を和ませた。


 それは青々とした草原に咲いた一輪の花のようにさりげなく、しかし無表情な黒鐘にしては珍しい、木漏れ日のように暖かい確かな微笑だった。


「本当に嫌いな相手なら、こんなに容赦なくからかったりしませんよ」

「っ」


 不覚にも。

 九凪皆は、黒鐘明日美の浮かべた微笑みに心を撃ち抜かれてしまった。


 思わず足を止めた九凪など歯牙にも掛けず、黒鐘はすたすたと先に歩いて行く。その背中はどこか得意げで、勝ち誇ったように自信に満ちていた。


「……くそ、これだから」


 九凪皆は、くろがねが苦手なのだった。

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