第2話 界力省
※前回のあらすじ
禁術『森の王』を発動するために必要な
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
界術師に関係する行政の一切を執り行う国の行政機関である。
九凪皆は新谷零士と共に界力省の一階にある喫茶スペースにいた。界力石盗難事件に関しての情報をもらうために『ある人物』を待っているのだ。ちなみに、黒鐘明日美とルリカは少し離れた席で待機してもらっていた。真面目な話にルリカが耐えきれないという新谷の判断の結果である。
緊張した面持ちで待っていると、一人の男性が近づいてきた。
歳は五十代前半くらいだろうか。
新谷が立ち上がって軽く一礼する。九凪もつられるように真似をした。
「堅くならないでくれ。これは仕事じゃないんだから」
八地の顔に人を安心させるような笑みが浮かぶ。九凪は少し緊張が解けるのを感じた。居住まいを正した新谷が、八地と力強い握手を交す。
「お久しぶりです、
「ああ、三ヶ月ぶりくらいかな。
渋い声で言った八地が、荷物を空いた椅子の上に置いて着席する。それを確認してから二人も腰を下ろした。
あらかじめ注文しておいたホットコーヒーが運ばれてくる。冷たい手にカップの暖かさが染み込んでいく。九凪は渇いた唇を湿らせた。
ティーカップをテーブルに置いた八地は細長く息をついた。それを見た新谷が気遣うような表情で訊ねる。
「最近はお忙しいんですか? 随分とお疲れのようですが……」
「いやいや、季節の変わり目だからね、老体には堪えるというだけだよ。もう前線からは退いてるんだ。俺が忙しいと言ったら部下に怒られてしまう」
八地直征は、若い頃は
特殊部隊時代の負傷が原因で、現在は前線部隊からは引退していた。教官として次世代を育成しながら、界力省の役人として高度に政治的な案件を担当している。思慮深さと敏腕を買われ、将来は政治家として政界に進出するのではと噂されていた。
「近頃はアメリカやロシアといった大国からの圧力が強くなってきているんだ。外務省と連携して必死に受け流している状態だが、界力の実用化が進めば更に状況は厳しくなるかもしれないな」
「そんなに状況が悪いんですか?」
「ああ。だが無理もない。日本にだけ石油や天然ガスに代わる新エネルギーが存在しているんだ。外国からすれば面白くはないだろう?」
界術師は日本にしか生まれない。理由はまだ分かっていなかった。
十年ほど前までは、ここまで外国からの圧力を受けていなかった。それは界力術というものが特殊過ぎる技術であり、一般社会で利用できないとされていたからだ。
しかしここ数年で界術師との共生という考え方が一気に浸透し、界力の一般社会での実用化が急激に現実味を帯びてきた。その結果、日本だけが界力の利益を得るのはおかしいと海外から不満の声が上がってきているのである。
「来月、界力を使った新製品の発表会が行われるのは知っているかい?」
「ええ、ニュースで連日話題になっていますから」
「運営には俺も関わっているんだが、この発表会は日本へと向けられた外国の不満に対するガス抜きのような意味合いも込められている。当日は海外メディアも多くやって来る。成功すれば少しは外交も楽になるだろうし、何とか上手くいくといいんだがね……」
八地は眉を曇らせた。
何か懸案事項でもあるのだろうか。残念ながら政治に関しては普通の高校生程度の知識しかない九凪には、それが何を指しているのか分からなかった。
「それに外にばかり意識を向ける訳にもいかない。内でもゴタゴタが多いんだ。六家連盟は相変わらず秘密主義で情報を表に出したがらない。柊グループも何やら不穏な動きがあるみたいな情報が入ってきている。まったく、少しは安らかな時間をくれないものかね」
「僕達の役目は、内側の揉め事を裏側から消火することです。今回のお願いも、そういったゴタゴタを解決する為のものですから」
「頼りにしてるよ。俺は完全に表の人間だ。裏からでないと救えない人間がいるということを、俺は知っているからね。そういう面では、柊グループも一概に悪だとは言えないんだ。彼らもまた、ある意味では正義であり、きっと誰かを救っているから」
闇の組織として認知され、悪名高い柊グループだが、過去には多くの人を救ってきたという事例も存在する。
「分からないから怖いとは言ったものだ。輪郭がはっきりとして、正体が知れていれば、誰も柊グループをここまで恐れたり崇めたりはしていないだろう。一度でいいから柊グループの創設者と話してみたいね。始めからこのような状況になることを想定していたのであれば、相当の才覚の持ち主だ。有意義な議論ができそうだよ」
不意に腕時計を見た八地が渋い顔になる。
「すまない、話し過ぎた。では本題に入ろう」
そう言うと、八地は鞄の中からUSBメモリを取り出した。
「依頼された通りの情報が入っている。時間が掛かって申し訳なかった」
「とんでもありません。ありがたく頂戴致します」
「なに、持ちつ持たれつだ。零士君には何度もいつも世話になっている……だが、少しだけ気をつけた方がいい」
USBを受け取った新谷に向かって、八地は真剣な顔で告げる。その表情はあまりにも真に迫っており、九凪の体は思わず息を飲んだ。
「何やら不穏な動きがある。俺にはその正体が分からなかった」
「何か、妨害を受けたんですか……?」
「いや逆だ。情報が簡単に手に入った。違和感を覚える程に簡単にな。時間が掛かったのはその違和感の正体を調べていたからだ……結局、分からず仕舞いだったが」
「……、」
新谷は難しい顔でUSBを見詰める。
八地直征でさえ正体の掴めない影がちらついているのだ。裏社会で名を馳せている新谷零士には事の重大さが正確に理解できているのだろう。
「情報の正確さについては俺が保証する。だが、そいつを使う時は注意した方がいい。森の中に落ちている果物に飛びついた動物がどうなるか知っているか?
「いえ。ご忠告、確かに心に刻み込んでおきます」
新谷は八地に断りを入れると、立ち上がってルリカと黒鐘が座っているテーブルへと近づいていく。データを確認するのだろう。黒鐘がパソコンを起動させて待っていた。
「……
「は、はい」
不意に名前を呼ばれて、九凪は思わず姿勢を正してしまう。それを見た八地はふっと唇を和ませた。
「零士君から話だけは聞いているよ。優秀な界術師なんだってね」
「恐縮です、八地さんにそう言っていただけるなんて」
八地直征が凄腕の界術師というのは、何も特殊部隊に属していたからという理由だけではない。いくつも伝説を抱えている八地直征だが、何より『固有術式』を持っているという事実が実力を裏付けしていた。
界力術に名前が付く場合には二種類ある。その方式を使う界術師全員が使えるような汎用性が認められた場合か、その個人しか発動できないような特殊な術式である場合か、だ。
後者の場合で名前が与えられた界力術は、特別に『固有術式』と呼ばれた。
固有術式と認められる為には、界力省の公式な会議での決定が必要である。界術師の中には勝手にオリジナルの術式を開発して名付けている者もいるが、それらは正式な固有術式とは言えない。界力省の審査は厳格であり、世の中に多大な影響を与えると判断された場合にしか正式な登録は行われない。
現在では固有術式が新たに認められるのは非常に珍しく、最近では三年に一つ増えれば多い方だった。そもそも固有術式は七十年の歴史の中でも百も登録されておらず、その審査の厳しさと固有術式の重要さが窺える。
「若いのに、しっかりしている。零士君もいい部下を持ったものだな」
コーヒーで唇を湿らせた八地は、暖かい視線を離れたテーブルで作業している新谷零士に向けた。九凪は新谷零士と八地直征の出会いといった過去話を知らないが、二人の間には教師と生徒のような繋がりを感じた。
「
優しげだった瞳に、真剣な光が浮かぶ。九凪は表情を引き締めてから頷いた。
「君は、界術師がこれからどうなっていくべきだと思う?」
「……どう、ですか?」
「難しく考えなくてもいい。俺は君のような若い子の率直な意見を聞きたいんだ」
質問の範囲が広く、九凪はすぐには答えられない。しばし答えをまとめてから、ゆっくりと口を開いた。
「もっと、世間に認められていって欲しいと思います。僕達は界術師である前に、一人の人間です。だったら、界術師だからという負い目を感じずに生きてけるようになれば嬉しいです」
「今よりも、かい? 俺がガキだった頃に比べたら、今だって界術師は世間に受け入れられていると思うが?」
「……僕はその頃を知らないので、そこに関しては何とも言えません。ただ、僕は界力とはただの才能だと思います。楽器が弾ける、絵が描ける、速く走れる……それらと同じ人間の得手不得手の一つでしかありません」
「……ふむ」
「先ほどから新谷さんと話している界力の実用化もそうですが、もっと界術師は表に出て積極的に活躍するべきです。自分が持っている力で社会に貢献できるんです。本来、何も迷う必要なんてない筈なんですよ」
九凪の語る思想は、何も珍しいものではない。若い世代を中心とした界術師との共生を第一に考える現在の主流である。
だが、八地は奥歯に何かが挟まったような浮かない顔をしていた。
「……なにか、お気に障りましたか?」
「いや、とんでもない。皆君の考え方は何もおかしくないよ。ただ、やはり今の若い世代はそう考えるのかと思ってたんだ」
「八地さんは、どうお考えなんですか?」
「俺は、今以上に界術師が社会に進出するべきじゃないと思ってる」
「……え、」
九凪は驚きを隠せなかった。
八地の発言は現在の主流の考え方とは真逆の主張。それが国の行政にすら関わるような立場の人物の口から出てくるとは思ってもみなかったのだ。
「もちろん、低レベルな差別は今すぐにでもなくすべきだ。界術師だから加入を認めない、界術師だから出て行け、みたいなものはな。ただ今よりも界術師が社会に進出すれば、当然様々な界力の技術が公になる。そこには生活を豊かにする類いのものもあるだろうが、中には人を傷付けるようなものもあるんだ。それらが広く一般常識になることは避けたい」
銃などの武器を思い浮かべて欲しい。
確かに、銃には畑を荒らす害獣の駆除や犯罪の抑止力といった正の効果がある。しかし反対に戦争で使われて多くの命を奪ってきたという負の歴史が存在する。武器のように界力の技術が間違った使われ方をされたくない、と八地は考えているのだろう。
「人を殺す『武器』が悪いのではない、武器を使って殺す『人』が悪いんだという反論があるだろう。だが残念ながら、争いという観点から見れば人間は何千年も前から進歩していない。俺には、人間が界力を正しく使えるとは思えないんだよ。界術師が戦闘機やミサイルみたいな兵器の代わりにならないと君はどうして言える? 僕らは体一つで炎を出して突風を巻き起こせるんだ。燃料や金がいる兵器よりもよっぽど使い勝手がいいと思うけどね」
それは最悪な、しかし全く見当違いな予想ではなかった。
いや、もしかしたらすでに八地直征は見てきているのかもしれない。兵器のように扱われて、命を散らした界術師のことを。裏社会の非道な事件と向き合ってきたのだ。そのような経験があってもおかしくない。実感のこもった言葉にはそう想像させるだけの力があった。
「確かに、現状が界術師にとって肩身の狭い状況だというのは理解している。俺も界術師だ、具体的な事例を言っていけば枚挙に暇がない。だが、現状でも社会と界術師がバランスを取れているというのもまた事実なんだ。それが三角柱の頂点に片足で立ち続けているような歪んだ状態でもな」
椅子の背もたれにぐっと体重を掛けた八地が、ふっと表情を柔らかくした。
「だが、これは老人の勝手な願いなんだろうね。過去が良かったなんて言いたくはないけど、どうしても思ってしまうものなんだよ、この歳になると。だけど、界力には公にするべきではない秘密が多いこともまた確かなんだ。例えば、」
八地は囁くように声を潜める。
「メソロジア、とかね」
「……め、めそ……?」
「知らないのならばそれでいい。俺はそれの片鱗を味わった。もし本当にあれがメソロジアの一部なのだとしたら、あれは絶対に社会に出してはいけない類いのものだよ」
目を伏せた八地は苦々しく言い捨てた。
事情を知らない九凪は、ただただ首を傾げることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます