第1話 界力石盗難事件

 東京都千代田区霞ヶ関。

 赤坂、虎ノ門、西新橋の区境にあたる場所だ。行政機関の庁舎が建ち並んでおり、文字通り日本の中心である。高層ビルが聳え立つ摩天楼はこの地区が発展している事を示し、庁舎が多いせいか雰囲気も厳かなものがあった。


 霞ヶ関一丁目交差点に、なぎかいはやって来ていた。


 服装も今日はスーツに黒のビジネスコート。雰囲気は大人びているがまだ16歳でどちらかと言えば童顔だ。ビルの窓に映る自分の姿を見て服装と見た目が馴染んでいないような違和感に襲われる。新品のスーツを着た就活生の方がまだ似合っているだろう。


 すぐ隣には片道四車線の道路が真っ直ぐ伸びている。確か桜田通りだったか。東京駅まで電車で一時間以内の九天市に住んでいるが、九凪はほとんど都内へは行かない。そのせいで未だに土地勘はなかった。


 時刻は午前十時。

 ようやく太陽が空へと上ってきてくれたおかげか、明け方の切れるような寒さはなくなっている。しかし太陽の恩恵が掻き消されているように空気は冷たく、ビルの合間であるせいか普段よりも頬を撫でる北風も強いように感じる。九凪は揺れる前髪を手袋を嵌めた右手で押さえた。


「ごめん、皆くん。待たせちゃったね」


 しばし待っていると、高層ビルの中からあられいが出てきた。普段から服装には気を使っている新谷だが、今日は一段と気合いが入っているように見えた。それだけこれから面会する人物の立場が上だということだろう。


 新谷と九凪は歩道を北に向かって歩き始める。取り敢えずは本日の同行者と合流する為に地下鉄の出口へと向かうのだ。

 街路樹の葉は完全に落ち切ってしまい、冷え切った梢が乾燥した空へと伸びている。もう十一月も末だ。そろそろ短かった秋も完全に終わりなのだろう。


「……せきの盗難、か」


 ぽつり、と九凪は呟きを漏らす。


 二週間ほど前、新谷零士と玖形由美と共に、九凪は『森の王』の術式資料があけみねの資料館から盗まれた事件の調査を行った。結果的に術式の資料は二つとも盗まれてしまい、更に術式発動に必要となる『界力石』までもが界力省から忽然と姿を消した。


 森の王は六家界術師連盟から禁術に指定された危険な術式だ。現実性を著しく欠いており長年放置されてきた。しかし術式の資料と界力石を盗み出したということは、一連の事件の黒幕は森の王を発動できる目処を付けたということだろう。


 発動されれば、半径数キロが炎の海に沈むような規格外の爆弾。

 何としてでも黒幕の正体を突き止めて事件を解決しなければならない。


「界力石って、どういう状況で盗み出されたんですか?」

「輸送中って話だよ。保管場所を変える為に厳重な倉庫から持ち出された所を奪われたらしい」

「……間抜けな話ですね」

「内通者がいたんだね。盗まれた界力石は禁術の発動に使われるような国宝級だ。警備は最大限に厳重だった筈だし、内部に裏切り者がいたとしか思えない」


 高層ビルの影に入った瞬間に、一気に気温が下がった気がした。

 新谷は呆れ気味に続ける。


「事件の規模が一気に膨れ上がったから僕もこうして名桜めいおうとして動くことになった。申請とか許可とか、色々と面倒な手続きのせいでこうして動くのが遅くなったんだ。どこの組織も歪んでいるんだろうね。一人の頃が懐かしいよ」

「個人に戻りたいんですか?」

「うーん、どうだろう。今じゃ僕もそこそこの有名人だからね。昔みたいに吹けば飛ぶような雑草じゃなくなった。それも面白いかもしれない」


 冗談めかして言った新谷は、苦笑いを浮かべて肩を竦めた。


 二人は待ち合わせ場所である地下鉄の出口へと到着する。数分後、スーツ姿のビジネスマンに紛れて浮いた雰囲気の二人が階段を上がってきた。


 一人はルリカだ。名桜における新谷零士の直属部隊の隊長。見た目は完全に中学生にしか見えないが、これでもカイじゅつとしては有数の実力を誇っている。


 ルリカの後ろには、もう一人の女性。


 艶のある白髪はショートカットで、右側の前髪だけ髪留めで分けられていた。赤い縁の大きな丸眼鏡が覆う瞳には硬質な光が浮かび、聡明さを伺わせる。口許まで毛糸のマフラーで隠されおり、病的なまでに白い肌も相まって、気を抜けば見失ってしまいそうな程に存在感は希薄だ。その雰囲気は、まるで書庫の奥に置かれて存在を忘れられた学術書のようだった。

 着ているのは襟にファーが付いたベージュのダッフルコート。足下へは革靴を隠すようにフリルのついた白いロングスカートが伸びている。黒い手袋は携帯端末のタッチ機能に対応したものだろうか。十一月末らしい完全に冬の装いだった。


 くろがね。名桜の一員で、ルリカの部隊に所属する界術師だ。歳は二十一だったか。名桜の一員として活躍しながら都内の私立大学に通う現役女子大生でもある。


 階段を上っている時から、黒鐘はルリカを後ろから抱きかかえるようにぴったりとくっついていた。身長差のせいで、ルリカはほとんど黒鐘に埋もれている。


「ようアラヤ! 来てやったぜ!」

「おはようございます、零士れいしさん。指示通り、隊長を連れてきました」


 溌剌はつらつとした表情で元気一杯なルリカに対し、黒鐘は抑揚の少ない声音で言う。表情も薄く、硝子製のように硬質な瞳からも感情は読み取れなかった。


 新谷の隣に立っている九凪へ、黒鐘がすっと静かに視線を向けた。


「九凪さん、スーツがびっくりするくらい似合わないんですね。学生服の方が良かったんじゃないですか?」

「うっ……止めてください黒鐘さん、僕も気にしてるんですから。それに僕は高校に行っていないですし……」

「そう言えばそうでしたね。失礼しました」


 会話が終わると黒鐘は電源を落としたようにすっと正面に向き直る。まるで人工知能と話しているようだ、と九凪は思った。


 挨拶も済んだところで、四人は目的地である界力省の庁舎へと向かう。

 その間も、黒鐘はルリカを放そうとはしなかった。九凪は気になってちらちらと見てしまう。抱いていると暖かいのだろうか。もしかしたら黒鐘からすればルリカは都合の良いカイロの代わりなのかもしれない。


「なんですか、九凪さん。不躾な視線を向けないでください」


 黒鐘が九凪へと視線を向けた。赤縁の丸眼鏡の後ろで、硝子のように硬質な瞳にわずかだが批難するような色が滲む。


「す、すいません」

「ナギサン、ダメだぜ。スミちゃんをじろじろ見たら」

「……ルリカに言われると、なんか無性に腹が立つな」


 にやりと勝ち誇ったようにルリカは九凪を見上げる。普段は九凪にしてやられているルリカだが、今日は黒鐘明日美という後ろ盾がある。そのせいで強気に出ているのだろう。


 ぎゅっ、と黒鐘はルリカを抱く両腕に力を入れる。


「隊長はあげませんよ」

「いりません」

「ナギサンひどいっ!!」


 ルリカは、がーんという擬音語が浮かびそうなほど悲痛そうな顔になった。

 どうにも九凪は黒鐘明日美という女性に対して苦手意識を持っている。会話のペースを持って行かれるせいだからだろうか。


 これからしばらく苦労しそうだ、と九凪は心の中で溜息をついた。

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