第2話 柊グループ

 ※前回のあらすじ


 かどみやきょうすけが竹倉商店街で自宅である酒屋の手伝いをしていると、勝手知ったる様子でかりなみくさなぎろうがやって来る。


 何やら狩江には話したいことがあるらしく、彼らは『ナッギー』を呼んだ喫茶店へと向かう。 


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 角宮恭介がやって来たのは竹倉商店街からほど近い個人経営の喫茶店だった。

 九天駅からも電車で四駅であり、高層ビル群の中で毅然きぜん屹立きつりつする桐生ビルがここからでもよく見える。喫茶店の店主と狩江美波が知り合いであり、色々と融通を利かせてもらえるため三人はよく利用していた。


「あ、マスター。こんにちは」


 洋風な造りの一軒家。お店の入り口前で休憩していたエプロン姿の男性に狩江美波が声を掛けた。四十代後半だろうか。小太りで、愛嬌のある柔和な顔付きの店主は慣れた様子で軽く手を上げて挨拶を返した。


「いらっしゃい、美波ちゃん。今日はお友達も一緒だね。いつもの個室を使うかい?」

「はい、お願いします! ……って、どうかしたんですかマスター」


 どこか浮かない顔の店主を見て狩江は首を傾げた。店主は無言で店の隣に建つ三階建てのビルを指差す。工事中なのだろう。白い防音ネットが全面に張り巡らされている。


「このビルなんだけど、まだ完成したから一年も経ってないんだ。なのに耐震強度で問題があって工事するらしくてね。ちょっと自分の店の心配をしてたんだよ。ほら、うちはかなり古いし」

「え、改装しちゃうんですか? あたしはこの古い感じが好きなのに」

「ははは、ありがと。まだしばらくは改装する気なんてないよ。そんなお金もないしね。それに美波ちゃんみたいなお客さんがいるなら尚更さ」


 もう少し休憩するという店主を後に、角宮たちは喫茶店へと入っていった。

 休日の午後三時過ぎという事で店内はそこそこ混み合っている。角宮は他二人と一緒に店の奥にある個室に向かった。


 シックな木目調の室内で、天上には瀟洒しょうしゃな装飾が施されたランプが吊されている。扉を閉めてしまえば窓のない密閉された空間であり、誰かに聞かれたくない話をするには最適の場所だった。


 遅れてやって来たなぎかいとも合流する。それぞれの注文が揃ったところで草薙二郎が切り出した。


かいくんどうしたんスか? なんか浮かない顔をしてるっスけど」

「え? いえ、ちょっと色々とありまして……」


 なぎかいは力のない笑みを浮かべて語尾を濁す。


 九凪皆とは半年ほど前のとある事件で共闘して以来、こうして偶に会っていた。仕事の話をする事もあれば、ただただ雑談に花を咲かせる日もある。角宮恭介が知っている中で数少ない『裏側』との繋がりを持った界術師だった。


「ジロー、そんなの聞くまでもないじゃん。ナッギーは恋に悩んでるんだよ」


 ドリンクバーから帰ってきた狩江が会話に入ってくる。狩江のグラスには明らかに複数のジュースを混ぜたと思われる不可思議な色をした液体が入っていた。


「……美波、ドリンクバーでジュースを混ぜるのはやめろって言ってるだろ」

「えー、いいじゃん。美波ちゃん特製ドリンク、美味しいよ。恭ちゃんも飲む?」

「いらん」

「残念」


 ストローを使ってドロっとした液体を吸い込んでいく狩江。底なし沼から掬ってきた濁った水のようにしか見えず、遠くから眺めているだけで胸焼けしそうになる。隣に座る九凪は軽く引いていた。


「それでね、ナッギー。実はあたし見ちゃったんだよ。ナッギーが女の子と一緒に歩いてるのを! しかも黒髪ロングの超絶美人!!」

「なっ!?」


 ごほ、ごほ、と水を飲んでいた九凪が盛大にせる。


「で、ナッギー! 実際のところはどうなのさ! あの美人さんとはどういう関係なの? 悩んでるって事は上手くいってないかな?」

「……ちっ、見られてたか」


 唇を噛んだ九凪は、わずかに逡巡を挟むと両目に真剣な色を浮かべた。


「美波さん、取引をしましょう」

「ん、なにかな?」

「僕が持っているあらさんへの貸しを、一つあげます」

「!」


 狩江がぴくりと反応する。


「では美波さん、質問します。僕について何か知っていることがありますか?」

「ううん、ないよ! 全然、これっぽっちも、あたしは知らないよ!」

「いやいや、お前らそれおかしいだろ」


 悪い笑みを交換する九凪と狩江に対し、角宮が苦言を呈した。


かいもさ、別にそんくらい話してくれてもいいじゃねぇか。俺たちの仲だしよ」

「いやです、絶対に」

「なんだ、恥ずかしいのか?」

「いえ、そういう訳じゃないですよ。ただ、一方的に辱めを受けるのは僕の性格的に耐えられないだけです」


 にっこりと完璧な笑みを顔に貼り付けて九凪は言った。こうなれば九凪は絶対に自分の意見を曲げない。短くはない付き合いの中で九凪の性格をある程度理解していた。


「無理に聞いちゃダメだよ。恭ちゃんだって、ラクニルでカスミンの事を紹介してくれるまでずっと適当に誤魔化そうとしてたじゃん! 聞いても顔を真っ赤にして否定するだけだったし!」

「う、うるせぇ! 急に懐かしい話を持ち出すんじゃ……って、美波? どうしてそんな名案を思い付いたみたいな笑顔を浮かべる? しかも猛烈に嫌な予感がするんだが」

「いやー、やっぱりここは人生の先輩として情報提供をするべきかと思ってね」


 含みを持たせるように顔に黒い笑みを浮かべた狩江が、隣に座る草薙にアイコンタクトを送る。何かを察したのだろう。草薙もにやりと唇を吊り上げた。


あねさん、あっしは準備できてるっスよ」

「おい、テメェらまさか……!」


 角宮の制止を振り切って、狩江と草薙は同時に立ち上がって話し始める。


「ではナッギー、お聞き願おう。恭ちゃんの甘酸っぱい青春の物語を!」

「皆くんは『ひいらぎグループ』は知ってるっスか?」

「……ええ、知っていますよ。有名ですから」


 ひいらぎグループ。日本人なら誰もが知っている悪名高い組織である。


 一言で説明するのなら、闇の集団だろうか。


 その実態は何一つとして明かされていない。規模も目的も不明であるが、界術師が関わるような重大事件には必ず関わっている謎の秘密結社。ネットでは界術師版のフリーメイソンと噂されていた。


 十数年前に彗星の如く現われた得体の知れない集団。

 そんな彼らは、力を示すことで影響力を得ていった。


 一つは情報公開。六家連盟が隠蔽しようとした真実を公表した。確固たる証拠に裏付けされたその告発を否定することは難しく、柊グループによって暴かれた真相はいくつも存在する。ただどのようにして真実を暴いたのかは、一切公表されていない。


 更に莫大な資金力。自分達に味方する組織や集団には、その貢献度に応じて目が飛び出るほどの謝礼が払われていた。柊を肯定的に報道したテレビ局が謝礼を受け取って世間から激しく叩かれた事件もある。余りにも羽振りが良いため、ネットでは国家予算並の資金力を持っていると噂されていた。


 最後は政治的な繋がり。六家連盟の上層部だけではなく、政治家とも密接な関わりがあるとされている。界術師に不平等な政策を推し進めていた政治家が暗殺された事件があるが、それは柊グループによるものだと言われていた。


 噂の一人歩きが生み出してしまった姿を持たない怪物モンスター


 輪郭は霧のように曖昧で、その存在は解明されていない古代文明のような神秘性すら帯びていた。いつしか、日本は柊グループに裏から操られていると言い出す連中まで現われるようになる。その人気ぶりは宗教カルト的ですらあった。


 柊に手を出せば、どんな報復を受けるか分からない。そんな印象が根強くなってしまい、今では六家連盟や国でさえ手が出せなくなっていた。柊グループも社会に対して迷惑を掛けるような事を率先して行う訳ではないため、その存在は黙認されているという状況で落ち着いていた。


「その柊グループがどうしたんですか?」

ひいらぎすみ。あっしらとラクニルで同級生だった彼女はなんと、柊グループ代表の次女なんスよ! 更になんと! アニキはラクニルにいた頃、その佳純ちゃんと付き合っていたんス!!」

「え……、えぇっ!? そ、そそそうなんですかっ!?」

「……昔の話だ。今更持ち出すんじゃねえよ」


 角宮は椅子に深く腰をかけ直す。ばつが悪くなって、思わず逃げるようにブラックコーヒーで唇を湿らした。冷静に務めようとする角宮に対し、九凪は身を乗り出すようにして勢いよく詰め寄る。


「柊グループは誰が構成員なのか分かってないんですよ! なのに、代表の次女と付き合うなんて……、本当なんですか!!」

「本当だ、嘘をつく理由なんてねえだろ。まあ、あん時だってすみが柊の関係者だって知ってたのは少なかったけどよ」

「アニキはすごかったっスよ。人目をはばからずに毎日イチャこらイチャこら」

「人目ははばかってただろうが!」

「イチャイチャはしてたんですね」

「話があるから来いって言われて行ってみたら、部屋の中でちゅーしてるし」

「あれは、まあ……くそ、なんも言い返せねぇ! って、なんで皆はそんな嬉しそうな顔でメモしてるんだ? ろくなことを考えてねぇってのは分かるけどな!」

「新しい恭介さんの弱みを知れたなって思いまして。それに美波さんに聞けばもう少し知れそうですし」

「うん、あたしが喜びそうな情報と交換なら教えてあげよう」

「……勘弁してくれ」

「あれ、でも」


 何か思いついたように、九凪が角宮を見た。


「柊佳純さんって、今はどうしてるんですか? 柊グループの関係者だったら、恭介さんと一緒には……」

「そこ! よくそこを訊いてくれたっス!!」


 ぴん、と草薙は勢いよく九凪を指差した。


「互いに深く愛し合う二人。でも、世界はそんな二人を祝福してはくれなかったっス。お互いの立場が、生まれたお家柄が、二人を引き離そうとする」

「相手はあの柊グループ。ただの高校生に太刀打ちできるような相手じゃない」

「だけど、二人は諦めきれない。だから彼女はお願いするっス」

「いつか、必ず私を迎えに来て下さい」

「そして、アニキは毅然とした顔で短くこう答えたっス。ああ、絶対にな。そのまま盛り上がった二人は誓いのキスを――」

「手が滑った」

「ぎゃ、冷たっ!」


 角宮は自分のグラスに入っていた水を、氷ごと隣の草薙にぶっかけた。


「もう! なにするんスかアニキ!! しかもなんであっしだけ!?」

「うるせぇ! それに、二郎なら水を掛けても何も問題ねえだろうが」

「まあ、それはそうっスけど……」


 草薙は何やら小声でぼそぼそと呟いた。途端、橙色の淡い光が一瞬だけ草薙の体を覆う。直後、草薙の服や椅子に飛び散った水が、まるで映像を逆再生するかのようにグラスに戻っていった。


「人に見られたらまずいんスから、勘弁してくださいよまったく」


 わずかに湿っただけになった椅子に座り、草薙は机の上に落ちている氷を拾ってグラスに戻していく。界力術を許可なく使用してはいけないと法律で決まっているが、この程度なら誰も気にしない。人に見られると厄介だが。


「恭介さん、柊グループには関わらない方がいいですよ。あいつらは本当に危険な連中です。敵対なんてすれば、最悪の場合も……」


 先ほどまでふざけていたのが嘘のように、真剣な表情で九凪が角宮に言った。恐怖の色を浮かべた瞳が、真っ直ぐに角宮を見詰める。

 冗談や嘘の類いではなく、本気の忠告。九凪皆は裏社会の人間だ。おそらく、彼はどこかで柊グループの恐ろしさや闇の部分に触れたことがあるのだろう。


「覚悟の上だ」


 だが、角宮恭介は知っている。草薙と狩江はよく分かっていないみたいだが、角宮は柊グループの恐ろしさを誰よりも知っていた。何故ならば、柊佳純と引き離される時に、闇の部分を垣間見たのだから。


 到底、今の自分では太刀打ちできないことも理解していた。

 角宮は強い意志のこもった両目で、九凪を見返す。


「あいつが泣いてたんだ。助けてくれって言ったんだ。だったら、そんなもん黙って見送る訳にもいかねぇだろ。俺はあんな理不尽は絶対認めねぇよ。無理やりでも連れ出してやるって、そう誓ったんだ」

「くぅ! やっぱアニキはカッコいいッス! あっしはどこまでもついていきますぜ」

「そうか。だったらまずは新しい水をもらってきてくれ」

「はいさー! 仰せのままに」


 陽気に敬礼をした草薙は、元気にドリンクバーへと向かっていった。九凪も渋々といった様子で引き下がってくれる。


「(……おお切ったはいいけどよ、実際はまだなんもできてねぇんだよな)」


 誰にも気付かれないように、角宮は小さく息を吐き出した。


 ひいらぎすみを迎えに行く。


 言葉にすれば簡単だ。しかし、実際に達成するのは広大な砂漠から一粒のダイヤを見つ出す事のように不可能に思えた。どうすればゴールに近づけるのか見当も付かない。実際に、ここ半年は特に何か柊グループに近づくような出来事は起こせていない。


 角宮恭介には大富豪のような財力や、政治家のような権力はない。界術師としての実力なら少しは自信があるが、それも五本指ほどの破格な力ではない。仮に界術師として柊佳純を迎えに行こうとすれば、最低でも五本指程度の力と影響力を手に入れなければならない。


 そうでなければ、柊の闇は払えない。


 力を手に入れるための努力はしている。実際にこの三年間でラクニルを卒業した時よりも格段に戦闘力は高くなっているはずだ。だが果たして、このやり方で本当に正しいのかは疑問に感じていた。


 界術師の実力カラーの最大値は、個人の才能に依存する。

 ラクニルにいる時にも、いやというほど突き付けられた現実だ。


 暗闇の中を進んでいると思っても、実はぐるぐるとその場で周り続けているかのような感覚。角宮は胸にわだかまった重たい感情を、息と共に吐き出す。


 間違っていないと信じて進むしかない。


「……誇りを持って進め。じゃなきゃ、テメェの歩みに価値はない」


 誰にも聞こえないような小声で、角宮は呟く。

 ラクニル時代から、角宮は迷った時はこの言葉を口にして自分を鼓舞してきた。

 躊躇ためらっている暇はないのだ。


「アニキ、お待たせしました」


 個室の扉を開けて草薙が入ってくる。その後ろには茶色のスーツを着た爽やかな男性がいた。

 あられい。裏社会では知らない人がいないほどの『情報屋』である。


「ごめんね美波ちゃん、前の仕事が長引いちゃって」

「いえいえ、急に呼んだのはあたしの方なんですし、気にしないで下さい」


 狩江の声の調子が普段のそれから、明らかに仕事モードへと切り替わったのが分かった。


「新谷さんが来たってことは、『仕事』の話なんだな」

「そうだよ……伝えてなかったのに、あんまり驚かないんだね」

「まあな。何となく察してはいたよ。かいもいたしな」


 角宮も表情を引き締める。ここから先は遊びではないのだから。


「で、今回の仕事は?」

「柊グループの悪巧みを、あたし達の手で止めようと思うの」

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