第2話 進むべき道

 ※前回のあらすじ


 諦めかけていたなぎかいの背中を押したのは師匠――ひさかただった。


 前川みさきを苦しめる理不尽を破壊する。

 本当の願いを自覚した九凪皆の戦いが始まる。


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 あられいかどみやきょうすけの病室へと入って行く九凪皆の背中を見ていた。

 ケジメを付けに行くらしい。立ち上がる決意をしたとしても、清算しなければならない想いがあるのだろう。


「それで、由美。随分と力強く背中を押していたけど、勝算はあるのかい?」


 冗談めかして訊ねる新谷零士に対し、玖形由美は軽い調子で答えた。


「おいおい、アタシを誰だと思ってる。あるに決まってンだろうが」

「こんな最悪な状況なのに? 敵は強大で、味方はいない。分かりやすいくらいの窮地の入り口に立っている。負けが込んで冷静な判断能力を失ったギャンブラーでも撤退するんじゃないかな。少なくとも常人ならこの先には進まないだろうね」

「常人? アタシのことを言ってんのか? だとしたら笑えねえ冗談だぜ。お前は誰よりも知ってるはずだろ、アタシがまともじゃねえってことをよ」

「ああ、その通りだ。僕はずっと隣にいたからね、君のブレインとして」


 玖形由美は唇には、笑みが浮かんでいた。

 楽しそうで、狂気と冷酷が同居したような、凄然とした表情。


「新谷こそいいのか? これ以上、この件に関わるのは名桜の幹部としてはまずいんじゃねえの?」

「まずいね、すっごくまずい。今すぐ手を引くように名桜からは最上級の命令が出ている。失敗すれば組織に殺されるだろうし、成功しても無事で済まないだろう」

「それでも、行くのか?」

「こんな最高の場面で舞台から降りる気はないよ。それに由美は言ったんだ、勝算があるって。なら心配する必要はない。僕はそれを全力でサポートするだけでいい。やることは昔から変わらない」

「なんだ、頭の堅い新谷零士らしくねえ決断だな」

「誰かさんの影響を受けたのかもしれないね」


 新谷零士の顔にも楽しそうな笑みが浮かんでいた。


 まるでイタズラを計画する子どものような無邪気な表情。

 胸の中には、懐かしさを伴った暖かい感情が広がっていった。

 全身の血液が沸き立つような興奮が、足下から脳天へと伝わっていく。


 そして。

 二人はまるで示し合わせたように同時に歩き出した。


「アタシはカイを桐生ビルまで送り届けるための準備をする」

「僕は皆くんがみさきちゃんに辿り着けるように情報を集めよう」


 やるべき事は、自然と分かる。

 それが、二人の関係。


 裏の五本指レフト・ファイブ切斬女キラーレディ』と、名桜の幹部ではない。

 ただの玖形由美と、新谷零士として。

 かつてラクニルに名を轟かせた名コンビとして。

 前を向いて歩き始めた九凪皆の為に道を切り拓き、背中を押してやるのだ。


「さあ、反撃を始めよう。ここから先は正義の時間だ」


 玖形由美は、宣言する。


「今頃は会議室の椅子にふんぞり返っている黒幕に見せてやろうぜ。たった一人の少年の恋バナで、世界が救われる瞬間ってヤツをさ」



      ×   ×   ×



 九凪皆は病院の中庭に来ていた。


 入院患者や職員の気分転換という意味合いが強いのか、中庭は綺麗に整備されていた。映画に出てくる貴族の庭園を思わせる洋風な造りである。石畳の通路の周りには花壇があり、手入れされた池には煉瓦で作られた小さな橋が架けられていた。


 だが時刻はすでに午後七時を回っており、他に人の気配はない。辺りの景色は完全に夜の闇に沈んでおり、吐息が白くなる程に空気が冷え切っている。瀟洒な装飾が施された街灯が優しい光を放っていた。


 界力石の取引現場へ侵入した時の作業服からはすでに着替えている。格好はいつもの動きやすさを優先したもので、寒さから身を守る為に黒のロングコートを羽織っていた。


 少しだけ中庭を見て回ってから、木製のベンチに座る。


 今は新谷零士と玖形由美の準備が完了するのを待っている状態だった。

 数時間後には、桐生ビルで禁術『森の王』が、前川みさきの手によって発動されてしまう。そう思うだけで焦りそうになるが、ぐっと堪えた。闇雲に走り回っても意味がないと言い聞かせる。


 すでに心構えはできていた。

 だが、一つだけまだ清算していない想いがあった。それをなくす為に、九凪はこうして誰もいない中庭へとやって来たのだ。


 携帯端末を取り出し、何度か躊躇した後に、電話を掛ける。


『……はい、ルリカです』


 珍しく不機嫌そうな声でルリカは電話に出た。だがそれでも九凪はほっと胸を撫で下ろす。電話に出てもらえない可能性すら考えていたからだ。


『ナギサン、なにか用ですか?』

「……ルリカに、話さないといけないと思ったんだ」

『話す? なにをですか?』

「豊田隆夫を逃がした時のこと、だよ」


 緊張で震えそうになる声を必死に抑えながら言葉を紡いでいく。


「あの時、僕はルリカを止めた。それが正しいと思って、ルリカの感情を否定した。だけどそれは間違っていたんだと思う。僕の中途半端な正しさじゃなくて、ルリカの真っ直ぐな正しさを優先させるべきだった。今の僕は、そう思う」

『なんだ、そんなことですか』


 予想外にあっけらかんとした声でルリカは言った。


『あの時はルリカよりも、ナギサンの方が正しかったですよ。実際にルリカはアラヤとスミちゃんにこっぴどく怒られました。それはもう目も当てられないくらいに!』

「だ、だけど、僕はルリカの方が……」

『どっちが正しいとか、そういう話じゃないんです。ルリカは自分のやりたい事を、自分の心に従ってやった。ただそれだけなんですよ。だから、あれだけ怒られた後でも自分が間違っているなんて微塵も思っていないんだぜ!! あ、こいつはアラヤには内緒で! オフレコで頼むですよナギサン!』


 次第にいつもの調子に戻ってきたルリカにつられるように、凝り固まっていた九凪の表情もだんだんと緩んでいった。


「いいのか、僕に内緒にして欲しいなんて言っても。そんな分かりやすい弱みを握られたらどうなるか、ルリカは知ってるだろ」

『取引といこうぜ旦那。今回の一件でチャラにしてくれ』

「……そういう事にしておこう」


 九凪とルリカは二人して電話越しに笑みを交した。


『真面目な話をするとですね、ルリカは「正しくない」と「間違っている」は意味が違うと思う訳ですよ』


 声の調子を戻したルリカが、真摯に語りかける。


『正しさなんてすぐに変わっちゃいます。人によって、時代によって、環境によって、状況によって、同じ人でも手の平はすぐにひっくり返ります。だからルリカは、自分が本当にやりたいことを大切にするようにしてるんです』

「……本当に、したいこと」

『だって自分がそれを本当に心の底から望んだのなら、その願いが「間違っていた」としても、「正しくない」ことはないんですから』

「……、」

『ナギサンも自分の本当の願いを大切にしてください。きっとそれが、正しい選択へと繋がっています』

「ああ。ありがとう、ルリカ」


 電話を切って、九凪は立ち上がる。


 もう迷いはない。

 九凪は心に浮かんだ想いを、しっかりと拳で握り締めた。

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