第3話 計画

 ※前回のあらすじ


 前川みさきの理不尽を破壊するため。

 禁術『森の王』の発動を止めるため。

 

 彼らはそれぞれが進むべき道を決めて歩み出した。 


 一方、前川みさきは……


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 前川みさきは、桐生ビルの最上階で窓の外の夜景を眺めていた。


 ホテルの一室として想定されているのだろうか。豪華な内装の室内には最上級の調度品がバランス良く配置されていた。丁寧な刺繍が施された敷物も、何気なく置かれた壺や絵画も、一体いくらするのか想像すらできない。


 地上255メートル。52階からの眺望は思わず言葉を失うほどの絶佳だった。少し離れた場所にある九天駅も視界に収めることができ、夜の闇に沈んだビルの周囲には無数のこううんが浮かんでいる。少し遠くに見える黒い太平洋は、その表面に月明かりを湛えていた。


「長かった!」


 隣に立っているてらやましんいちが、興奮を隠しきれないような口調で叫んだ。


「ようやくだ、これで私の悲願が叶う。生涯を費やした追究に答えが得られる。メソロジアを私の手で観測することができるのだ……!」


 高笑いでも始めそうなほど上機嫌な老翁を尻目に前川はひどく冷静だった。いや、むしろそれが正常な反応なのだろう。これから何万人もの命を奪うような大災害を引き起こすのに元気よくしている方が異常である。


「通常次元、界力次元、記憶次元……、界力術の基礎を体系化した過去の偉人達でさえ、この世界の最も外側たる記憶次元の最奥まではどうしても辿り着けなかった。記憶の地平線メモリア・ホライゾン、儀式術式的に言えば『だいきゅうかいへの扉』。人類はこれら境界の向こうに広がるとされる『第九領域』へ到達することがどうしてもできなかったのだ。さて、では質問だ。この境界の向こうにはどんなモノがあると思うかね?」

「……さあ。わたしには分かりません」


 全ての方式において、記憶次元は第一から第九までの領域に分けられていた。界術師が術式として確立しているのは第八領域までであり、寺山伸一はメソロジアを観測する為に第九領域へと手を伸ばそうとしているのだ。


 第九領域やメソロジアの存在は、界術陣カイじんを方式とする寺嶋家によって証明されている。

 寺嶋家の理論の基礎となっている界力数学。この公式を用いれば、全ての界力的な現象は表現、また予測できるとされていた。現在解明された理論を組み合わせることで、未発見の界力的現象を予測し、後に証明されたという実例も存在している。研究が進み、記憶次元の全てを数式化できれば、世界の真理すら机上に収める事ができるだろう。


 まだ、第九領域は界力数学で公式化されていない。長年の研究を経ても人類の叡智では解明できていないことから、第九領域は『神の方程式』と呼ばれている。この神の方程式の存在の証明こそ、メソロジアの存在の証明でもあった。


 寺嶋家によって証明される前から、第九領域の存在は様々な方式で予想されていた。しかし、界力数学によって理論的に証明されたことにより、研究が加速したという経緯がある。寺山伸一を含めて多くの研究者が、現在でも第九領域へ到達する為の方法を模索していた。


 前川は寺山伸一の理論をほぼ完璧に理解していた。まだ見た事ない記憶次元の最奥には何があるのか、メソロジアとは何なのか、研究者気質の前川にとって全く関心がない事柄だと言えば嘘になる。


 しかし、今はそんなについて考えるだけの余裕がなかった。


「私は、世界の果てへと一石を投じる」


 前川の淡泊な態度に気を悪くすることなく、寺山伸一は独白を続ける。


「人類の叡智の限界とされてきた境界を突破する。喜びたまえ、君は教科書に載るような歴史的瞬間の当事者になれるのだ。第九階位の扉の先には何が広がっているのか、メソロジアとは何なのか。しかとその目に焼き付けると良い。それがどんなモノであれ、人類はこの時を境に飛躍的に前進するだろう」


 恍惚とした表情で言い切った寺山伸一は、満足げに白衣を翻した。


「それでは私は観測所に向かう。くれぐれも頼むぞ、失敗だけは許されない。人類の命運を、君に託したぞ」


 そう言い残し、寺山伸一は部屋から出て行った。張り詰めていたような空気が一気に弛緩する。前川は思わずソファに座り込んでしまった。


 本当に、この決断で良かったのだろうか。


 これから自分がすることを考えると、どうしても考えてしまう。故郷を捨てて街に向かう電車の中で、ふと後方の景色を眺めてしまうような気分だ。あるかもしれなかった様々な可能性が、脳内で次々に上映されていく。


「九凪君、わたしは……」

「あのー」

「うひゃあっ!?」


 突如として背後から呼びかけられ、前川はバネ仕掛けの人形のように跳び上がった。そのまま俊敏な動きで距離を取ろうとしたが、足を縺れさせて盛大に顔面から床に転けてしまう。


「むぐっ!」

「えーと、大丈夫ですか?」

「……ええ、なんとか」


 こんな時でも満足に動けない自分の運動音痴を恨みがましく思いつつ、前川は今まで全く存在を感じなかったその人――裏の五本指レフト・ファイブ夢の使者ファントムへと向き直った。


「いたんですね、いつからですか?」

「ずっと一緒にいましたよ?」

「こんな本陣の真ん中でも術で身を守るなんて、随分と用心深いことで」

「別に術は使ってないんですけどね」

「……と、とにかく!」


 普通に存在を感じ取れなかった自分の鈍感さを棚に上げ、前川は訊ねる。


「なにか用ですか? 貴方も自分の持ち場へ行くべきだと思いますけど」

「君に訊きたいことがありまして」

「訊きたいこと?」

「今回の実験に参加した理由です。ボクには、君には関わる理由が見当たらない」


 夢の使者ファントムは端正な顔を怪訝そうに顰めた。


「寺山伸一は分かります。彼からすれば他のどんな事情を無視してでも達成させたい悲願なんでしょう。例え、どれだけの被害を出そうとも関係ないほどのね。何万人もの人が死んでも『仕方なかった』で済ませられるような狂った精神の持ち主です。だけど、君は違う。君は寺山伸一に連れて来られただけだ」


 前川みさきが選ばれたのには、明確な理由が存在する。


 寺山伸一の理論では、メソロジアとは記憶の地平線メモリア・ホライゾン――記憶次元の最奥に存在する何かだとされている。そして、記憶次元に干渉するためには、界力術によって世界の記憶メモリアを通常次元へと引き落とすしかない。また、より世界の真理に近い世界の記憶メモリアほど、記憶次元の奥に保管されている。


 ならば、記憶の地平線メモリア・ホライゾンを越える方法は一つだ。


 記憶次元の最果てに保管された世界の記憶メモリアを、界力術として呼び起こせばいい。より世界の真理に近い『神話』を完全再現することで。

 それができれば、記憶の地平線メモリア・ホライゾンへと手を伸ばせる。


 だが、寺山伸一の理論を完成させるためには必要なパーツがいくつもあった。


 一つは界力術的特異点の形成。これに関しては桐生ビルが解決している。寺山伸一が『森の王』の論文を発表した十年前に計画が始まった桐生ビルの建設計画。これはそもそも、『世界樹』を模した巨大建造物によって特異点を生み出すための計画だったのだ。


 そしてもう一つは、森の王を発動するための術者の存在。

 特異点で強大な界力術を発動させることにはリスクが存在する。人類には過ぎた力を無理やり行使するのだ。当然、失敗する可能性は低くない上に、上手く発動できたとしても負荷に体が耐えられないかもしれない。


 当初は寺山伸一が術者になる予定だった。儀式術式を扱う界術師なら誰もが森の王を発動できるという訳ではない。界術師の精神内には『術式保管領域』と『術式構築領域』が存在する。森の王を発動するためには、今回の神話に登場する神――フィームの術式に関しての知識と感覚が保管領域になければならない。


 術式保管領域の大きさは有限だ。

 いくつもの神の感覚を、保管することはできない。


 特異点で強大な界力術を発動できるほど優秀な界術師で、尚且つ、フィームの術式に精通している。更に目的の為なら自分の手を血で汚すことも、また自分の命すら投げ捨てることを躊躇わないような人間。


 その条件に当てはまったのが、前川みさきだったのだ。

 だがそれは選ばれた理由であって、前川みさき自身が実験に参加する動機にはならない。


「……それが、どうかしましたか?」


 夢の使者ファントムの問いに対して、前川は内心に走った動揺を隠して答える。

 ここで『計画』を悟られる訳にはいかない。


「何かをする為の理由は、やりたいからじゃだめですか?」

「違和感があるんですよ、今回の場合はね。この実験は非人道的なものです。君の行いで、何万人もの命が一瞬にして炎に飲み込まれます。どれだけの悲劇が生まれるか想像もできない。そんな大きな罪を背負う理由が、君からは感じられないんですよ。それに何やら想いを寄せている相手もいるようですし」

「く、九凪君は関係ないです……これはわたしの問題ですから」

「というと?」

「理由が知りたいんですよね? でも、残念ながら教えることはできません。貴方には理解できないことですから。ただ一つだけ言えるのは、わたしはこの実験で自分の正しさを証明します。誰からも否定できないほど、圧倒的に」


 前川は相手が裏の五本指レフト・ファイブであることも忘れて、臆せずに言い切った。


「貴方こそ、どうしてこの実験に参加してるんですか? 理由がないというなら貴方も同じだと思いますけど」

「上からの命令ですよ。これでもボクはサラリーマンなので、上司の命令には逆らえません」

「だったら質問を変えます。どうして、んですか?」


 刺すように、前川は訊ねた。


「角宮恭介との一戦です。あれは明らかに手加減していましたよね? わたしも儀式術式を使うから分かります。あれは貴方の全力とはほど遠い。小手調べのようなことをせず、始めから全力を出していればそもそも戦闘になることすらなかったはずじゃないですか?」

「……はて、何のことやら」

「それにしおあきらは躊躇なく殺したのに、角宮恭介は殺さなかった。いえ、まるで怪我を負わせることすら避けているようだった。九凪君に関しても同じです。この実験を本当に成功させたいなら、あそこで二人とも確実に殺しておくべきだった。少なくとも、寺山主任からはそう指示が出ていたんじゃないですか?」

「潮見晃は極悪な外道です。依頼もありましたしね、殺す理由は十分ですよ。九凪皆と角宮恭介に関しては、……君はボクが二人を殺してもいいと?」

「そ、それは困ります! 九凪君が傷つくのなんて見たくない……って、そういう事ではなくて!」


 夢の使者ファントムが答えをはぐらかそうとしている気配を感じ取った前川は、逃げるなと言わんばかりに強く睨み付けた。


「貴方、本当は実験なんてどうでもいいんじゃないですか? 何か、他の目的があるんじゃないですか?」

「……、」


 しかし、夢の使者ファントムは答えない。その口許に不敵な笑みを刻むだけだった。


「君もボクの質問に答えなかった。だからボクも教えない。これでチャラです」

「……なら最後の質問です。その手の甲に浮かんでいる……その、黒い模様って、何か界力術的なものですよね? 刺青いれずみには見えませんし……」

「どうして、そんなことを?」

「わたしだって研究者の端くれです。知らない事は知りたくなる性なんですよ」

「なら、『悪魔との契約書』とでも言っておきましょうか」

「……?」


 眉根を寄せて、前川は首を捻る。しかし追及する前に、青年は背を向けて部屋の出口へと歩き出してしまった。背中では一本に束ねた長髪が左右に揺れている。


「ボクの訊きたかったことは訊けました。疑問が解消した訳じゃないですけどね。ああそれと、『ボク達』としては実験の成功を心から祈っていますよ」


 部屋から出て行く青年を、前川は不信感に満ちた視線で見送った。


「わたしも、そろそろ行かないと」


 前川は決意に満ちた表情で部屋を出る。

 赤いカーペットが敷かれたホテルの廊下を進み、関係者以外立入禁止と書かれた扉の前で止まった。寺山伸一から渡されている鍵を使って扉を開け、階段を上っていく。

 コンクリートの壁が剥き出しの階段。ここは宿泊客や従業員すら使用されることを想定されていないため、何も装飾がされていない。今回の実験が終わったら封鎖されるのだろう。


「……なんか、気持ち悪い」


 乗り物酔いのような感覚が体を重くする。

 おそらくは、桐生ビルの全体に満ちた高濃度の界力による影響だろう。


 世界樹を模して造られたこのビルは、界力術を発動するための一つの装置になっていた。イメージとしては無数の基板や回路が組み込まれた巨大なサーバーだろうか。外見は無骨な直方体の箱でも、中には想像すらできないような技術の粋が詰め込まれている。


 家具の配置を一つとっても、許可なく触れる事が禁止されていた。『配置』は儀式術式において重要な要素の一つだ。ビルの下層は敵の迎撃用にある程度は破壊されても問題ないように設計されているらしいが、上層階の物や内装を少しでも動かせば『世界樹』として機能しなくなるかもしれない。地上52階建ての巨大建造物の中は、腕時計の内部機構のように、複数の方式の術式が精巧に緻密に作用し合っているのである。


 術式的な意味を帯びさせた物が多すぎるため、すでに何らかの界力的な影響が漏れ出しているのだろう。放置していた金属が酸化して錆びてしまうように、関係のない所で勝手に術式同士が反応し合っているのだ。


 痛む頭を押さえながら、前川は階段を上り切って屋上へと到着した。


 巨大なヘリポートだ。五十メートル四方の大きさで、コンクリートが剥き出しの地面。その四隅には大型の鉢に植えられたの術木リグームの若木が配置されている。

 屋上の中央には前川の背丈を軽く超えるほど巨大な祭壇が置かれていた。大理石を削って造られた神聖な白亜の聖壇。月光を薄絹のように纏うそれは、少なくとも、剥き出しのコンクリートの上に置かれて良いようなものではない気がした。


 強烈な冬の冷たい風が吹き抜ける。

 前川は長い黒髪を抑えつつ、祭壇へと歩み寄る。


 儀式術式で『木』を術式に組み込む場合、配置するのは術木リグームと呼ばれる特別な種類の木を使う。これは界力術的な処理を施した木の事であり、逆に言えば、術木リグームでなければ術式の中で意味を帯びてくれない。

 普通はいちいち術木リグームを持ち歩くことが困難であるため、木々に処理を施して一時的に術木リグーム化するのだが、今回は発芽の時から処理を施した純正品を用意したようだ。


「セイヨウトネリコの術木リグームなんて、随分と手が込んでるじゃない」


 祭壇を装飾している葉を見て、前川は驚きと共に呟いた。

 セイヨウトネリコと言えば、北欧神話の世界樹ユグドラシルとなっている木だ。今回の儀式術式の場合は木の種類までは関係ないが、願掛けの意味を含めて洒落しゃれを利かせたのだろう。


 祭壇には他に、大理石を彫刻して創られた像が置かれている。均整の取れた体付きの美男子は、森の王の神話の中で森の民を焼き払った神――フィームだ。界力術の六大要素の一つである『火』に分類される。今回の術式で使用する象徴物グランオーリングは『灯りのはた』。フィームの神話を再現するなら妥当と言える。祭壇の左右には燭台に灯った火に照らされた巨大な旗が風になびいている。


 象徴物グランオーリングとは、神話の術式化できる要素の中で、特に再現したい箇所を定めることに用いられる術式補助具だ。供物が儀式術式そのものを成立させるのに対し、象徴物グランオーリングは術式の方向性を決定づける役割を持っている。


 儀式術式における『火』とは『破壊』という言葉から連想される暴力的な意味合いを含む事が多い。また、象徴物グランオーリングに込められた意味を含めて鑑みると、今回の術式は『森の王』の神話の中でも破滅的な部分を強調しているのだろう。『灯りの御旗』の他にも、桐生ビルの中には術式の効力を高めるための象徴物グランオーリングが無数に配置されているはずだ。


 仮に、象徴物グランオーリングを変える事で『人が神にろうとした』という部分を強調すれば、また違った術式を構築できそうだ。元々、森の王が神話であるため、再現しなければならない項目が多く、術式として完成させるのは困難を極めるだろうが。


 前川は祭壇の中央に置かれたせきを手に取る。

 森の王の術式の中で供物となる『龍の瞳』である。


 ずっしりとした質感。大きさは握り拳ほどで、占い師が使う水晶玉のような見た目だ。夕焼けを閉じ込めたような赤く透き通った宝玉は淡い光を帯びており、夜の暗さの中でも見失う事はなさそうだった。


「……?」


 不意に、電話が掛かってきた。

 画面に表示された名前を見て、はっと息が詰まった。


「九凪君……っ」


 電話に出ようとするが、すぐにその指は止まった。

 今更どんな想いで話せばいいのだろうか。九凪皆との未来ではなく、自分の悲願の達成を選んだのだ。ならば、この電話に出る事は許されない。


 万力に締め付けられたように痛む心を無視して、前川は着信を切る。


 最後の最後で、前川は九凪を信じることができなかった。

 好きになった人すら、信頼できない。

 そんな自分の弱さに辟易とする。


 もっと早く過去を伝えていれば変わったかもしれない。もっと多く話し合えば九凪君の本音を聞き出せたかもしれない。そんな後悔が胸をチクチクと刺激する。


 今の自分に残された道は、一つしかない。


 いい加減、未練は捨てろ。

 死を覚悟した戦士のように、前川は精悍な表情で祭壇に向き直る。


「わたしは、世界に自分の正しさを認めさせる」


 人生を狂わされた『あの時』に失ったものを見つける。


 自分の人生に意味を取り戻す為に。

 今まで自分がしてきたことが、本当に正しかったのだと実感する為に。


「さあ、証明を始めましょう」


 前川みさきは、界力石を月明かりへと掲げて宣言した。


「これが、わたしの――前川みさきの正しさよ」

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