第7章 二人の夢
第1話 過去
時刻は午前一時。
夜も深まり、九天市も眠りについた頃。
幹線道路の高架下。全く車が走っていない真夜中の片道二車線の道路を、玖形の真っ赤な大型二輪がヘッドライトの光を暗闇に引きながら走って行く。
「……師匠、質問してもいいですか?」
『あぁ、なんだ?』
玖形と九凪のフルフェイス型のヘルメットには通信用の
大型二輪の後部座席で玖形の背中に引っ付くような格好をしている九凪は、舌の先まで出てきたその言葉を何度も躊躇しつつ、慎重に口を開いた。
「えと、その……師匠も、記憶を失っていたって本当ですか?」
『……、』
返ってきたのは、沈黙。
しかし、構わずに九凪は続ける。
「黒鐘さんから聞きました。僕が記憶を失っているように、師匠も記憶を失っていたんだって。否定しないってことは、それが本当だったってことですよね……? どうして、僕になにも……」
『……、』
「師匠は、僕に一体なにを隠しているんですか?」
玖形は何も話さない。
ブルルルゥ!! と重い排気音を響かせて大型二輪を更に加速させる。
普段は人々で溢れかえっている街中も、終電もなくなってかなり時間の経った現時刻ともなれば人の気配をほとんど感じなかった。電気が付いている建物は二十四時間営業の店舗くらいであり、昼間の喧騒が嘘のようだ。
『……十年以上前の話だ。遠い異国で、アタシは命を救われた。カイはその恩人の息子。それでアタシ達は短い間だけだったけど幸せに暮らしていた』
「え?」
『そうやって言って、お前は信じるか?』
突然の問い掛けに、九凪は言葉を失って答えられない。
気まずい空気だけが、フルフェイス型のヘルメットの中に流れる。
『隠していた訳じゃねえんだ。記憶は完全に思い出してるけど、アタシだって全てを知っている訳じゃねえ。それにカイも過去のことには触れて欲しくなさそうにしてたしな。だから、まだ話すべきじゃねえって判断した』
「やっぱり、記憶が……!」
『ああ、そうだよ……でも、そろそろ話すべきなのかもしれねえな。カイがなくした記憶と向き合おうとしているなら、次はアタシが受け入れる番なんだよ』
「……師匠?」
『だが話すにしても、この一件が片付いてからだ。こんなゴチャゴチャした状況で話しても頭に入っていかねえだろうしな。ただ一つだけ、良い事を教えてやる』
玖形は正面を向いたまま、少し間を開けてから言った。
『お前の
「……それは、誰の言葉ですか?」
『さあな。きっと、お前にも分かる日が来る』
話し終わると、玖形は桐生ビルから少し離れた位置で主線を外れて脇道へと入って行く。入り組んだ住宅街の中にある小さなコインパーキングに大型二輪を停めた。
本当はバイクで桐生ビルまで行きたかったのだが、現在ビルの周辺には交通規制が敷かれている。また桐生ビルの周辺から完全に人を遠ざけるために、周囲数百メートルの範囲内は、建物の中も含めて、誰もいない状況を作り出すように六家連盟が調整していた。
幸い、桐生ビルはオフィスが入っている高層ビル群の中にある。深夜になればほぼ全ての人が勝手にいなくなる。二十四時間営業の店舗は臨時休業になり、残業などでビル内に残っていた人も適当な理由が付けて追い出されている筈だ。
まだ会議で大揉めの六家連盟だが、
九凪はヘルメットを取って、桐生ビルの方を見てみる。直線距離にしてあと一キロ強ほどだろうか。周りのビルよりも一際高く、夜闇に紛れるように屹立それの姿は邪悪な魔窟のように見えた。
「森の王が発動したら、この辺りも火の海に沈むんですよね?」
「この辺りだけじゃねえ。アタシの事務所も、カイのマンションだって、全部が燃えてなくなっちまうよ。『神話』を再現しようってんだ。むしろ、九天市全域程度で済んで良かったって思うべきだろうな」
二つのヘルメットをバイクのアクセルに結び付けた玖形が神妙な顔で言う。実際に目の前の路地が炎に沈んだ光景を想像して、九凪は背筋に冷たいモノを感じた。
「……あれ、僕たちってこれからどうやって桐生ビルまで行くんですか? バイクは無理ですし、徒歩でも多分行けないですよ」
「分かってるよ。だから、こうするのさ」
唐突に、玖形が九凪の手を握った。
直後に訪れる。
刹那の、浮遊感。
ジェットコースターの落下の直前のような空白の一瞬。
瞳に映っていた景色が、まるで水で洗い流される風景画のように滲んでいく。
概念切断。
玖形由美の能力の一つ。
自身と目的地とを隔てる『距離』という概念の切断による瞬間移動。
気付けば。
九凪皆と玖形由美は、住宅街が見渡せるような上空に移動していた。
「お、おお、おおお落ちるってえぇぇええええええええええっっ!!!!!!」
九天市街に九凪の悲鳴が響き渡った。
突如として始まる自由落下。
重力の鎖が全身が絡みつき、地上へと引きずり落とす。
だが次の瞬間には、体が別の方向へと吸い込まれていった。
そして数秒後、九凪と玖形は十三階建てのビルの屋上に立っていた。
「し、ししし師匠!! 急に飛ばないで下さいびっくりするじゃないですかっ!!」
「悪い。んじゃ、先に言っとくわ――飛ぶぜ!」
「言えばいいって問題じゃなぎゃあぁぁああああああああああああ!!」
再びの跳躍。
新感覚の絶叫マシンに三半規管を揺さぶられて悲鳴を上げる九凪を無視して、玖形は概念切断による移動を繰り返す。三回ほど跳躍を終えた頃に、彼らは桐生ビルのすぐ近くのビルの屋上へと降り立った。
「ひ、酷い目に遭った……」
屋上の金網に正面から倒れ込み、九凪は深呼吸を繰り返した。
桐生ビルの周囲は不自然に静かだった。
嵐の前の静けさという言葉が脳裏を過ぎる。
道路が封鎖され、ビルに残っていた人も強制的に外に出されたせいだろう。辺り一帯のビルの窓からは全く光が漏れておらず、吹き抜ける風の音以外は聞こえない。まるでここだけ世界から忘れられてしまったようだった。
「こりゃ、急がねえとやばいかもな」
玖形は桐生ビルを見上げながら呟いた。九凪も視線を先を追ってみる。
「……なんだ、あれ」
森。
はるか上空の桐生ビルの屋上には、鬱蒼と葉を生い茂らせた大樹が乱立していた。樹海を一部だけ切り抜いて屋上に植え付けたような状況である。太い蔦のような根が、まるで獲物に巻き付く大蛇のようにビルの壁面に食い込んでいた。
その光景は、まさに神話に登場する世界樹そのものだった。
「あんだけ鬱蒼と生い茂ってたら目的地がはっきりと見えねえぞ。これじゃあ概念切断で移動はできねえな」
玖形は眉間に皺を寄せ、難しそうな顔で桐生ビルの屋上を見詰める。
「いや、そもそもおかしいでしょ! なんですか、あの森は!?」
「『森の王』の発動の前準備が始まったんだろ。こりゃあ、実際に発動するまであんまり時間が残ってないかもしれねえ」
「そうだとしても! あんな馬鹿げた森なんて最初は見えてなかったんですよ! なのにどうして急に出現したんですか!」
「多分、鎮西家の『結界術式』で見た目を誤魔化してるんだな」
「結界術式って……まさか規制を敷いた範囲全部を結界で覆ってるって言うんですか!? どれだけ広いか師匠も分かってるでしょ! 半径数百メートルです、数百メートル!! 簡単に言ってますけど、これだけの範囲を覆う結界なんて術式的にあり得ないじゃないですか!!」
「新谷が言ってただろ? 桐生ビルの立地は、結界術式的に見れば幾つもの大地の力の流れが集結するパワースポットだって。そんだけの好条件が揃ってンだ。この規模の結界くらい作れるだろうよ」
「だけど、鎮西家って……」
十数年前に六家界術師連盟を抜け、非公式に『二家界術師同盟』を創設した家の一つである鎮西家。当時、自分達を差別的に扱って冷遇した六家連盟に対して強い反感を抱いている家である。
六家連盟と鎮西家は、対立することはあっても協力することはあり得なかった。鎮西家が生み出した方式である『結界術式』的に重要な場所に桐生ビルが建てられたのも、六家連盟がパワースポットを管理したいという思惑があったからなのだ。
桐生ビルは森の王を発動する為に世界樹を模して造られたビルだ。この場所を選んだ理由の一つに、巨大な結界で実験を隠して横槍を入れさせなくするという目的があったのかもしれない。
十年前は、今よりも六家連盟と二家同盟の対立意識が強いはずだ。そんな時代に二つの組織が協力関係を結んで、今も尚、その関係が続いている。メソロジアとはそれ程までに価値があるものなのだ。改めて、九凪は自分が相手にしているものの大きさに戦慄を覚えた。
「どうしようもなくなったら、桐生ビルを崩壊しない程度にぶっ壊して無理やり森の王の発動を止めてやろうって考えていたけど……」
「そんなことはさせませんよ、絶対に」
世界樹が破壊されれば、界力術的特異点の消失により、森の王は強制的に中断されてしまう。そんな事になれば儀式術式のリスクである『呪い』が術者である前川みさきに跳ね返る。神話の完全再現だ。メソロジアに到達する程の儀式術式となれば、その呪いは確実に術者を死に至らしめるだろう。
「分かってるよ、そんなに睨むな」
降参と言わんばかりに、玖形はひらひらと両手を振った。
「まあただ、この様子じゃ妨害なしで進めるのもここまでだろうな。黒幕の本丸なんだ、敵だってこれ以上はむざむざ通せねえだろうし」
屋上の端に立って、玖形は下を見下ろした。丁度、桐生ビルの足下辺りだ。
呼吸を挟み、真剣な表情を浮かべてから玖形は口を開く。
「行くぜ、カイ」
「はい、いつでも」
玖形は首肯した九凪の手を力強く握り、猫のように軽やかに跳び上がった。
躊躇なく屋上の金網を越えて、夜の闇に染まった宙へと躍り出る。
直後。
刹那の、感覚の消失。
高速で背後に流れてゆく景色。
あっという間に、九凪と玖形は桐生ビルの入り口のすぐ前へと降り立った。
その瞬間だった。
確かな破壊力を伴った無数の光が豪雨のように降り注いだ。
「待ち伏せっ!?」
九凪は咄嗟に能力を発動して身を守ろうとする。
だが、その必要はなかった。
莫大な力が竜巻のように周囲で渦巻いた。
それはまるで、暴力の具現化。
着地した九凪と玖形を狙った無数の界力術の全てが、嵐を圧縮したような力の奔流に激突して四方八方に衝撃を撒き散らす。コンクリートを削り取り、爆発したように粉塵を巻き上げた。
「こいつに触れるなよ。アタシの能力だかな、細切れになるぞ」
玖形は右手を軽く掲げ、手首から先をぐるぐると緩く回転させながら言った。
困惑から脱した九凪が、玖形の前へと踏み出す。
「僕が前に出ます。師匠は、後ろから援護を」
「その必要はねえよ。カイ、お前は先にビルの中に入れ」
「で、でも!」
「アタシなら心配いらねえよ、この程度の待ち伏せは危機でもなんでもない。それにアタシじゃビルの中で思いっ切り能力を使えねえんだ。本気を出したらビルの中が傷だらけになる。それが原因で世界樹が機能を失う可能性があるんだ。でも、カイには『瞳』があるだろ。お前なら世界樹を壊さないように戦える筈だ」
粉塵を纏うように渦巻く力の壁の後方。丁度、桐生ビルの入り口に当たる場所だけ、玖形由美が生み出した力の壁に穴が生まれた。
「行ってこいカイ! 道はアタシが作ってやる!!」
「はい!」
迷わずに、九凪は動かない自動ドアを蹴破ってビルの中へと入っていった。
玖形は能力の使用を解除する。一際強い風が吹き荒れ、粉塵が晴れていった。
「さて、人の恋路を邪魔する奴にはお仕置きをしてやらねえとな」
ぐるり、と玖形は周囲を見回す。
玖形由美を追い詰めるのは、およそ三十人の界術師。六家連盟か柊グループが用意した連中だ。一人一人が裏社会で経験を積んだ精鋭なのだろう。普通の界術師なら、あまりの絶望的な戦力差に顔面を蒼白に染めることだろう。
そう、普通の界術師なら。
正真正銘の規格外である彼女に、『普通』は当てはまらない。
「こっから先は行かせねえぞ、モブ共」
ジリ、と。
人影が一斉ににじり寄る。月明かりによって逆光となり、敵を一人一人認識することができない。空気そのものがずれ動くような感覚。まるで巨大な影が迫ってきているようだ。
しかし、玖形は表情一つ変えることなく酷薄に宣言した。
「誇っていいと思うぜ。てめえらは、このアタシに負かされるんだからな」
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