06 / 前川みさきの質問
話し終わった時、わたしは自分の心の中で怒りの炎が燻っているのを感じた。
あの時の脳が痺れるような絶望が、克明に蘇ってくる。
まだ自分の中で納得していないんだ。その事実を確認できて、ほっと安堵した。
「この事件の後、わたしはラクニルの少年院に収容されたの。どんな事情があれ、わたしは界力術を使って人を殺した。これは界術師にとっては最大の禁忌。わたしは一連の出来事の全ての責任を一人で負う羽目になった」
ちらり、と背後の九凪君を見てみた。
俯いた顔に浮かぶのは胸の痛みを
「少ししたら、お父さんが面会にやって来た。個人的に娘を心配してきたんじゃくて、明峰御三家の前川家の代表として身内の罪人を裁きにきただけだった」
少しだけ、感情が昂ぶる。
「事務的な口調で事実だけを伝えられた。罪人を明峰家の御三家の一員として認める訳にはいかない。勘当を宣告されたってこと。これ以降、たとえわたしが野垂れ死にそうになったとしても前川家は手を貸さないってはっきり言われたわ。だけど最後にたった一言だけ、父親として娘に言葉を掛けた」
心の奥で、刺々しい悔しさを糧に黒い炎が燃え上がる。
「お前は正しくなかった。それが現実だって」
その瞬間、目の前が真っ黒になったのをはっきりと覚えている。
かつてわたしが否定した相手。
絶対に認めないって誓ったはずの人間。
その人から、今度は自分が否定された。
自分を支えている軸のようなものを、無理やりへし折られたような気分だった。
怒り、やるせなさ、情けなさ……焦げ付くような感情の奔流が体の中を暴れ回った。その時に、胸に去来した感情を表現できない。
ただ、涙が出た。
抑えきれない感情が、涙となって溢れ出た。
今まで積み重ねてきた全ては、完璧に無駄だって宣告されたような気がした。
それが、心底
自分を否定されることがこんなにも辛いことなんだって初めて知った。
「正論過ぎる正論は、暴論なんだってやっと理解できた。でももう遅い。家からは追い出されて、わたしが助けてきた人達も助けてはくれなかった。孤独だった。自分の胸の痛みに耐えて、後悔に心を抉られるだけの人生が始まったの」
すっ、と九凪君の手を離した。
話してしまった以上、わたしにはこの手を握っていられる資格はないんだから。
「……ねえ、九凪君。わたしのこと、怖い? 幻滅しちゃった?」
きゅーっと鼻の奥が絞られる。涙を一滴も零さない為にも、わたしは気丈を装って冗談めかすように言った。……声が震えるのだけは抑えきれなかったけど。
九凪君からの返事がない。わたしは緊張で息が詰まった。
……言わなかったら良かったな。
後悔で身が
わたしの目標。
それは、自分の『正しさ』を世界に示すこと。
わたしは一度否定された。そのせいで、全てを失った。
だけど、やっぱりそれが納得できない。
なら、示すしかない。認めさせるしかないでしょ。
わたしが絶対に正しいんだってことを。
そうしないと、わたしの人生に意味がなくなる。間違いに打ち負かされて、泥水を啜って、辛酸を嘗め続けた人生なんて、なんの価値もない。『あの時』だって、その前だって、ずっと正しかったんだって証明するためには、今一度わたしの正しさを世界に見せつけないといけないじゃない。
例えそれが、どんな方法だったとしても。
誰かを傷つけて、泣かせてしまうようなやり方だったとしても。
みんなを笑顔にするため、っていうわたしの動機と矛盾したとしても。
巻き付いた有刺鉄線を乱暴を引きはがされたように傷だらけの心を必死に奮い立たせて、わたしは本題に入ろうと口を開け――
「え」
ぐりん、と視界が上向く。
「ちょっ―――――、な、ななななにっ!?」
九凪君に持ち上げられて、膝の上から床に下ろされたのだと気付いた時には、すでにわたしは床にぺたんと足を崩して座らされていた。ぽかんとしているわたしの正面に、九凪君が回り込んでくる。……え、なになになんなの!?
正面にしゃがみ込んだ九凪君は、真っ直ぐにわたしを見詰めた。
真剣な眼差しを受け、脳を支配していた困惑という感情がどこかへ消え去る。
「みさきは、正しいよ」
白。空白。
頭が、空っぽに、なった。
わたしが、正しい?
いま、そう言った?
「た、正しくなんかないよ。だって、わたしは人を……、人を殺したんだよ! 自分の感情を抑えられずに、怒りに任せて、命を奪ったんだよ! それに、沢山の人から、恨まれるようなことをしてきたの! そんな結果は、間違ってる。正しいはずがないっ!」
「確かにそれは罪だ。許される行為じゃない。だけど罪を犯したからと言って、その人自身が完全に否定される訳じゃない……!」
九凪君の言葉が熱を帯びる。
込められている感情は、突き刺すような怒りだった。
思えば、九凪君から剥き出しの感情をぶつけられるのは初めてかもしれない。
その言葉と瞳から放たれる光は、わたしの心を強く揺さぶった。
「みさきは多くの人を助けてきたんだ。沢山の涙を消して、悲劇を食い止めて、嘆きを喜びに変えてきた。そこだけは否定させない! 絶対に!! 例え間違った結果に繋がっていたとしても、救われた人がいる筈なんだ! 笑顔を取り戻せた人がいる筈なんだよ! なのに、どうして誰もみさきの正しさを評価しようとしないんだ!!」
やめて。
そんな優しくて、暖かい言葉で、わたしを慰めないで。
「僕は認めるよ、みさきの正しさを。確かにみさきは間違いを犯したかもしれない。正しくなかった面もあったかもしれない。だけど! たったそれだけの『
見失いそうになる。
心の奥底で黒く燃えていたはずの憎悪が、薄れてしまう。
消えそうになる。
「常識がどうだろうが、みさき自身がどう思おうが、僕には関係ないよ。みさきが間違っているなんてふざけた戯れ言を、僕は絶対に認めない。みさきの心は黒く穢れてなんかないし、手だって汚れてなんかいない! 誰が、なんと言おうとも!!」
わたしの両手を、九凪君は心強く握ってくれた。
離した手を、九凪君から掴み直してくれた。
両手を包み込む暖かさに、わたしは胸が詰まるような想いになる。
「みさきは自分の罪を深く受け止めて、胸が痛くなるほど後悔してきた。友達からも家族からも見捨てられて、孤独になって、いっぱい、いっぱい、辛い想いをしてきたんだ。もう十分に罰を受けてきたじゃないか。法律や常識の話じゃない。これはみさきの心の話なんだ。だから、今度は報われる番だよ。積み重ねてきた『善』の報酬を受け取る時間だ。みさきにはその権利がある」
気付けば、視界が川面のように揺れていた。
我慢しようとした。だけど、もうだめだった。
「もしかしたら、一生償いは終わらないかもしれない。間違いの重みは、みさきの人生に影のようにずっと付きまとう。後悔は心に刻まれた決して癒えない傷なんだから。だけどそれが、罪を許されない理由にはならないはずなんだ」
「……わた、わたしは、……許されても、いいの……?」
人を殺したのに?
間違いを犯したのに?
わたしは、もう罰を受けなくてもいいの?
「いいんだ。みさきは、許されてもいいんだよ。僕が保証する」
「そう、なのかな……」
強張っていた表情が、春の陽射しに当てられた雪のようにゆっくり溶けていく。大粒の涙を溢れさせたまま、わたしは顔全体に笑みを浮かべた。
木漏れ日のように暖かい感情でいっぱいになる。
わたしが正しいと、九凪君は言ってくれた。
その言葉だけで、救われたような気がした。絶望の暗闇の底でしゃがみ込んでいたわたしに差し込んだ曙光は、思わず瞼を閉じてしまうほど鮮烈で、眩しい。
心が羽根のように軽くなる。今ならどこまでも飛んでいけそうだった。
……やっぱり、離れたくない。
わたしの手を暖かく包み込んでくれる九凪君を見て、強烈な感情が全身を電流のように駆け巡った。
九凪君はわたしの正しさを認めてくれた。なら、それだけでいい。九凪君一人が理解者になってくれるなら、わたしは満足できる。
だけど、一つだけ気懸かりなことがあった。
九凪君は、まだわたしに何かを隠している。一体それはなんなのかを知りたい。じゃないと、わたしは疑ってしまう。
本当に九凪君はわたしを裏切らないのかって心配になる。
そんな事はないって思ってる。だけど確固たる証拠が欲しかった。目に見える形でもいいし、言葉でもいい。わたしが心の底から信じても良いって思える理由が欲しい。
だから、九凪君を試さないといけない。
どんな状況になっても、わたしを選んでもらうために。
わたしが掛け値なしに信頼するために。
「……九凪君、一つだけ質問させて」
涙を拭ったわたしは、表情を引き締めて訊ねた。
急に神妙な顔になったからか、九凪君は少し驚いていた。そんな彼を、わたしはじっと見詰める。
どうか、どうか、お願い。
答えて――わたしの望む答えを、その口から聞かせて。
そうすれば、わたしは貴方に全てを委ねるから。
貴方の全てを受け止めるから。
「ねえ、九凪君」
そして、問い掛ける。
「九凪君なら、どうする?」
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