第1話 干渉

 柊グループと寺山伸一の取引が行われる当日がやってきた。


 禁術『森の王』を発動する為の供物として使われる界力石。術式の核となるこれさえ奪うか破壊さえしてしまえば、黒幕の思惑通りに森の王が発動することはなくなる。


 新谷零士と狩江美波の調査によって取引の詳細は手に入った。この後に行われる取引を妨害することで、最悪な現状を打破する予定である。黒幕の予定では、森の王を発動するのは今日の深夜だ。失敗は許されない。


 新谷零士、九凪皆、角宮恭介、狩江美波らが作戦の最終準備段階に入っている中、玖形由美は一人で取引が行われる場所へと愛車の赤い大型二輪で赴いていた。玖形由美の服装もいつもの赤いライダースーツだ。

 向かった先は平浜ひらはま工業地帯。九天市の沿岸部に広がる工業地帯で、石油コンビナートや自動車工場を始めとして、大小様々な工場が軒を連ねている。テレビ塔のように空へ伸びるオレンジの煙突からもくもくと白煙が吐き出されていた。


 その内の一つである松山食品株式会社の九天工場が、今回の取引現場だった。


 表向きは食材の一次加工を行って別の業者へと卸すような普通の食品工場なのだが、裏ではあけみねとの強い結び付きがある。


 工場自体は普通に生産のために稼働しているが、その内の一部施設は明峰家が管理している生産には関係のないものなのだ。今回の取引で使われる施設も社員や作業員には倉庫だと言っているが、本当は全くの別物。その実は明峰家が世間の目から隠したい物を保管する為の場所であった。


「(……さて、どこで見張るか)」


 玖形由美は工場の周りの道路を走りながら敷地内を眺めた。


 今回、玖形由美は直接作戦には加われない。黒幕が六家連盟や明峰家である以上、裏の五本指レフト・ファイブ切斬女キラーレディが動くことで状況が更に悪化する可能性がある。それに玖形由美自身も連盟に目を付けられているという事情もある。あまり連盟を刺激するのは今後の事を考えても得策ではないだろう。


 玖形由美は新谷零士が下したこの判断に対して、心の底から納得している訳ではない。ただ不満そうな顔をしただけで、特に異論を唱えるということはしなかった。


 良くも悪くも、裏の五本指レフト・ファイブという立場は影響力が大きいのだ。


 界術師育成専門機関ラクニルに通っていた頃の玖形由美ならば、あるいは今回の判断に抵抗して勝手に暴れていたかもしれない。だが、彼女も立派な大人なのだ。その辺りの社会のルールくらいは飲み込める程度には成長していた。


 だが、そのように状況を理解しながらも、こうして誰にも秘密で取引現場に赴いているのには理由があった。


 二つほど、懸念があったから。


 一つ目は九凪皆の証言だ。潮見晃を追っている時、おそらく界力術を掛けられて姿を見失ってしまった。だが、具体的にはどんな界力術なのか分からないし、術者の気配も感じる事ができなかったらしい。


 これは異常なことだ。


 九凪皆は他の界術師よりも圧倒的に界力の気配に敏感である。界視眼ビュード・イーを持っている為、界力術を掛けられればまず間違いなくその術に気付き、術者を見つける事ができる。


 だが、そんな九凪が分からないと言ったのだ。


 考えられる可能性は一つしかない。九凪皆の能力や界視眼ビュード・イーを上回るような規格外の界術師による攻撃。まだ存在を確認していないだけで、黒幕は手札に想像を絶するような切り札ジョーカーを隠し持っているかもしれない。


 二つ目の気懸かり。

 全体的に、必要な情報を正確に入手し過ぎているような気がしていた。


 今回の事件を裏の操っているのは、明峰家や六家連盟、それに柊グループといった裏社会でも屈指の組織だ。そんな闇の底に存在するような連中が、こんなにも簡単に情報を抜き取られるものなのだろうか。今回の取引の詳細もそうだ。こんな要となるような情報が、本来なら簡単に判明する筈がない。


 更に言えば、最初の事件である森の王の資料盗難にも違和感がある。


 森の王を発動しようとしているのは術式を構築した張本人である寺山伸一だ。ならば、わざわざ危険を冒して術式の資料を盗み出す必要はないのではないか。寺山伸一は独自の資料を持っているだろうし、明峰家の資料館に保管されたものが必要になるとは思えない。


 それに界力省の高官である八地直征も言っていたらしい。違和感を覚える程に簡単に情報を集めることができたと。


 何者かに誘導されているような気分だ。

 暗闇の中を自力で歩いていると思っていても、実は見えないだけでレールの上を歩いていたような状況。その先に待っているのは、誘導した者にとって都合の良い結末である。


 そんな未来は回避しなければならない。


 玖形由美は工場の外周を愛車でぐるりと見てから方針を決める。大型二輪を近くのコインパーキングに停めて、再び工場が見える場所まで戻ってきた。


 今日は休日であるため工業地帯を貫くように伸びる主要道路に車はほとんど走っていない。時刻は午後二時。お昼休憩も終わっている為、土日でも稼働している工場へと物資を運ぶ大型トラックが時折通る程度だった。


 物陰に隠れた玖形由美は横に長い直方体のような形をした工場の建物の屋上を見詰め、能力を発動した。


 玖形由美の能力は『切断』。

 視界の中に入ってれば、距離、硬度、大きさなどを無視して、真っ二つに切断できるという界力術である。


 仮に、玖形が宇宙まで上がって日本列島を見下ろせば、理論上は日本列島を東西にも南北にも切断することが可能である。当然、そのような大規模な界力術はいくら五本指と言えども発動できない。それこそメソロジアに到達してもおかしくないだろう。


 だが、これは玖形由美の能力の氷山の一角でしかない。


 彼女が発動したのは『概念切断』。


 自分の位置と、屋上の移動したい場所に一本の糸が張っているようなイメージを浮かべる。これを『距離』という概念だと定義。玖形はこの距離という概念を能力を使って切断する。


 その直後。

 まるで吸い込まれるように、玖形由美の体が屋上へと移動する。数秒の浮遊感。気付けば、彼女は屋上の縁に立っていた。


 誰もいないかを確認する為に素早く視線を走らせる。


 屋上の床には毛細血管のように様々な太さの配管が敷き詰められていた。またそれらは側面にブラインドのようなスリットが付いた複数の立方体の設備に繋がっている。何らかの生産設備なのだろう。


 死角になる場所は多いが、人の気配はない。どうやら誰にも見られていないらしい。


 玖形は屋上の縁に腰を掛ける。

 ブランコに座ったように両足が屋上から投げ出された状態になるが、彼女は顔色一つ変えない。むしろ高所からの景色を楽しむような表情だ。強風によって朝焼けのように赤い髪が炎のようにはためいていた。


 この高さで命綱なしで平然としていられるのは、玖形由美の剛胆な性格も理由の一つではあるが、それ以上に能力を使えば落下しても助かるという理由が大きい。仮に足を滑らせて落下しても地上との距離を切断すれば、少し高い台から飛び降りた程度の衝撃で済むのだ。五本指クラスの身体強化マスクルを使えば、その程度の衝撃では体には何も影響はない。

 

 不意に、携帯端末が震動した。電話だ。画面には非通知と表示されている。玖形由美は躊躇いなく通話ボタンを押した。


『どうも、六家界術師連盟です』

「チッ、またてめえか」


 電話口から聞こえてきた若い男性の声に、玖形は露骨に厭そうに眉根を寄せた。


「問題ねえだろ、こんくらい。高い所に登って良い景色を見てるだけだぜ」

『それなら界力術を使わずに登山でもして下さい。こんな方法で屋上に登るのは貴方だけですよ?』

「黙ってろ、ストーカー野郎が」


 玖形由美は周囲を見回す。しかし、誰もいないことは先ほど確認したばかりだ。

 六家連盟に目を付けられているというのは、何も感覚的な話ではない。こうして直接連絡が入るほどに玖形由美は六家連盟に監視されていた。今回に限らず連盟が問題行動だと判断した場合には毎回のように釘を刺されていた。


「で、今回はどんな用なんだ?」

『森の王に関する事件に、一切干渉しないで下さい』

「……あぁ?」


 玖形の顔が険に歪む。


『言葉の通りです。森の王の一件に関して、連盟内部でも様々な意見が飛び交っていましてね。なにせ、十年前から続いていた計画が急に表に出たのです。しかも連盟と明峰家の一部の役員だけが知る計画が。当時はどうかは知りませんが、今の連盟は世間における界術師の評判を非常に気にします。実験を中止にするべきだと言う意見が出ているんですがね、十年前から計画を準備してきたお偉方は面白くない。それに我々にとってもメソロジアという甘露は捨てがたい。裏では柊グループまで動いているそうで、連盟内はてんやわんやの大荒れです』

「だから?」

『こんな状況で貴方に積極的に動かれては困るのですよ。貴方は強すぎます。一人でこの事件を終わらせてしまうかもしれないほどに。貴方の行動は連盟の意志に反する可能性があるんです。ですから、不干渉をお願いしています』

「何万人もの死傷者が出るかもしれねえ、九天市の経済や界術師の印象にどれだけの被害が出るかも分からねえ。そんなクソッタレな実験を指を咥えて見てろってのか! ふざけやがって、そんなにメソロジアが大切か!!」

『ええ、メソロジアとは連盟にとって最終目標の一つですから。計画の首謀者である役員だけではなくてね。それにあなたならメソロジアが如何に凄まじい影響力を持っているか分かるでしょ? かつて、

「てめえら、どこまで知ってやがる……?」

『さあ? ご想像にお任せします』

「っ」


 思わず怒りに身を任せて携帯を投げ捨ててしまいそうになるが、寸でのところで踏みとどまった。


『別にあなただけではありません。他の五本指や組織に対しても不干渉をお願いしています。何やら些末な動きはあるようですが、そちらに関しては特に手は出しません。我々の管轄外ですし、そもそも何もできないでしょうからね』

「……些末ね、」


 現在、新谷零士や角宮恭介が動いていることを言っているのだろう。


『「森の王」もそうですが、メソロジアに至るような界力術はいつでも発動できるようなものではないのですよ。何千もの条件が奇跡的に達成された場合だけ。ですから、今回の実験は我々にとって最初で最後のチャンスになりかねない』

「本音を言えばメソロジアを観測したから今回の実験の手助けをしたい。だが、大きな被害が出るのも事実。そんな危険な実験を表立って援助する訳にはいかねえから、こうしてこそこそと動き回ってやがるんだろ?」

『ご名答。さすがですね』

「……あのな、」


 玖形由美は胸の内に溜まった鬱憤を出すように、大きく息を吐き出した。


「てめえら、ちょっと勘違いしてるぞ」

『というと?』

「アタシがよ、飼い主の命令を大人しく聞くような室内犬に見えるか?」

『……、』


 電話口の向こうで、若い男性が言葉を失った気配が伝わってきた。


「本来、アタシはもっと感情的に動く人間だぜ。てめえらも知ってンだろ? そもそもよ、アタシは世間じゃ最強と言われる界術師なんだ。一体、どこの、誰が、アタシの事を止められるってんだ? もしいるのなら是非お会いしたいね」

『どこまでも自信家な。六家連盟を……いえ、国を敵に回すつもりなんですか?』

「それも仕方ねえって思ってるよ。誰かの命令を聞いて大人しくしてるなんてアタシらしくねえしな」

『我々としては貴方の界力術を禁術に指定して、「禁術持ちタブーホルダー」として管理してもいいんですよ? そうなれば、今まで以上に自由に動けなくなります。私生活にも多大な影響が出るでしょうね』

「なんだ、脅してンのか?」

『警告をしているだけです。貴方が愚かな選択に走らないように』


 無言の間が、流れる。

 太陽が高く上がっても冷たさが残る風が、雑音を入れた。


「そもそもよ、本当にアタシを止めたいなら、いつも通り力尽くでやりゃあいいじゃねえか。他の五本指はなにをしてる? 殺し合いならいつでも歓迎だぜ。だがどうしてそれをしねえんだ? 何か事情があるんじゃねえか?」

『……、』

「どうにも腑に落ちねえんだ。明峰家の暴走って考えるのが一番簡単だが、それにしちゃ小細工が過ぎてる。連盟はどこまで関わってる? こんなイカれた実験を界力省や国が承認するとも思えねえし、テメェらはどういうつもりなんだ?」

『ノーコメントで』

「そうかい」


 そう言うと、玖形はにやりと好戦的に片頬を持ち上げた。


「だったら、アタシは自分の判断で動かせてもらうよ」

『……は? ですから、話を聞いていましたか? 我々は一切動くなと!』

「あーあー、風が強くてなんも聞こねえ! なんかテメェらもゴタついてるみたいだし、アタシを気に掛けるだけの余裕もなさそうだな。それを確認できただけでも満足だぜ」

『ちょっと! 本当に暴れるんじゃないでしょうね! それは困るん――』


 ブチッ、と玖形は乱暴に通話を切った。

 すぐに着信が入ったが、無視して端末の電源を切る。


 仮に、本気で六家連盟が玖形の行動を制限しようとするのなら、言葉での警告ではなく実力行使でくるはずだ。それが出来ない時点で、今回の事件に対して六家連盟が何らかの理由で満足に動けないことが窺える。


 それが分かっただけでも十分だ。


 だが、もう一人前の社会人だ。自分勝手な正義で暴れて周りに迷惑を掛けるほど子どもでもなかった。それに禁術持ちタブーホルダーとして管理されるという制裁は現実的な話だ。暴れるにしても、連盟が最後の手段に踏み切られない程度のギリギリのラインを見極める必要がある。


 玖形は持ってきた双眼鏡を取り出して取引現場となる倉庫を見詰めた。

 倉庫の周りには多くの人影がいる。作業服やスーツを着ていて 、一見すれば松山食品の社員と工場の作業員のように思える。だが休日で工場の稼働が止まっているのにこの状況はおかしい。何より、警戒するように周囲を見張るような素振りは不自然だ。

 おそらく柊グループが用意した界術師だろう。見えるだけで数は十人。倉庫の中にはもっと多くの警備が配置されている筈だ。


 対して、こちらは戦力は九凪皆と角宮恭介の二人。

 狩江美波や新谷零士による支援があるとは言え、絶望的とも言えるほど大きな差がある。


 だが、玖形は何も心配していなかった。


「アタシの弟子なんだ、このくらいの困難は涼しい顔で切り抜けられるだろ」


 そして、苛立ちを込めた声で言った。


「劣勢を覆してみせろ、カイ。二度と『些末』なんて言われねえようにな」

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