第5章 悪夢に誘う鈴の音

04 / 前川みさきの告白

 それは、晩秋の記憶。

 温かい飲み物が恋しくなり、冬の到来を誰もが感じている頃。


 わたし――前川みさきは、九凪君の家にいた。

 時刻は午後十時を回ったところ。お風呂を上がって、いつものヨレヨレのジャージを着て、緊張した面持ちで九凪君が寛いでいるダイニングへと入って行く。


 九凪君はソファに座って、ぼーっとテレビを眺めていた。


 途端に、息が詰まり、ぎゅっと強く胸が締め付けられる。

 十分過ぎるくらいにお風呂で体を温めた筈なのに凍えたように体が強張って、鼓動の音が耳の奥で響いていた。気を抜けば心が折れそうだ。


 なにせ、今から『別れ話』をしにいくのだから。

 九凪君にわたしのことを嫌いになってもらいにいくのだから。


 時間が来たのだ。もうこの幸せな夢から覚めなければならない。

 わたしには、どうしてもやり遂げなければならないことがある。そのためには、九凪君との関係を断ち切らないといけない。


 成功しても、失敗しても、二度と九凪君とは会えなくなる。


 なら、この曖昧な関係をはっきりなくしておくべきだ。

 わたしの、ケジメとして。


「お風呂、長かったね」

「……そう?」


 とぼけてみたけど、自分でも長風呂だった自覚はある。

 まだ、迷いがあったんだ。

 この幸せな時間を捨てることに、抵抗を感じてしまったんだ。


 だけど、きっとこの胸の苦しさもわたしへの『罰』なんだろう。そう思うと、少しだけ納得できた。罰なら、仕方ないんだから。


「九凪君、ちょっといい?」

「……ん? なに?」

「両手を広げてくれない? こう、飛び込もうとするわたしを受け止めるみたいに大きく」

「まさか、本当に飛び込んできたりしないよね?」

「ふっふっふー」


 困惑気味に眉を八の字にしながらも、九凪君は両手を広げてくれる。

 わたしは不敵な笑みを浮かべて、九凪君は不安な気持ちにさせた。散々イタズラをされてきたんだし、今までの分まで含めて仕返しをしてあげる。


「ほら、広げたよ。でもなにをすっ――て、ちょっとみ、みみみさきさんっ!?」

「もう動かないの。安定しないでしょ」


 くるりと反転したわたしは、そのまま九凪君の膝の上に腰を下ろした。面白いくらいに狼狽する九凪君を見て、わたしはくつくつと喉を鳴らす。


「じゃあ最後に、この開きっぱなしの両腕を閉じてみようか」

「え、ええ?」


 背後で両目をぱちくりさせる九凪君の手を掴んで、わたしは自分の前へと持ってきた。丁度、絶叫マシーンの安全バーを下ろすような格好だ。


「あー、やっと落ち着いた……思ったよりも硬いけど」


 わたしはぐったりと九凪君の体に寄りかかる。いまだに状況が掴めてないのか、九凪君の落ち着かない様子が背中を通して伝わってきた。うん、わたしにいつもイタズラをする九凪君の気持ちが少し分かった気がする。


「くそ、不覚だった。僕がみさきにしてやられるなんて……!」

「どうだ、参ったかー」


 言いながら、更に体重を九凪君に掛ける。そのまま瞼を閉じた。

 しばらく無言の時間を過ごしていると、おずおずと九凪君が口を開いた。


「みさき、なんかあった?」

「……うん、ちょっとね」


 いつもと違うわたしの態度に何かを感じてくれたんだろう。わたしは小さく頷いて、顔を俯けた。そしてぎゅっと強く九凪君の手を握る。


 お願い、何も訊かないで甘えさせて。

 これが、あなたに触れられる最後の時間なんだから。


 言葉には出さなかったけど九凪君は何かを察してくれたみたい。何も言わずに、わたしの次の言葉を待ってくれた。

 わたしは、断腸の思いでゆっくり言葉を紡ぎ始める。


「……九凪君にね、聞いて欲しい話があるんだ」

「話?」

「そう。わたしの過去と……『罪』の話だよ」

「っ」


 背後で、九凪君が息を飲んだのが分かった。


「いいの? 僕が、それを聞いても……?」

「むしろ、聞いて欲しいの。多分、これが最後になるから」

「最後……?」


 九凪君が訊き返してくるけど、わたしはわざと聞こえない振りをした。


「……わたし、ね」


 話し出そうとするが、どうしても声が震えてしまう。怖いんだ。九凪君に知られることが、嫌われることが、これ以上なくイヤなんだ。

 だけど、胸が締め付けられるような逡巡を置き去りにする。

 意を決したように、口を開いた。


「わたしね、人を殺したことがあるの」

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