第4話 陽動

 ※前回のあらすじ


 禁術『森の王』の術式資料盗難事件を調査しているなぎかいあられいあけみねの資料館において追加で資料が盗まれてしまう。


 資料を取り返すために、新谷零士は外で待機していたひさかたに指令を飛ばす。


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 あられいからの指令を受け取り、ひさかたは大型二輪のアクセルを捻った。

 ヴゥゥゥンッ!! と低いエンジン音が山の中で木霊する。銀色のマフラーから熱気が噴出され、加速した真っ赤な大型二輪は上り坂を火矢のように駆け上がる。


 すでに一度は走破した道路だ。勾配はきつく、峠道のように曲がりくねっているが、構うことなく玖形由美は更にギア変えて速度を上げていく。


 暮峰山を走る道路は一本道だ。西門と東門を繋ぐように明峰家の重要施設群を巡っている。玖形は西門から近い位置にいた。つまり、東門を目指してこのまま山道を走り続ければどこかで敵の車を見付けられるという訳だ。


 数分後、道路の先からやって来る青色のミニバンを視界に捉えた。明らかに安全を度外視した無茶な高速運転。道路の真ん中を走っている玖形を無視して猛然と突っ込んでくるその様子は、まるで怒り狂った闘牛のようだった。


「おいおい、事故っても知らねえぞ」


 大型二輪を止めて、玖形は道路に降り立った。


 けたたましいクラクションが鼓膜をつんざく。それでもミニバンは速度を緩める気配がなかった。最悪、このまま玖形を轢き殺しても通り抜けるつもりなのだろう。


 涼しい顔のまま、玖形由美は人差し指と中指だけを立てた状態の右手を軽く持ち上げた。

 そして、じゅつを発動する。


 界術師が界力術を発動する時は『すいたい』と呼ばれる脳の器官に働き掛けるところから始まる。両目の間にある脳の器官であり、またこの部分の発達具合で界術師と一般人は区別されていた。


 界術師はまず界力下垂体と界力次元を『接続アクセス』させる。


 その後、精神内に存在する『術式保管領域』より目的の術式を選択。『術式構築領域』で選択した術式を組み合わせる。完成した術式情報を生命力マナに乗せて、界力次元へと『投影』する。


 投影された術式情報によって界力次元に浮遊するが反応。記憶次元に保管された世界の記憶メモリアへと情報が伝わり、現象という形で現実次元に引き落とされる。これが界力術の理屈である。


 界術師は『始まりの八家』が生み出した方式を元にして術式を構築することで界力術を発動している。だが、このような煩雑な手順を踏む必要のない存在がいた。


 能力者プラージと呼ばれる彼らは、ただ念じるだけで界力術を発動できる。

 通常の界術師に比べて、能力者の数は圧倒的に少ない。32万人いると言われる界術師の中でも数百人しかいない非常に珍しい存在だった。


 玖形由美は能力者プラージである。

 能力は、『切断』。

 視界に入ったものならば、距離、硬度、強化術式、といった様々な要素を全て無視して真っ二つに切ることができる。


 能力者の欠点として、他の界力術が一切使えないというものがある。しかし念じるだけという発動速度の速さや、術式を使った界力術よりも単純な火力が高いというメリットの方が際立っていた。


「こんなつまんねえことで、アタシに力を使わせるなってんだ」


 じわり、と玖形由美の全身から黒い光が漏れ出す。


 こう。界術師が界力術を発動させる時に発生する光である。これは摩擦のようなものであり、どれだけ微弱な術式であったとしても必ず発生する。


 夜のように周囲の景色を黒く染め上げた玖形が、すっと右手を横に振る。


 たった。

 それだけで。

 時速100キロで激走するミニバンのタイヤが全て真横に切断された。


 ズガガガガガガガガッッ!! と、車体と道路がぶつかり合い機関銃の銃声のような擦過音が大気を凄まじい勢いで引っ掻く。激流をくだる船が巻き起こす水飛沫のように大量の火花が散らしながら、タイヤを失ったミニバンが道路を滑り降りた。


 それを。

 ドガァッ!! と玖形は乱暴に蹴り飛ばすようにして止めた。


 身体強化マスクル――界術師全員が使える技術である。


 界術師は界力次元へと干渉する時に己の生命力マナを放出する。これは生命力マナが界力と引き合うという性質があるためだ。生命力マナに術の情報を込める事で界力を動かし、記憶次元に保管された世界の記憶メモリアへと接続アクセスする。


 身体強化マスクルとは、この生命力マナを意図的に操作する事で発動する。純粋なエネルギーである生命力マナを、体外ではなく体内で循環させたり偏らせたりして常人には不可能な運動性能を叩き出しているのだ。


 玖形由美が行ったことは単純だ。

 全身の強度を高めて、迫り来る二トンの鉄塊を、たった一本の足で止めた。


 まるで電柱に正面衝突したようにミニバンのボンネットが中心からひしゃげ、ヘッドライトが飛び出している。粉々にひびが入ったフロントガラス。その向こうで、白衣を着た女性が飛び出したエアーバックに頭を乗せてぐったりとしていた。


 ミニバンの背後では、地面からわずかに煙が上がっている。馬車が刻む轍のように道路は黒く焦げ付いており、衝撃の凄まじさを物語っていた。


 玖形は潰れたボンネットに片足を乗せて、右手を振ると同時に能力を発動する。

 すぱっ、と達人が日本刀でかんわらを袈裟懸けに斬るように、ミニバンの屋根の部分だけが真横にずれる。身体強化マスクルを使った玖形は、り落ちそうになったその部分を思いっきり蹴り飛ばした。長方形の金属板が硬質な音と共に道路を転がる。


「……う、ぅ」


 白衣の女性がきゅっと瞼を閉じ、苦しそうに呻く。どうやら額を切ったらしい。少なくない量の血が流れ出し、無残にも変形した車内を赤く濡らしていた。


「おい、起きろ」

「……一体、なにが……、って、はあぁ!? き、きき切斬女キラーレディ!?」


 意識を取り戻した女性は、玖形の顔を見るなり顔を蒼白に染め上げた。逃げ出そうとして暴れ出すが思うように身動きが取れない。どうやら運転席周りはほとんどが潰れており、白衣の女性が抜け出せなくなっているらしい。


 往生際悪く暴れている女性を見て、玖形は酷薄な笑みを唇に刻み込んだ。


「ほぅ。その名前を知ってるってことは、お前さん表の住人じゃねえな」

「ひ、ひぃっ!!」

「そう怯えるな、別にアタシはお前を殺そうってんじゃねえよ。ただ一つだけ返して欲しいものがあるんだ。それが何かってのは、言わなくても分かるだろ?」

「か、返して欲しい、もの……?」

「そうだ。ほら、さっさと出せ」

「ざ、残念だけど、そんなものは知らな――」


 ザンッ!! と。

 今度はミニバンが縦に真っ二つに切断された。


 板を中心で割ったように左右の部分が中心へと傾く。白衣の女性は態勢が変わったことに短い悲鳴を上げて、中心で切断された自分のミニバンを見て顔を青くした。


「言葉には気をつけろよ、アタシは気が短い方なんだぜ」


 低い声で言いながら、玖形は威圧するようにダンとボンネットを踏みつける。キッと睨み付けてやると、白衣の女性は両目に大粒の涙を浮かばせながらガタガタと歯を鳴らし始めた。


「……ってない」

「あぁ?」

「持ってない、私は資料を持っていないのよおっ!!」

「お前、それどういう意味だ?」


 錯乱したように叫ぶ女性を見て、玖形は眉間に谷を作る。

 だが、すぐに真相に辿り着いた。


「やってくれたな」


 玖形は真っ赤なライダースーツの内側から携帯端末を取り出して電話を掛ける。


「おい新谷、こいつは陽動だ。本命は別にいるぜ!」



      ×   ×   ×



 連絡を受け取った新谷零士は、資料館の駐車場で唇を噛んだ。


「やられた」

「新谷さん?」

「辻井は陽動だ。すでに資料は別の仲間が運び出してる」


 焦燥の響きを含んだ新谷零士の声を聞いて太堂が両手で口許を覆った。


「そ、そんな。じゃあ、もう資料は……」

「いや、悲観するのはまだ早いです。くれみねやまの森は多くの儀式術式で覆われています。例え術式を知っている界術師がいたとしても短時間では突破できないでしょう。太堂さん、守衛から何か連絡はありましたか?」

「あ、ありません……!」

「まだ守衛で異変がないということは敵は高確率で森の中を移動しています。それも術式を解除しながら! だからかいくん!!」

「分かりました!」


 九凪皆は駐車場の端へと走って行く。


 資料館は山肌から迫り出した崖の上に作られている。そのため駐車場の端まで行けば眼下には暮峰山の森が見渡せて、少し視線を上げればきょうの景色が一望できる。

 駐車場の端に作られた木製の柵に手を掛け、九凪は界視眼ビュード・イーを発動した。


 冬の冷たい北風が、熱を帯びた頬を強く撫でる。


 界視眼ビュード・イーによって青みがかった視界。眼下の森のいたる箇所で、黄金のこうが松明のように輝いている。おそらくは、あれが新谷の言っていた森に仕掛けられた儀式術式なのだろう。


 その一つ。

 すっと蝋燭の火のように消えた黄金の光を見つけた。

 儀式術式が解除されたのだ。


「見つけた! 敵はまだ森の中を進んでいます!」

「よし! なら皆くんは敵の確保を!!」

「分かりました!」


 言い終わるや否や、九凪の体からは白いこうが溢れ出した。身体強化マスクルを発動したのだ。そのまま猫のように身軽な動作で柵を飛び越え、崖へと飛び降りる。

 その光景をぽかんと見ていた太堂だったが、崖の向こうからバキバキと木の枝を折るような音が響いてきたところで急に狼狽し始めた。


「ちょ、ちょちょちょっと!!」


 両目を丸くした太堂が九凪を追いかけるように柵へと駆け寄る。


「い、いま! 飛び降りましたよ、彼!! 大丈夫なんですかあ!?」

「ええ、問題ありません」

「……も、問題ないって、この崖、結構高いんですけど」


 恐る恐る崖の下を覗き込んだ太堂は、刺激臭を嗅いでしまったようにすぐに背を反って柵から離れた。


 新谷も続いて見下ろしてみる。


 針葉樹林らしい尖った形の木々が所狭しと並んでいた。上から見下ろすとまるで巨大な剣山のようだ。崖の高さは八階建てのビルくらいあるだろうか。新谷は背筋に冷たいモノが走るのを禁じ得なかった。


「彼は非常に優秀な界術師です、この程度の高さなら涼しい顔で飛び降りますよ。僕は無理ですがね」


 界術師にも得手不得手がある。そもそも界力の処理量が個人によって変わるし、身体強化マスクルも得意な人からほとんど使えない人までいる。


 新谷零士は界力の処理量は少ない方だ。身体強化マスクルもあまり得意ではないため、この高さの崖から飛び降りれば間違いなく全身打撲で即死だろう。情報屋としては右に出る者がいないほど優秀な新谷だが、界術師としては三流でしかないのだ。


 柵から離れた新谷は真剣な顔で太堂に向き直った。


「どこか森へ降りる道はありますか?」

「資料館の裏に階段があったはずです」

「案内して下さい。僕は皆くんを支援します」


 だが、戦闘力で劣る新谷零士にもできることはある。

 太堂の案内に従って戦場へと向かった。

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