第3話 暗雲
※前回のあらすじ
禁術『森の王』の術式資料盗難事件を追い掛ける
界力術の基礎を創り上げた『始まりの八家』の一つ――明峰家。資料が保管されていた重要施設群で彼らを待ち受けるものとは……
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九凪皆は新谷零士の後ろについていく格好で図書館のような建物に入る。
二人を待っていたのは一人の女性だった。
「お待ちしておりました。本日の案内を承ります、
太堂はにこりと柔らかい笑みを浮かべて軽くお辞儀をした。
歳は三十代後半くらいだろうか。落ち着いた物腰に優しげな目許が印象的だ。
「初めまして、新谷零士です。こちらが館長からの許可証になります」
「確認しますね」
新谷から封筒を受け取ると、太堂は丁寧な手付きで書類を取り出して目を通し始めた。そしていくつかの書類に判子を押していく。
「失礼ですが、太堂というと第三分家の……?」
「ええ、その通りですよ」
気まずそうな新谷の問い掛けに対し、太堂は特に気にする様子なく答えた。
始まりの八家には、それぞれ分家が存在している。
界術師が使える方式は基本的に血筋によって決定する。そのため意図的に他家の遺伝子を混ぜなければ、その界術師が持つ術式適性は両親の方式と同じものになる。
分家とは本家に忠誠を誓った家のことだ。本家からの援助や界術師として優遇されるという益はあるが、血筋による婚約の制限や扱う界力術の限定などといった制約も多い。それぞれの本家の下に御三家が存在し、その下に第一から第四分家までが組織されている。
新谷の訊き方から察するに、太堂家は明峰第三分家の関係者なのだろう。
「ここは明峰家の施設です。他家の方は無理ですし、流石に一般の方に仕事を任せる訳にもいかないですから。私のような分家出身者だと何かと都合がいいんですよ。私も待遇には満足していますし、本当にいい話です」
太堂は書類をまとめて封筒に入れようとする。
だが、その手は不意の問い掛けによって止まることになった。
「あれ、来客?」
階段を降りてきたのは白衣を着た女性だった。
前髪は上げられ、額を大きく見せるように後ろに纏められている。歳は太堂と同じく三十代後半だろうか。ずっと研究室で机に向かっていることを想像させるような白い頬には、どこか焦燥の色が浮かんでいた。
「
「誰かが館内に入って来たのが見えたから確認しに来たのよ。私も今日は来客の予定があるでしょ……それで、」
辻井は訝しむような目で新谷を見据えた。
「この方は?」
「新谷零士さんです。先日の資料盗難の件で調査に来られました」
太堂の態度を見るに、辻井が上司なのだろうか。年齢にあまり違いがないように見えるため、研究職と事務職では階級に違いがあるのかもしれない。
「……そう」
しばし新谷を睨むように強く見詰めた辻井は、さらに表情を険しくする。
「事件の調査というと、
「いえ、また別です。良かったら許可証をご確認されますか? 太堂さんが持っていますので」
「そうさせてもらいます」
辻井は太堂から奪い取るように封筒をもらった。中の書類に目を通し、不機嫌そうな表情のままで新谷に返す。
「拝見しました。どうやら正式な物のようですね」
辻井の言葉には棘を感じる。あまり部外者に出入りして欲しくないのかもしれない。辻井にとってここは職場だ。いくら調査が目的とは言え、関係ない人間に土足で踏み込まれては良い気分がしないのだろう。
「それで、いつ資料室に行きますか?」
「今からすぐに太堂さんに案内して頂く予定ですが……」
「でしたら私もご一緒します。丁度、資料を回収しにいこうと思っていたので。問題ないでしょ、太堂」
「……え、ええ。大丈夫だと思います」
突然の申し出に驚きながらも、太堂はぎこちなく頷いた。
辻井と太堂に案内されて新谷と共に館内を進んでいく。関係者以外立ち入り禁止という文字を無視して、四人は地下へと降りていった。
地下にある大きな扉の前で止まる。
「ここが資料室です。扉には物理的な鍵と術式によって二重にロックがかかっています。現在は術式は解除してあるので、あとはこの鍵で開けるだけです」
太堂は新谷と九凪に鍵を見せた。
「資料が盗まれた時、この扉の状態はどうだったんですか?」
「術式は正式な手段で解除されていました。鍵も解錠されていましたし、誰かが無理やりこじ開けたということはなかったです」
「そうですか。――皆くん、お願いできるかい?」
「分かりました、調べてみます」
九凪皆は瞼を閉じて、ゆっくりと開いた。
九凪皆だけが持つ特別な瞳だ。界術師によって界力次元から現実次元に落とされた界力の流れを視覚的に捉える事ができる。
黒かった九凪の両眼が
「扉には……太堂さんの言った通り術式を無理やり破壊した痕跡はないです。鍵も物理的に破壊されてないのなら、正式な手順を踏んで中に入っていることになりますね」
視界の中で界力術の痕跡である
「確認しなくても大丈夫です。そこはすでに私達で何度も調べましたから」
腕を組んだ辻井が苛立ちを隠さずに新谷と九凪を睨み付ける。急かしているのだろう、片足はペダルを押すように床を何度も踏んでいた。
「太堂!」
「は、はいっ!」
刺々しい呼び掛けに怯えながら太堂は扉を解錠した。
資料室の中は紙の匂いがした。所狭しに並べられた本棚には無数の書物が収められてる。天井まで届く本棚が敷き詰められた光景は圧巻だった。
「先に失礼しますね」
辻井はそそくさと資料室へと入って行く。その後ろから三人はゆっくりと奥に進んでいく。
「術式の資料って、紙媒体での保管なんですね」
「電子的な保管方法じゃ儀式術式で守れないからね。界力術は基本的にアナログなんだ。儀式術式でも画像とか音楽とかを無理やり術式に組み込むこともできるけどあんまり好まれないね。良い意味でも悪い意味でも、界術師は伝統を重んじているのさ」
「界力術をデジタルに変換できるのは、
雑談を挟みつつ、三人は盗まれた資料は保管されていた本棚へと向かう。太堂から当時の様子などを説明を受けつつ、九凪は
「それじゃ太堂、私は戻るわね」
「あ、はい! 資料持ち出しの申請は――」
「自分でやっておくわ。今まで何度してきたと思っているの?」
まとめられた紙の束を抱えながら辻井は小馬鹿にしたように言い放つ。そのまま新谷と九凪を一瞥すると、早足で資料室から出て行った。
「……彼女は、いつもあんな感じなんですか?」
「いえ。確かにプライドは高い方ですけど、いつもはもっと落ち着いています。ですが、どうして今日はあんなに焦っているんでしょうね。特に急ぎの研究もなかったはずなんですけど……」
新谷の問い掛けに対し、太堂は不思議そうな口調で返した。
九凪が
「すいません、新谷さん。手掛かりは見つけられませんでした」
「そうか、仕方ないな。では次の資料室に向かおうか。太堂さん、案内してもらえますか?」
「……え、次の資料室、ですか? 資料室はここだけですよ」
きょとんとする太堂に対し、新谷はわずかに目を細めた。
「でも『森の王』の資料が保管されているのはこの棚だけなんですよね? それはおかしいんですよ」
「おかしい……?」
「ええ。だって『森の王』の資料は二つあるはずなんですから」
えっ、と太堂の顔に驚愕の色が広がった。焦燥感に衝き動かされるように辺りを見回して、困惑した顔で新谷を見上げる。
「そ、そんなはずは!? 私はそんな事を聞かされていませんよ! それに盗まれた資料はこの一つだけです!」
「太堂さんは『森の王』の事を誰から、どの程度聞きているんですか?」
「……き、昨日、辻井さんに質問して軽く教えてもらったくらいです。禁術ですから、なんとしても資料は取り戻さないといけないって……」
「その説明は、他にも誰か聞いていますか?」
「いえ、聞いていません。そもそも、今回の事件は公にはなっていないんです。職員に対する説明も曖昧でしたし。『森の王』の資料に関する詳細を知っているのは、私のような例外だけだと思います」
「……まずいぞ、これは」
顔を
「『特異点』に関する資料はどの辺りにまとめられていますか! 『世界樹』、『天空神殿』、『魔王の城』、実現性は関係ない! 何でもいいんです!」
「こ、こっちです!」
切羽詰まった新谷の声音に押されるように、太堂は慌てた様子で資料室を走る。そして、丁度先ほど辻井が物色していた辺りの棚へとやって来た。
「ここです! 『特異点』の資料ならこの辺りに……って、ないっ!?」
がばっ、と太堂は棚に貼り付くようにして目を剥いた。
「ない、ないない! おかしいですよ、ここから資料が抜き取られてます!! そんなはずは……だって事件が起きてから今日まではずっとこの部屋の扉を開けてないんですよっ!!」
「新谷さん!」
「ああ!! 彼女が敵の内通者だったのか!!」
舌打ちをした新谷は、素早い動作で携帯端末を取り出した。
「由美、追加で資料が盗まれた! 敵は三十代くらいの白衣を着た女だ。あの動きにくい服装で森を逃げるとは考えにくい! 資料館から出て行く車を足止めしてくれ!!」
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