第4話 声
※前回のあらすじ
桐生ビルの最上階――前川みさきが待つその場所へ行くために、
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青年の背後の空間に、無数の太刀が出現する。
壁を一杯に埋め尽くすように浮いている幻影の凶刃。
その切っ先は、全てが九凪皆を正確に捉えていた。
「ここは僕の夢の中です。もう、誰も逃れることはできない」
不敵に
「
射出される。
まるで無数に配置された砲台が、一斉に火を噴くような光景。
鋭利な太刀が撃ち出された矢のように飛翔し、圧倒的な物量でもって迫り来る。
「ッ!!!!」
咄嗟の判断。
九凪皆は悲鳴を上げる体を更に酷使して
両手だけ次元の壁を越えて界力次元へと干渉する。猛然とした界力の流れに触れ、現実次元へと引きずり落とす。それを迫り来る無数の太刀へと叩きつけた。
鞭のように
二つの力が正面からぶつかった。
天地を揺るがすような激震が、桐生ビル全体へ走り抜ける。
だが。
「――っ、がああ、あああああああああ、ああああああああああああああっ!!!!」
灼熱の激痛が全身から迸った。
「(……この痛みは、幻覚、なんだ……肉体には、何の影響も、ない……っ)」
言い聞かせるようにして、九凪はふらふらの足で辛うじて立ち上がろうとする。不思議と、少しだけ痛みが和らいだような気がした。
全身を貫いている激痛は言ってしまえばただの勘違いに過ぎない。精神体が傷ついたからと言って、現実の肉体の機能が損なわれる訳ではないのだ。ならば動かすことはできる。
「(……考えろ、思考を止めるな。恐怖に飲み込まれれば勝てないぞ)」
基本に立ち返って考えろ。
儀式術式を方式とする界術師と戦う時の方法なんだ?
相手の術式の条件や手順を暴き出し、それを妨害して呪いを誘発させる。
この方法に則るに当たり、九凪はまだ
デイモスは契約によって、対象が夜に寝ている時に夢の中に出現して命を奪う悪魔だ。ならば何らかの手段を使って術式領域を『夢』だと定義しているはずなのだ。森の王が桐生ビルの周りのビル群を『森』と定義したように。
「(あるはずなんだ、状況を覆せるような活路が)」
違和感はあったのだ。
何故、陰の中にいた夢の使者は反撃をせずに九凪の蹴りを受けた?
何故、九凪から逃げる時に陰の中に入ろうとせずに、反撃されるリスクを冒してでも無理やり方向を変えた?
共通項は、
鈴の音や相手の恐怖ではない。
もっと根本的な術式の条件はなんだ?
「(……月光、か?)」
閃きが、舞い降りる。
月――それは夜の象徴。
九凪は思わず視線を上向ける。ビルの壁面には開放感を意識したの大きな窓硝子に覆われており、十分な月明かりが入り込んで
「(いや、でも月光だと昼間に恭介さんと戦った説明が付かない。つまり……!)」
何らかの光を『月光』として術式内で定義。その光を浴びることで、生み出した術式領域を夢の中だと表現しているのだとすれば。
「(窓から差し込む月光さえ塞げば、
窓硝子を全て塞ぐ必要はない。
「(いけるぞ! まだ
勝ち筋があると分かっただけでも九凪の心は奮い立った。
ズキズキと鈍い痛みが走る全身に鞭を打ち、九凪は
目の前に。
心臓が止まるような驚愕に体が硬直する。
「なにか、」
トン、と。
人差し指の先で、愕然と両目を見開いた九凪の額に触れる。
「思い付きましたか?」
バヂィッ!! と、記憶が刺激されて脳で火花が散った。
角宮恭介の意識を奪い取った時と、同じ。
その刹那の閃きは、猛烈な危機感となって背筋を這い上がる。
おそらくこれは今までとは別の術式だ。しかし、咄嗟にはどのような怪談を元にしているのか思い出せない。だが、効果だけははっきりと覚えていた。
これが現実だと思わせるような幻覚世界へと精神体を送り込む。
ただ幻影を現実に上塗りする術式とは訳が違う。
一つの世界の創造。
「発想に歓喜しましたか? 活路に興奮しましたか? 気付いてくれて良かった。ですが残念。その絶望への落差は恐怖を倍増させる」
強烈な電流が走ったように硬直した九凪を見て、
「(わざと、僕に術式の隙を気付かせたっていうのか!?)」
唇を噛みながら慌てて距離を取ろうと両足に力を入れた。ズキィッ!! と鋭い疼痛が脳天まで響く。両足が引き千切れるような痛みを堪えて無理やり背後へと跳んだ。
『大きな穴が出現して、その闇の中へと落ちていく』
まるで巨大な異形の化物が、獲物を飲み込むために口を開いたように。
九凪が着地しようとしていた床が、突如として割れた。
「っ!?」
落ちていく。
先の見えない濃密な深淵へと引きずり込まれる。
視線の先に。
天を向いて闇の中で屹立する太刀が見えた。
九凪の体は、その太刀の切っ先へと吸い込まれるように落下している。
死。
冷たく、黒い、その一文字が、九凪の脳を激しく揺さぶった。
「――
それは反射に近い行動だった。
相手が自身に向けて発動している全ての界力術を無効化する九凪皆の
そのデメリットを利用する。
九凪に掛けられた
景色が、滲んだ。
辺りに広がっていた無限に続く濃密な闇も、目と鼻の先まで迫っていた太刀の切っ先も、その全てが歪んでいく。
気付けば、九凪は桐生ビルの床に仰向けで倒れていた。
覚醒する意識。指の先まで血が通っていくような感覚。それは
更に全身を苛んでいた痛みが薄れていた。幻影によって付けられた傷は、精神体の歪みと同じである。その為、界力術による幻覚と共に無力化されたのだ。
九凪は軽くなった体を起こして、青年の姿を探すために辺りへ視線を走ら――
「あ、」
思わず、口から呟きが漏れる。
瞳に映ったのは。
弾丸のような速度で飛翔してくる、まるで
一直線に迫り来るその圧倒的な存在に、思考の全てが吹き飛ぶ。
飛んでくる物を避けるという当たり前の反射行動すら、満足に起こせないまま。
人間一人ほどの大きさを持った処刑斧の刃が。
九凪皆の右肩を通過した。
「―――――、―――――――――、――――――――――――――ッッ!!!!!!」
それは声にならない叫びだった。
顎が外れるほど口を開けて激情を撒き散らす九凪の体が、トラックに撥ねられたように大きく吹っ飛ぶ。
ようやく、脳の処理が追い付いたのだろう。全身を鋭利な槍で串刺しにされるような激痛が走る。床を転がる九凪は喉が枯れるような勢いで絶叫を繰り返した。
「(……くそ、力が……)」
立ち上がろうとするも、ピクリとも体は動いてくれない。
ジンジンと熱された鉄板を押しつけられたような痺れが、右肩を中心にして全身へと広がっている。切られたのは精神体であり、右腕は体に繋がっているはずなのに存在を認識できない。視界は明滅を繰り返し、今にも意識が途切れそうだった。
「(……ここまで、なのか)」
諦観が重石となり、九凪の精神は深い意識という海の底へと沈んでいく。水面は遙か頭上へと離れていき、もう手を伸ばしても届きそうにない。
「だめ、だ……! これじゃあ、今までと同じ、なんだ……っ!!」
掠れるような声で自分を鼓舞させながら無理やり両目を見開いた。
他人の意見や想いを借りた薄っぺらい感情ではない。
手に入れたはずなのだ。
自分の内から湧き出た想いを。
簡単には譲れない本当の願いを。
もう一度、前川みさきに会うのだと決めたのだ。
ならば。
どうしてこんな所で諦められる。
今、九凪の全身を苛んでいる激痛は、全て
だから、この痛みは無視しろ。
まだ立ち上がれると、そう思い込め。
「愚かですね。大人しく意識を失えば、もう傷つかなくても済んだのに」
上空に無数の太刀が出現した。
だが九凪は意にも介さずに、心の中に業火を
「うおォォぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
全身全霊を込めて吠える。
体に残っている燃料の全てを絞り尽くし、立ち上がるための気力に変える。
全神経を
もう一度、
それしか格上の界術師である
それも中途半端なものではなく、全力の
ジリッ、と脳裏に幻視が浮かぶ。
真っ赤に燃え盛る深い森。
目の前には血だらけの男が立っている。
胸を衝くような焦燥感に襲われる。このままでは掛け替えのないものを失うといったような危機感に胸が詰まる。
いつもは、ここから先は目を逸らす。
知りたくないと逃げ出していた。
だが。
「(それが、どうした……!)」
例え辛い過去でも、忘れたままの方が良かった記憶でも構わない。
向き合うと決めた。
受け入れる決意をした。
九凪は界力下垂体に意識を集中させる。
その度に、視界を埋め尽くす幻視が克明になっていく。
血だらけの男の顔が、景色が、感情が、全てがクリアになっていく。
そう。
九凪皆は、知っている。
この状況を、覚えている。
だったら記憶の蓋をこじ開けろ。
これは自分の物だ。取り返すことに理由はいらない。
血だらけの男へ、手を伸ばす。
――お前の
声が。
聞こえた。
力強く、背中を押すような芯の通った声。
血だらけの男は、少年のようにニカッと笑って言った。
――託したぞ、カイ。お前が世界を、救うんだ。
「ああ、分かったよ」
ダンッ! と。
九凪はその両足で立ち上がる。
「父さん!!」
同時に。
上空から太刀が豪雨のように降り注ぐ。
ガキィンッッ!!!!!! と、硬質な金属音が連続して炸裂する。
しかし、それは無数の太刀が九凪の体を串刺しにした音ではなかった。
九凪皆の領域の境界。
本来は九凪を中心とした半球状なのだが、今は様子が違った。
盾。
輪郭が曖昧な白い円盤のようなものが、九凪の正面に浮かんでいる。
それが迫り来る太刀を全て弾いたのだ。
「……な、に?」
「どうして、君が『それ』を使える……? まさか、取り戻したのか!?」
「貴方の質問に、僕は正しくは答えられません。だけど誤解を覚悟して答えるのなら、少しだけ思い出せました。なくしていたものを……!」
右手を青年に向けて突き出した九凪の周囲に、半球状の白い領域が出現する。
それが、広がる。
まるで風船を膨らませるように、凄まじい勢いでその体積を増していく。
最終的に、三階フロアをすっぽりと包み込んだ。
「これ、は……!?」
突如として自分を覆った広大な白い空間を見回しながら
「僕は見たことがあったんですよ、この能力の本当の使い方を」
突き出した右手で、今度は能力を発動して界力次元へと介入する。
猛烈な流れの
それは、まるで巨大な蛇だった。
山々よりも大きく、川よりも長い大蛇。九凪の背丈よりも太い光の奔流が、フロアを覆うように
「終わりです、
弓のように強く胸筋を張り、九凪は大きく振りかぶる。
グググググ……、と。
空間そのものがずれるような圧迫感と共に、白い界力の奔流が動いた。
「貴方が界術師である限り、僕には勝てない……!!」
轟然と振り下ろす。
大気を真っ二つに切り裂く白い衝撃を、
音が消失した。
隕石が激突したような凄まじい激震が突き抜ける。
ピシィッ!!!! と、フロアに亀裂が走った。それはまるで蜘蛛の巣のように広がり、
陥没する床。
粘土の板を砕いたようにブロック状になった床が轟音と共に崩壊していく。爆発したように巻き上がる粉塵の向こうでフロアの半分の床が下の階層へと落下した。
「……行かなきゃ」
肩で息をしながらも、九凪は懸命に前に進む。
目的地は、もうすぐそこだった。
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