第5話 黒幕

 ※前回のあらすじ


 自分の記憶と向き合った九凪皆は完全な解放リベラを発動。裏の五本指ファントム――夢の使者ファントムに辛勝する。


 目指すべき場所は桐生ビルの最上階。

 前川みさきの待つそこへ、九凪は歩み始めた。


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 先刻までの戦闘が嘘のように静まりかえった桐生ビルの内部。

 陥没した瓦礫がうずたかく重なっている。完成を間近に控えているとは思えないほど無残に破壊されたその場所へ、一人の女性が動いていないエスカレーターを上ってきた。


「おー、こりゃすげえな」


 高い所から景色を見渡すような軽い調子で言ったのはひさかただ。

 腰まで真っ直ぐ伸びる真っ赤な長髪も、体のラインがくっきり出るようなぴっちり密着した赤いライダースーツにも、一切の汚れや乱れがない。先ほどまで三十人ほどの界術師と大立ち回りを繰り広げていたとは到底思えなかった。


「カイも随分と派手にぶっ壊しやがって、やりゃあできんじゃねえか。だが流石にこれだけ破壊したら怒られたりする……? ま、新谷が上手くやんだろ」


 気を揉むのも面倒だと言わんばかりに玖形由美はあっけらかんとした様子で言った。瓦礫の山へと近づいて鋭い笑みを浮かべる。


「ンで、いつまで寝た振りを続けるつもりなんだ、同業者?」


 降り積もった瓦礫の中へと呼びかける。


 わずかな静寂の後。

 瓦礫の山の隙間から、一人の青年が這い出てきた。


 学生服の裾を伸ばしたようなデザインの服装。紫色の長髪は細く一本に括られている。その手には鞘に入った太刀が握られており、黄金の鈴が垂れている。


 裏の五本指レフト・ファイブ夢の使者ファントムである。


「……ばれてました?」

「当たり前だろうが、アタシを誰だと思ってやがる」


 見た目も体力もピンピンとしている玖形と比べて、夢の使者ファントムは分かりやすくボロボロだった。服や髪には粉塵が付着して汚れており、体を痛めたのか動きは緩慢だ。


 瓦礫に座った夢の使者ファントムに対し、玖形は十年来の友人のように親しげに話しかける。


「それで、アタシの弟子はどうだった? 強かっただろ?」

「ええ、とっても。正直、予想外でしたよ。前に見た時はもっとチグハグな印象がありましたから。何か特別な指導を?」

「いや。元々スペック自体はあったんだ、それを上手く出せていなかっただけで。何十年も前のテレビで最新ゲーム機をプレイするみたいなもんさ。まあ、お前の突破できたってことは壁は越えられたってことだな」

「……厳しいご指導で。それで再起不能になったら元も子もないと言うのに」

「崖の下に突き落とすことも必要なんだよ。あいつの堅い頭の場合、それくらいの衝撃を与えないと殻は破れねえだろうしな」


 実際の所、途中から玖形由美は隠れて九凪皆と夢の使者ファントムの戦闘を見守っていたのだが、それは言わないでおいた。口では厳しい事を言っても、玖形由美は九凪皆に対しては甘い部分が多いのである。


 それに夢の使者ファントムの口ぶりから察するに玖形由美の存在には気付いていなかったのだろう。それほどまでに九凪皆が余裕が奪っていたという意味だ。これは素直に成果と受け取ってもいいだろう。


「ここに居てもいいんですか、切斬女キラーレディ。他の組織や個人と同様に、貴方にも連盟から不干渉が命じられているのでは?」

「ここまで関わったら今更何しても変わらねえよ。それにアタシ的には六家連盟との最低限のラインを守ったつもりだぜ。これで文句を言ってくるなら、そん時は戦争だ。存分にやり合ってやるよ」


 玖形由美は肩を竦めた。


「んで訊きたいんだけどよ、あんた、カイを上に行かしちまっても良かったのか? あいつ、間違いなく実験の邪魔をするぞ」

「始めは止めるつもりでしたよ。ですが、途中で話が変わったんです。彼は立派に『可能性の一つ』として存在感を示しました。ならば実験に介入したとしても問題はありません」

「あぁ、なに言ってやがる? お前ら、森の王を発動させてメソロジアを観測することが目的だろ? なら、どんな理由があってもカイは上に行かせたくないんじゃねえのか?」

「違うんですよ、切斬女キラーレディ。『僕達』の目的はじゃない」

「回りくどい。馬鹿にも分かるように話せ」


 しかし、夢の使者ファントムは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。

 ちっ、と露骨に舌打ちをした玖形由美は仏頂面のまま青年に背を向ける。


「テメェは同業者だからな、挨拶だけしておこうと思ったけど無駄だったみてえだ。次会う時は戦場か? 精々アタシをがっかりさせるなよ」

「待ってください、切斬女キラーレディ。ボクに協力してくれませんか?」

「はあ、協力ぅ? てめえは何もアタシに話さねえのにか?」

「虫がいいのは分かっています。けれど、貴方の力を借りたい。ボク達の本当の目的の為に」

「本当の目的だぁ? だから、説明すんなら馬鹿にも分かるよ――」


「詳しい説明は私がします」


 背後から、声がした。

 振り返った玖形由美の視線の先。動かないエスカレーターを上ってきたのは一人の女性だった。


 女性らしい丸みを帯びたふくよかな体付き。歳は20代前半か。肩口まで伸びた短めの暗い色の髪に、溌剌さを窺わせる目鼻立ち。物腰は柔らかく、すっと一本芯が通っているように落ち着いた雰囲気は、みずみずしく成長した果実を想起させた。


「私達の目的は、森の王の発動による被害を最小限に食い止めることです。貴方にはそれに協力していただきたい、切斬女キラーレディ

「おいおい待ってくれ。食い止めるって、嬢ちゃんさ、しっかり理解してるか? 森の王は正真正銘の神話の再現なんだぜ。いくら五本指とは言えそんな、こと……」


 言いながらも、玖形由美は気が付いたようだ。


 一つだけあるのだ。

 神話の再現による炎の洪水を食い止める方法が。


「『そうかい』。夢の使者ファントムが持つ固有術式か……!」


 夢の使者ファントムの界力術は、術式領域内を『夢』と定義し、領域内の対象の『恐怖』を利用して幻影を生み出し、対象の精神体のみを傷付けるというものだ。その為、夢の使者ファントムの生み出した幻影は現実世界の物体には干渉できない。


 だが、『夢』という制約を取っ払った術式が存在する。

 それがそうかい


 言葉による幻影創造の上位互換。

 自身の心の中に浮かべた光景を、現実世界へと投影する。


 ていに言えば。

 想像を創造するという超が付くほどの反則技である。


 もちろん術式の根底に存在するのはデイモスの怪談であり、また術者自身がこんな現象はあり得ない無意識の内に否定してしまうような脈絡のないものは創造できないという条件はある。しかしそれらは術者の解釈によって調整が可能であり、創造できる現象はほとんど無制限と言っても過言ではない。


 事実、夢の使者ファントムは九凪皆との戦闘中に二度だけそうかいを発動している。


 八階の天井からぶら下がっていたシャンデリアを落とした時。

 九凪皆の次元干渉バリス・フルクティアによる最後の一撃を躱す時。


 だがそうかいの欠点として、その代償の重さがある。

 デイモスの怪談において、夢の中ではなく現実世界を契約者の望み通りに創り変えて、対象を殺したというものがある。


 この怪談で契約者が支払った代償は、自身の命。


 夢の使者ファントムには代償の前払いである程度のストックがあるとは言え、命という代償の代わりするためにはかなりの蓄えを切り崩す必要がある。限界まで代償をストックした状態でも三回発動するのが精一杯だった。


 瓦礫に座っていた夢の使者ファントムが静かに立ち上がった。


「ボクの夢で迫り来る炎を『なかったこと』にします。そういう想像で現実世界を塗り替えます。完全な神話の再現とは言え、指向性のないただの破壊です。術者の悪意がなければボクの力で何とかできるでしょう」

「ンなことが、本当に可能なのか……?」

「ええ。都合の良い事に、ここには周囲からこそぎ力を集約した『世界樹』があるので界力の供給は問題ありません。そうかいもあと一度くらいなら発動できそうですし。更に森の王の術式で、広大な術式領域が定義されています。それを利用すればボクの術式範囲は通常よりも広げられますね」


 夢の使者ファントムは痛めた体を庇うように、ぎこちない動きで瓦礫の山を下りてくる。その様子を見ていた玖形由美に、女性が真摯な態度で話しかける。


「『そうかい』と言えど、被害をゼロにすることはできません。切斬女キラーレディ、貴方には撒き散らされる余波や防ぎきれなかった衝撃の対処をお願いしたいんです。残念ながら、『私達』にはそういった事に避ける余力がないんです……」

「それが、お前たちが今まで暗躍していた目的なのか?」

「はい。今回の一件、六家連盟や明峰家だけに舵取りを任せるのは問題があると判断したので」

「美波ちゃんや八地直征に情報を流したのも、潮見晃の警護をわざと薄くしたのも、てめえらの計画の内か?」

「ええ。明峰家の資料庫から森の王の資料を盗んだのも私達ですね。今回の一件、どこかの誰かに事件を解決する主人公になってもらう必要がありあしたから。他にも幾つか伏線を張らせてもらっていますよ」


 森の王の資料盗難について、玖形由美はずっと違和感を覚えていた。

 黒幕は森の王を発動できるだけの算段を立てて、十年前から準備を始めていたのだ。更に実験の首謀者は森の王の論文を書いた寺山伸一。ならばわざわざ危険を冒して術式資料を奪う理由がないと思っていたのだ。


 だが、その疑問も氷解した。


 実際に新谷零士は森の王の資料が盗難されたからこそ、桐生ビルの設計図を見て『世界樹』という発想に至った。術式資料が盗難されていなければそもそも一連の事件にすら気付いていなかった可能性すらある。


「……回りくどいことをしやがって。そんだけできるなら、森の王の実験そのものをなくしちまえば良かったじゃねえか」

「本当はそうしたかったんですけどね、『掟』でそれはできませんでした。実験は行われたけど、それがどういう訳か中途半端に終わって、結局メソロジアは観測できなかった。このような結末へ辿り着くように誘導させてもらいました。目論見通り、森の王による被害は最小限で食い止められそうです」

「……何者なんだ、お前」


 玖形由美の問い掛けに対し、すっと表情を引き締めた。


「名乗る前に一つだけ約束して下さい。恭介君……かどみやきょうすけには私の存在を伝えないで下さい。

「お前、まさか……っ!?」


 女性はにっこりと柔和な笑みを浮かべた。


ひいらぎすみ。今回の事件のシナリオライターです」

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