第7話 最強の拳

 ※前回のあらすじ


 テロ計画の黒幕であるしおあきらから情報を聞き出すために、かどみやきょうすけくさなぎろうと共に高級マンションの地下を進む。


 目的地まであと少しの所に現れた刺客――杉下の界力術により草薙二郎が倒されてしまう。だが角宮恭介の顔から笑みが消えることはなかった。


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 始まりの八家の一つ、なつごえ。生み出した方式は『とうじゅつ』。

 角宮恭介が使う方式である。


 近接戦闘においては右に出る方式がないとされる武術を専門とした方式だ。打撃や武器を使った攻撃手段だけではなく、高速移動や敵の攻撃の受け流し方などにも特殊な技術が多く存在する。


 闘術の基本理念は、全て『』という概念で説明される。


 界術師は術を発動する時に、脳にある界力下垂体を使って己の精神と界力次元を『接続アクセス』させる。これは精神内で構築した術式の情報を、生命力マナを使って界力次元へと送るためである。


 夏越家の界術師の場合、界力次元に接続アクセスすると己の体内にある『』の存在を如実に感じられるようになる。これには個人差があり、接続しなくても氣を感じられる、あるいは氣を使えるような達人もいた。先ほど角宮が階段の下の様子を探れたのは、この氣を使った技術を利用したからだ。


 闘術とうじゅつを発動させるためには氣を溜めなければならない。溜める方法は呼吸法や決められた動作、瞑想による精神統一など様々。溜め込んだ氣を消費して、『構え』を取ることで術式を界力次元に投影するのだ。


 角宮は短く数回息を吸い、長く吐き出した。

 呼吸法による氣の充填。闘術を発動するに足る量を溜め終わった。


 ここからは、攻勢に出る。


「行くぜ」


 バッ、と。

 彼の姿は紫色の残像を空気に焼き付けて掻き消えた。


 ほうと呼ばれる闘術の基本技術の一つ。

 体内に溜めた氣を消費する事で発動する高速移動術式。


 シンキャク


 身体強化マスクルで引き上げた脚力を、さらに上書きして強化する技術である。記憶次元に保管された世界の記憶メモリアの中には、歴戦の猛者や伝説の戦士に関するものもある。闘術によって再現するのは、彼らが世界の記憶メモリアに刻まれるに至った技や生き様だ。


「ッ!?」


 一瞬にして距離を詰めた角宮を見て、杉下が目を剥いた。


 刻印術式と身体強化マスクルで高めた運動性能でも、角宮の闘術の速さにはついていくのが精一杯である。辛うじて両腕を胸の前で交差して防御する杉下へ、角宮は躊躇なく打撃を叩き込んだ。


 轟音が空気を破裂させる。凄まじい衝撃が走り抜けた。


 ミシミシミシ!! と防御した杉下の両腕が軋む。角宮は無理やり腕を振り抜く。杉下の身体が浮き上がり、防御の姿勢のまま数メートルほど後方に飛んでいく。


 確かな手応え。

 実力カラーの一色差がある。無傷という事はあり得ないだろう。


 杉下は苦痛にその厳つい顔を顰めている。腕が痺れているのか動きがぎこちない。額には脂汗が浮かんでいた。


 角宮は短く呼吸すると、再びシンキャクを発動させる。バンと大気を震わせるような音がした直後、射出されたような勢いで角宮は杉下へ疾駆した。


「調子に乗るなよ若造が!!」


 杉下は足下の刻印術式の起点へと界力を流し込む。


 シンキャクは、直線ならばほとんど瞬間移動のような速度で移動できる。だが裏を返せば、ただ真っ直ぐにしか進めない。それに『術式構成上の不可能性』によってあらかじめ止まると想定していた場所までの間では咄嗟に止まれない。


 その弱点を突く。

 杉下の足下に施された刻印術式が、一際強い光を発した。

 角宮が杉下を攻撃するためには必ず立ち止まる場所だ。


 だが角宮も、その程度の反撃は想定の範囲内だった。

 杉下の足下から放たれた赤い光が紫色の体を貫く。


 だがそれは、すでに移動した角宮恭介の残像。


 宙蹴脚チュウシュウキャク

 歩法の一つである。


 宙を歩いたという伝説を持つ戦士の逸話の再現。氣を消費する事で、空中に足場があるかのように数歩だけ宙で跳ぶことができる。


 一歩目で跳び上がった角宮は、宙を蹴って杉下の頭上を一直線に越えていく。まるで水泳選手がターンを決めるように宙で体を回転させ、再び宙蹴脚チュウシュウキャクを使って杉下へと背後から投擲された槍のように接近した。


 想定外の空中機動を見せられた杉下はすぐに反応できない。振り返った時には、すでに勢いの乗った角宮の蹴りが眼前に迫っていた。

 杉下の体が暴風に煽られた木の葉のように吹き飛んだ。角宮の蹴りの直撃。床を何度も撥ねてようやく止まる。


「(仕留め損ねた……っ!)」


 舌打ちをした角宮は、間髪入れずに床に転がる杉下へと駆け出した。

 防御が間に合わないと瞬時に判断した杉下は、自ら後方へと跳ぶ事で蹴りの衝撃をある程度緩和したのだ。流石に十数年も裏社会で界術師をやってきただけの事はある。格闘の腕は一級品だ。


 近づいてくる角宮に気が付いた杉下は起き上がりながら何かを投げた。

 二本の短剣。

 刃にはまるで回路図のように赤い線が浮かび上がっている。


 そう。刻印術式が施された武器や装備だ。


 界力を流し込めば術が発動する刻印術式。その特徴を生かして、歳森家は全ての家の界術師向けに界力武装の生産も行っている。『職人』と呼ばれる界力武装の生産を専門に行う界術師も存在するほどだ。


 通路を疾駆する角宮へと投擲された二本の短剣が、赤い輝きに包まれる。


 まるで、蕾から花弁が開くように。

 短剣の湛えていた赤い輝きが、無数の刀身へと分裂しながら広がっていく。


 鋭利な先端を持った光の剣が、一直線に、あるいは直角に曲がって、上下左右全ての方向から角宮を貫くために驟雨の如く降り注ぐ。


「……ッ!!」


 しかし、角宮は止まらない。

 一瞬だけ瞼を閉じて体内の氣に意識を向ける。カッと両眼を開くのと同時に、氣を体の正面へ向けて放った。


 ショウホウ

 ほうと呼ばれる闘術の基本技術の一つだ。


 歩法と同じく氣を消費して発動する。物理、界力術を問わずに、氣を壁として展開して攻撃を弾く事ができる。また人間に放てば相手を威圧する事もでき、達人の領域になれば衝放波だけで気絶させる事もできる。


 角宮が展開した氣の壁によって、迫り来る無数の光の切っ先はガキンと弾かれた。界力武装の本体である短剣も同様に、ぐるぐると回転しながら天井の方へ打ち上げられる。


 だが。

 宙を舞っていた二本の短剣が唐突にピタリと動きを止める。そして切っ先を下に向け、撃ち出されたように走る角宮の背中へと降り注いだ。


 界力武装の機能。

 自動的に発動する追加攻撃。


「だから!」


 ガキン!! と角宮は背後から迫る短剣を衝放波ショウホウハを使って見ずに打ち落とす。


「その手の不意打ちは効かねぇっつってんだろ!」

「ッ!」


 苦い顔で舌打ちをした杉内は、四肢から赤い輝きを放ちながら構えを取――


「遅い!!」


 カッ、と角宮が両目を見開いた。


 氣法・シンサイアツ


 体内で練った氣を圧縮し、睨み付けることで相手の精神の動きを直接揺さぶる技術。物理的な衝撃はなく、また目線を合わせる必要はあるが、心砕圧を受けた相手はねこだましを喰らったように刹那の間だけ思考が奪われる。


「……な、」


 杉下の表情が、驚愕に固まる。

 そのわずかな隙は、界術師による高速戦闘において致命的だ。


 懐に潜り込んだ角宮は、闘術を発動する。

 闘術とは記憶次元に世界の記憶メモリアとして保管された、伝説の勇者や歴戦の戦士の技の再現だ。つまり、氣法や歩法とは別に必殺技が存在するのである。


 角宮恭介が再現するのは、とある一人の伝説の勇者。

 闘術に存在する無数の戦士の中でも、二つ名を与えられた九人の内の一人。


 ハリル・アイアンハート。

 またの名を、最強の戦士ベラトール


 いかなる困難も己の肉体のみで乗り越えてきた最強の存在である。

 ハリルはその生涯のほとんどを愛する女性のために使っている。冤罪で国を追われる事になったその女性を守るために、共に旅をし、追手を倒し、守りきってみせた。


 素直に格好良いと思った。


 勇者や戦士の中には、もっと実戦の中で使える便利な能力を与えてくれるものもいる。だが、角宮はこの逸話に惹かれて提示された術式適性の中から選んだ。


 今となっては、その選択を誇らしく思っている。


 ひいらぎすみ

 角宮恭介もまた、愛する女性のために生きる男なのだから。


 角宮から漏れ出していた紫色のこうが、真夏の太陽のように激しくきらめき始める。全身を凄まじい熱が駆け回った。


 闘術・とうろうけん


 ただただ、体内の氣を一点に集中させて打撃と共に放つ技。

 向かい来る全ての困難を、拳一つで打ち砕いてきたハリル・アイアンハートの生き様の再現。単純であり、副次的な効果を術者に与えない代わりに、闘術の中では最大の破壊力を誇っている。


 角宮は体を捻って硬く握った拳を腰溜めにする。つま先から脳天まで、体中に満ちた氣の全てを絞り出すように拳へと集めた。濃度が高まった紫色の界力光が炎のように腕の周りで揺らめいている。


 硬直から復活した杉下は、咄嗟に両腕で防御の態勢を取る。

 

 だが、構わない。

 一歩、大きく踏み出した。


 角宮恭介の闘術が杉下に炸裂する。

 目の前で爆発したかのような衝撃があった。


 メキメキメキメキメキッ!! と何かを砕くような鈍い感覚。

 地下空間全体を揺らすような衝撃が突風のように広がっていった。爆発的に溢れ出す紫色の界力光が床や壁を染め上げる。杉下の体はまるで巨大なパチンコで撃ち出されたように吹き飛んだ。


「俺の闘術は、破壊力しか取り柄がないんだ」


 にやり、と角宮恭介は得意げに言った。


「だからさ、たかが防御ごときで防げると思うなよ」



      ×   ×   ×



 角宮恭介と草薙二郎は地下四階へと辿り着いた。


 本当は柊グループの戦闘員である杉下から色々と聞き出したかったのだが諦めた。杉下が完全に気を失っているのもあるが、角宮の尋問技術でプロである杉下の口は割れないと判断したのだ。部下と同様に杉下も拘束して放置する。


 杉下の界力術を受けた草薙二郎もある程度は回復していた。足を痛めて引きずるように歩いているが、それ以外に目立った外傷はなかった。


 通路を進み、突き当たりにある扉を開ける。


 そこは今までの無機質な通路が嘘かと思えるほど豪華な内装の部屋だった。しかしまるで泥棒に物色されたように室内は荒れている。知識がなくても高級だと分かる調度品は乱暴に倒され、壺や灯りのガラスが床に散乱していた。


「……誰もいないっスね」

「逃げられたな」


 どこかに隠し通路を用意してあり、護衛の杉下が敗北した時点でそこから地上へ脱出したのだろう。


「逃げた野郎のことはかいと新谷さんに任せるぞ。俺達は情報集めだ」


 二人は何か手掛かりになるものがないか室内を見回す。


 パソコンなど電子機器の類いは叩き割られたように破壊されている。情報を残さないように潮見晃がやったのだろう。一年以上掃除をしていないと言われても信じられそうな散らかり具合を見るに相当慌てていたはず。何か手掛かりになりそうな情報が残っている可能性は十分に考えられた。


 二人は少しでも情報が残っていそうなものを室内にあった適当な鞄に詰め込んでいく。

 ポーンと軽い電子音が鳴った。無線だろうか。内線として潮見晃が利用していたのだろう。角宮は迷いなく通話を開始する。


『やっほー。お疲れ、恭ちゃん』


 無線の相手は狩江美波だった。システムを掌握した時に利用できるようにしたのだろう。


「潮見晃はどうなった?」

『逃げ出したよ。隠し通路があったみたいだね。ナッギーに追ってもらってる。あとあと、マンションの裏口から迷彩服を着た数人の男が出て行ったよ』

「そいつらは敵さんだ……でも撤退するか? 普通なら増援を寄こすはずだ。それにボスの杉下って野郎は俺が気絶させた。なら誰からの命令だ?」

『うーん、それは調べてみないと分からない。施設内の制圧と公的な捜査に関しては、手はず通り新谷さんが処理してくれる。あたしたちが不正に界力術を使った事も予定通り誤魔化せそうだよ』

「了解。俺たちは手掛かりを探してから地上に戻る。敵の増援は?」

『今のところなし。でも早めに戻ってね』


 そう言って、狩江は通話を切った。

 無線機を置いた角宮は、散らかった室内を見回す。


「(こっから、なにか手掛かりが見つかってくれよ)」


 祈るように心の中で呟き、角宮は再び物色へと戻っていった。

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