第6話 刺客

 ※前回のあらすじ


 しおあきらへの道を塞ぐために地下三階に待ち伏せしていた敵に対し、かどみやきょうすけくさなぎろうは無事に勝利を収めることができた。


 潮見晃が待つのは地下四階。目的地はもうすぐだ。


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 角宮恭介は持ってきた結束バンドを使って敵の腕を縛っていく。


 襲ってきた七名の界術師の内、その場で気を失っていた五名を拘束。負傷して逃げてしまった二名の敵が気懸かりだが襲ってくる気配はなかった。


 二人は暗い廊下を静かに進んでいく。


 先ほどまでの戦闘が嘘のように室内はしんと静まりかえっていた。声を出す事を躊躇わせるような静けさの中、特に戦闘が起きる事もなく、二人は地下三階を踏破する。


 最後の角を曲がると、潮見晃がいる地下四階へと続く階段が遠くに見えた。


 不自然に長い一本道だ。

 深夜の病院を想起させるような冷たく薄暗い廊下。それが100メートルほど続いている。今までとは違う造りに何かの意図を感じながらも慎重に歩を進めた。


 そして、一本道を半分ほど進んだ時だった。


「思っていたよりも若いな」


 一人の男が地下三階から階段を上がってきた。

 歳は40代半ばだろうか。刈り込まれた坊主頭に、彫刻刀で削ったような厳つい顔付き。鋭い目許や鋼のように引き締まった肉体は一目で彼が裏社会で生き残ってきた猛者だと理解できた。


「杉下だ。先に言っておくが、依頼主クライアントから貴様らを苦しめてから殺せと言われている。ガキだからと言って容赦してもらえるとは思わない方がいい」


 杉下は冷淡な口調で告げる。

 表情筋が岩になったかのように表情は変わらない。鋭い視線に威圧感を覚える佇まいが、静かな殺気となって空間を支配する。隣で息を呑む草薙。角宮はまるで猛獣と共に檻に閉じ込められたような気分になった。


「だが俺も鬼ではない。大人しく投降すれば、苦しめずに殺してやるが?」

「そんな脅しが利くくらいなら、こんな場所に来てねぇよ」

「それもそうか」


 杉下は右足で軽く床を踏みつけた。

 コツン、と硬い音が静寂に響く。


「ならば、その決断を後悔しろ」


 その瞬間、全身を猛烈な『イヤな予感』が走り抜けた。

 このまま立っていたら、心臓を刃で貫かれるような凄然とした危機感。

 咄嗟に身体強化マスクルを発動させて上体を少し後ろに倒した。


 その眼前を。

 床から伸びた赤い光が猛然と通り抜けていく。


「ッ!?」


 喉が干上がった。

 辛うじて回避した角宮は追撃を避けるために、大きく後方へ跳び退く。


 だが草薙は回避できなかった。最初の一撃で顎を撃ちぬかれ、頭を後ろに倒すようにして体が浮き上がる。直後、無防備な胴体へと天井から伸びた赤色の光が突き刺さる。草薙の体はくの字になって勢いよく床へと叩きつけられた。


「……ッがぁ!!」

「二郎!!」


 しかし、草薙からの反応はない。体中を巡る激痛に耐えるかのような苦悶の表情を浮かべたまま、角宮に視線を向ける事で精一杯のようだ。


「ほう、あれを躱すか」


 杉下が感心したような呟いた。


「テメェ……っ!」

「私はこの業界で十数年間生き残ってきた。先ほどまで戦っていた部下と同じように思ってもらっては困るぞ」


 冷たくも刺すような殺意が、杉下の両眼を獣のようにぎらつかせる。


「勉強の時間だ、若造。社会の厳しさを教えてやろう」



      ×   ×   ×



 始まりの八家の一つとしもり。生み出した方式は『こくいんじゅつしき』。

 それが杉下の扱う界力術だった。


 定められた術式領域内に術式の情報が詰まった『刻印』を施していく。あとはこの刻印に術者が界力を流し込めば、その度に界力次元へと術式の情報が送られて、界力術が発動するという仕組みである。


 刻印術式の利点はいちいち術式を展開する手間を省く事ができるという点にある。一度刻印した術式は、術者が解除しない限り消えない。そのため今回のような待ち伏せして敵と叩くという状況はまさに理想的な戦場なのだ。


 杉下は大量の刻印術式をこの一本道に施している。侵入者は蜘蛛の巣に掛かった蝶のようなものだった。


 杉下の思惑通りに罠に嵌まった草薙二郎はすぐに戦闘に復帰できるような状態ではない。一対一ならば若造に負ける気はさらさらない。角宮恭介もすぐに同じ末路を辿る事になるはずだ。


 そうとは知らずに、角宮恭介は身体強化マスクルを使って床を蹴った。


 杉下は冷酷な表情のまま右足で軽く床を踏みつけた。この場所は刻印した術式に界力を流し込むための『起点』の一つである。一本道の通路に張り巡らせた刻印の中から、角宮恭介に対して最も有効な一撃を選択して発動した。


 赤い線が床や壁を走る。直線や直角が組み合わさった様子はまるで回路図のようだ。天井に描かれた回路図の一点。丁度、走っている角宮恭介の死角になる場所が、一際強い光を発する。


 直後、一条の赤い光が薄闇を引き裂いた。


 躱せるはずなどなかった。

 角宮恭介からすれば完全なる死角。発動の所作は床を軽く踏みつけるだけ。例え、先ほどの攻撃で一本道に刻印術式が施してあると気付いていても、それだけではどこから攻撃が飛んでくるか分からないのだから。


 だが。

 すっ、と角宮恭介は天井から伸びてきた赤い光を視界に入れる事なく躱した。


「っ!?」


 杉下の顔に驚愕が走り抜ける。

 角宮恭介はわずかにバランスを崩しただけで、その足を止めていない。


 回避された事が信じられないと言わんばかりに、杉下は次の一撃を放つ。しかし、そのどれもが角宮恭介に当たらない。死角からも、横からも、真正面からも、その全てを攻撃がどこに来るのかをあらかじめ知っているかのように回避された。


「(あり得ない……! どうしてあれが躱せるんだ!!)」


 脱出マジックで、アシスタントを閉じ込めた箱を四方八方から剣で貫くというパフォーマンスがある。杉下が行ったのはまさしくその状況の再現だ。現実的に考えて当たらない訳がない。


 歯噛みする杉下を尻目に、角宮恭介は更に距離を詰める。すでに、近接戦と呼んでも差し支えのないほどの距離まで接近を許していた。


 杉下は通路に仕掛けた刻印術式から一度意識を離す。

 代わりに、今度は全身へと力を漲らせた。

 炎のような熱が四肢を駆け巡る。同時に、杉下の皮膚にまるで刺青いれずみのように刻印術式が浮かび上がった。


 術式投影。


 精神内にある構築領域で作った術式を、界力次元ではなく現実次元に出現させる技術の総称だ。これはすいたいの機能の一つとされている。刻印術式を施す時、直接刻印を彫る場合以外は、このように術式を投影していた。


 杉下が自身の肉体に投影した刻印は、身体の強度を上げるという術式。

 構えを取り、角宮恭介を迎え撃つ。


「ヤァッ!!」


 裂帛の気合いが炸裂する。

 血のようにあかい界力光が杉下の全身から爆発的に溢れ出した。

 上半身を弓のように引き絞り、身体強化と刻印術式によって生み出した力の全てを右腕へと集約する。それを躊躇なく角宮恭介へと放った。


 しかし、杉下の打撃は空を切る。

 ぼふぅ!! と空気が勢いよくかくはんされた。


 落胆する間もなく、杉下は流れるような動きで次の攻撃を繰り出す。牽制を交えた複数回の打撃から、本命の蹴り。だが角宮恭介は全ての体術を受けきった。


 杉下が大きく踵を振り上げる。反撃覚悟の一撃。脚に浮かび上がる刻印術式から漏れ出したあかい界力光が残像となり、死神の鎌のように踵が振り下ろされた。


 間一髪のタイミングで、角宮恭介は体を後ろに引く事で回避する。そのまま後方へと大きく距離を取った。


「おっさん、一つだけ忠告するぞ」


 少しだけ荒くなった呼吸を落ち着けながら、角宮恭介は言う。


「この通路に仕掛けた刻印術式だけどな、はっきり言って意味ねぇんだわ。何回やっても俺には当たらねぇ。俺はだからさ」

「……浅はかだな。すでに私がこの場に仕掛けた術式を全て貴様に見せているとでも思っているのか?」

「強がるなよ。その体、どうせ刻印術式で強化してるんだろ? 身体強化マスクルまで併用してるんだぜ。あんたが強いのは分かったけど、実力カラーが赤のあんたに他にいくつも術式を展開させておく余裕はないはずだ」


 図星だった。

 刻印術式の弱点として、一度投影した術式を維持するために処理のリソースを割く必要がある。この一本道の通路に施したのは、個人で発動する術式ではかなり大規模なものだ。維持するにはかなりの負荷が掛かる。再び投影しようにも、同等の規模を展開するためには時間が掛かる。戦闘中には行えない。


 だが、杉下は焦るような素振りを見せなかった。彼はまだ『奥の手』を隠してある。それが精神的な余裕を生み出しているのだろう。


「提案なんだけどよ、遠距離でチクチクするよりも、もっと近づいてバチバチやろうぜ。あんた、格闘もできるんだろ? そっちの方が俺も嬉しいしな」

「拒否する。敵の有利な土俵で戦う必要がどこにある?」

「だよな。だったら、」


 角宮恭介は、獰猛に告げた。


「まずはテメェを、俺の土俵に引きずり込むところから始めようか」

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