??? 残滓

 夢を、見た。


 少年は走っていた。

 森の中だろうか。しかし、周囲の木々は赤々とした炎が激しく彩っている。パチパチと何かが破裂するような音が鼓膜を叩く。煙と熱で息苦しくなりながらも、少年は赤に染まった下草や腐葉土の上で必死に足を動かしていた。


 ――もっと早く走れ。


 少年の手を引いて走る女の子が、必死の形相で叫ぶ。

 少女……と呼ぶには、その女の子は大人びているように見える。少なくとも幼い少年からすれば十分に大人と呼べるような存在だった。


 普段から森の中を走り慣れているのだろうか。進む方向に一切の迷いなく、また地面から隆起する樹の根にも足を取られることなくすいすいと進んでいく。少女の体から漏れ出した赤色の光芒が、少年には真夜中に見る灯台の光のように頼もしく見えた。


 しばらく進むと、目の前にはるか上空まで屹立する岩壁が現れる。森が途切れたのだ。この場所はいつも少年と少女が遊びにきている場所。来慣れた場所ということで、少年の心は少しだけ落ち着いた。


 ――少し、休憩にするぞ。


 少年は倒れ込むように下草に寝転がった。


 熱い。焼け死にそうだ。

 全速力で走り続けたせいで動悸が止まらない。少年は深呼吸しようとして思いっきり黒い煙を吸い込んで盛大に咽せる。酸素を求めるように必死に喘いだ。


 対して、少女は全く息を乱していない。警戒するような鋭い視線を周囲に走らせていた。叫び出しそうな心を抑える為に、少年は少女の手を強く握り直す。


 どれくらい立ち止まっていただろうか。

 燃え盛る森の中から、一人の男が飛び出してきた。男の腕には一人の女性が抱きかかえられていた。女性は体調が悪いのか顔色が悪く、ぐったりとしている。意識はあるようで、時折苦しそうに呻いていた。


 少女が男に駆け寄っていった。何やら深刻そうな顔で話しているが、少年に他の事を気に掛けるだけの余裕はなく、話し声は断片的にしか聞き取れない。


 もうすぐ、ここにもヤツらがやって来る。


 男がそんな言葉を口にした気がした。その瞬間、少年の心は猛烈な恐怖感に食い潰される。ガタガタと全身が震え始め、自分の意志とは関係なく涙が溢れ始めた。

 少年の様子に気付いたのか、少女が慌てて駆け寄ってきた。顔を真っ青にして震える少年を抱きかかえて、優しく頭を撫でる。


 ――大丈夫。お前は、アタシが守るから。


 力強い少女の言葉が、少年の摩耗した心へと暖かく沁み込んでいく。次第に体の震えは収まっていった。


 だが、そんな平穏も長くは続かなかった。

 燃え盛る森の中から無数の人影が現れた。ヤツらだ。少年はそう直感した。再び体が震え始める。少女は、そんな少年を強く抱き締めて何度も励まし続けた。


 少年は、瞼を閉じる。

 荒々しい音だけが鼓膜を引っ掻き続けた。誰かが戦っているのだ。早く終わってくれ、と少年は神様に祈った。


 静かになった。瞼を開けると、そこには血だらけの男が立っていた。それでも力強く二本の足で立っている。どうやら、男が戦いに勝ったようだ。


 でも、それで危機が去った訳じゃなかった。


 また炎に包まれた森の中から、足音が聞こえてくる。少年を抱き締めていた少女の腕に力が入った。まだ幼い少年でも理解できるほどに、状況は絶望的だった。

 男が少年と少女の方へ振り向く。男の体が白い光に包まれた。


 途端。

 少年のすぐ後ろに、『』が開いた。


 岩壁に開いたのではない。少年の背後の空間に、漆黒の闇を湛えた穴が出現したのである。


 少女が何かを叫んだ。内容は分からない。でも、この展開に納得していないというのは何となく察することができた。


 しかし、男は首を横に振る。少女は更に食い下がろうとするが、唇を噛むようにして舌鋒を収めた。炎の中に人影が浮かび上がったからだ。もう、時間が残されていない。


 


 少年は男の背中へと手を伸ばす。


 このままでは、何か決定的な展開が訪れる気がした。

 掛け替えのないものを失ってしまうような不安。

 何かしないと。形のない焦燥だけが、胸を衝くように溢れ出す。


 少女が、少年の体を引っ張って『穴』へと入ろうとする。

 少年は必死に抵抗した。だが少女の力は強く、抗えない。


 そんな少年を見詰め、男は力強く

 だけど、聞こえない。


 少年の視界は闇に染まり、そして――

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