第8章 彼らの向かうその先に

第1話 角宮恭介の向かう先

 一二月中旬。

 クリスマスや正月といった年末年始の行事がすぐ目の前に迫り、世間は師走の名に違わず慌ただしい雰囲気に包まれていた。行き交う人々は厚手のコートに身を包み、歩く姿は北風から逃げるように早足だ。


 市立九天総合病院でもそれは同じだった。朝から病室にやって来る看護師や医者は忙しそうで、病床に横になったままの角宮恭介は心を落ち着かなかった。

 まあ、騒々しい理由は他にもあるのだが。


「よっ、アニキ! 元気にしてるっスか?」

「お見舞いに来たよ、恭ちゃん」

「お前ら……、毎日来なくてもいいって昨日も言っただろうが」


 すでに慣れた様子で病室内を動き回り、二人は椅子や机を配置し直している。角宮が目を覚ましてから数日が経過したが、二人はこうして毎日病室を訪れていた。


「つか前から気になってたんだけどよ、お前らここに居てもいいのか? 美波、お前大学はどうした? 今日は平日だろ」

「いいんだよ。文系の大学生は基本的に年中暇なんだから。それに美波ちゃんは優秀で単位もしっかり取ってるし、焦って授業に行かなくていいのだー」

「……テスト前になって慌てても知らねぇぞ。二郎、お前はバイトあんだろ」

「あるっスけど、あっしは夜勤ばっかりっスから。昼間は暇なんスよ」

「なら、大丈夫か」


 大人しく、角宮は引き下がった。


 こうして毎日お見舞いに来てくれるのは有り難いと感じている。気恥ずかしさからぶっきらぼうな態度を取ってしまうが、二人とは長い付き合いであり、その辺りの細かい感情は口に出さなくても伝わっているのだろう。


「あれ恭ちゃん、誰か他にお見舞いに来たの?」


 ベッドの奥の棚に置かれた籠を見て狩江が訊ねた。籠の中には様々な果物が入っているが、一杯に詰まっているのではなく不自然に隙間が空いていた。


「朝早くに新谷さんとルリカが来たんだ。そん時に置いていってくれたよ。……まあ、半分はルリカに食われちまったけどな」

「そうなんだ。じゃあ、せっかくだし頂こうよ。あたしが切ってあげる」


 狩江は籠に入った林檎を手に取ると、棚から新谷が置いていったナイフを取り出した。ティッシュなどの小物が置かれている台を片付け、紙皿を敷いて、その上で切り始める。


「指を切るなよ」

「うっさい! 美波ちゃんに任せなさい」


 ぐぐぐ……と慣れない様子で狩江は林檎を切っていく。赤い皮の形状から察するにウサギを模したいのだろうか。だが無残にもザク切りにされたそれは、初めて包丁を握った少女が切ったジャガイモにしか見えなかった。


「はい、恭ちゃん。あーん」

「ふざけんな、ガキじゃねぇんだぞ!」


 フォークに刺して口許に差し出された林檎を、角宮は顔を逸らすようにして拒否する。


「むぅ! 不器用なりにも美波ちゃんが切ってあげたと言うのに!」

「いや、不器用過ぎるだろ。斬新な現代アートの残骸みたいになってんぞ」

「失礼な! それにラクニル時代に入院した時、カスミンにあーんしてもらって嬉しそうな顔で食べてたじゃん!」

「……待て、どうしてそれを知ってる!? あん時は確か二人っきりだったはずだ!」

「面白そうだったからこっそり盗み見てました! 動画だって残ってますっ!」


 嬉々とした様子で狩江は携帯を取り出して画面を見せる。

 病室の扉を少しだけ開けて撮影しているのだろうか。扉と壁の隙間から覗き見るような構図の映像の中では、柊佳純によって差し出された林檎を食べようと、ニヤニヤと浮ついた顔の角宮が首を伸ばして――


「はあァァあああああああ!! な、ななななんだこれはあ!?」

「あはは、恭ちゃん顔が真っ赤だね!」

「おい待て! 今すぐ再生を止めろ! 確かこの後は……!!」

「うん、キスしてたね。ばっちり映ってる」

「ぎゃぁぁァあああああああああああああああああああああああああ!!」


 ばたん、と角宮はベッドに倒れる。猛烈な恥ずかしさが熱を伴って顔を這い上がってきた。


「消せ! 今すぐその動画を消すんだ美波!!」

「いやだよー、こんな面白いもの消す訳ないじゃん。ナッギーとの交渉材料にもなりそうだし」

「ンなことさせるか! クソ、だったら力尽くでも……っ!」


 狩江の携帯へと手を伸ばすが、頭上でブンブン揺れる点滴の管が邪魔で満足に動けない。大笑いする狩江に対抗する術が今の角宮にはなかった。


 恨みがまし視線を狩江に向ける。


「……絶対に消してやる。その動画を、この世から」


 退院してからやるべきことが一つ増えた瞬間だった。

 懐かしむような顔で笑う草薙は、狩江が切った林檎を摘まみ上げる。


「でも良かったっスね、アニキ。思ったよりも早く退院できそうで」

「まあな」


 シャクリと瑞々しい音と共に林檎を咀嚼する草薙を見ながら、角宮はベッドに腰掛けるように座り直した。


「入院費だって、名桜の仕事中の怪我って扱いにしてくれて組織から出てるんだ。あんまり長引かせる訳にもいかねぇよ。それに、目指すべき道がはっきりしたんだ。何時いつまでも寝てられっか」


 紙皿に乗った林檎を掴み、角宮は乱暴に咀嚼した。


「俺は負けたんだ。完膚なきまでに叩きのめされた。言い訳ができねぇくらにな」


 脳に浮かぶのは、うつ伏せで動けなくなった自分を見下ろす夢の使者ファントムの姿。


「……遠いよ、やっぱ五本指は。全然手が届きそうにもねぇ。だが、それを実感できただけでもこの敗北には価値がある。ラクニルを卒業してから、俺は強くなってるんだって思ってた。五本指とだって互角に戦えるってな。だが、その慢心はキレイに打ち砕かれたよ。俺は弱い。こんなんじゃ、すみを連れ出せねぇ」


 俯きがちだった角宮は、表情を引き締めて拳を硬く握った。


「だから、俺は前に進むだけでいいんだ。立ち止まる必要もねぇ、後ろを確認しなくてもいい。そんな段階にまで辿り着いてねぇんだから。ただ愚直に、示された方向へ邁進する。分かりやすくていい。実に俺らしい結論だ」


 目の前に広がる道は、平坦でなければ、真っ直ぐでもない。


 それがどうした。


 本当にこの道で合っているのか。もっと確実で、安全な方法はないのか。心に余裕が出来たせいか、今まではそんな事を考えてしまっていたのだろう。


 だが、そんな疑問は必要ない。


「俺は、強くなるぞ。もっと、もっと、佳純に手が届くまで」


 迷う暇があるのなら、一歩でも前に進め。

 自分で選んだ道の先にゴールがあると信じて。


 誇りを持って進め。じゃなきゃ、テメェの歩みに価値はない。


 自分が歩いて行く道を信じなければ、例えどんな選択をしても意味はないのだから。


「流石アニキっスね。目覚めた時は結構落ち込んでたのに、もういつも通りに戻ったっス」

「うん、恭ちゃんは大丈夫そうね。問題はナッギーだよ」

「ん、かいがどうかしたのか?」

「新谷さんの話だと塞ぎ込んじゃってるみたいだよ。理由は詳しく聞いてないんだけどさ。ずっと家から出て来ないんだって」

「……なに言ってるんだ? 皆なら、昨日ここに来たぞ」

「えっ、恭ちゃんそれホント!?」


 身を乗り出すようにして狩江は訊ねた。


「で、どんな様子だった?」

「……どんなって言われてもな、まあ確かに元気はなかったか。ただ色々と話を聞いてみたが、そんな心配する必要はないんじゃねぇか? すっかり腹を決めたようだったしな」

「決めたって、なにをっスか?」

「なにって、そりゃあ」


 ふっと頬を緩めた角宮はどこか嬉しそうに言った。


「次に自分がどうするべきか、どこへ向かうべきか、だよ」


 九凪皆もこの事件を通じて、何かを失って、何かを見付けたのだ。

 自分と同じように。


「俺も、負けてられねぇな」


 道のりは果てしなく遠く、険しい。

 それでも、角宮恭介は進み続ける。


 その手で、誓いを果たすまで。

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