第9話 白い闇

 ※前回のあらすじ


 不安定ながらも解放リベラを発動したなぎかいは、ひさかたくろかねと協力して暴走したルリカを止めることに成功する。


 界力石盗難事件の犯人であるとよたかには逃げられてしまう。

 後味の悪さだけが冷たい夜に残っていた。


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 ロングコートの中へと染み込んでくる肌寒さを感じながら、九凪皆は砕けたコンクリート片に腰を下ろしていた。


 戦闘が終了してから、すでに十数分が経過している。

 新谷零士は事後処理に奔走し、玖形由美と黒鐘明日美はすっかり眠ってしまったルリカの様子を見ながらヘリで休んでいる。九凪は何となく一人になりたいと思い、先ほどまで戦闘が行われていた場所へとやって来ていた。


「……、」


 酷い有様だ。

 道路のあちこちが砕け散り、辺り一面に大小様々なコンクリート片が転がっている。ほとんどの路灯は折れるか電球が割れてしまい使い物にならない。九凪の頭上にある路灯も不規則に明滅を繰り返していた。


「元気がないですね。お疲れでしたら膝枕でもしてあげましょうか?」

「……遠慮しておきます。何やら裏を感じるので」

「賢明です。もし誘いに乗ってきたら、睡魔の誘いディープ・スリープで殺していました」


 相変わらずの無表情で物騒なことを言いながら、黒鐘明日美は何食わぬ顔で九凪のすぐ隣に腰を下ろした。え? と九凪は間抜けな顔を浮かべる。


「ですが、慰めてあげようというのは本当です。何やら悩んでいたようですし」

「……ありがとう、ございます」

「それに離れて座っても寒いだけですから。合理的判断です」


 黒鐘は正面を向いたまま、マフラーで口許を隠した。

 月明かりが黒鐘の艶のある白髪に染み込んでいく。風に弄ばれる黒鐘のショートカットは透き通り、暗い夜闇の中で月光を吸収したように輝いている為、どこか神秘的な空気を醸し出していた。


「すごいですね、黒鐘さんの界力術。久しぶりに視て改めて実感しましたよ」

「私はこれしかできないんです。術式保管領域のほとんどがこの術式に占有されていますからね、隊長を助けられなければ私がここにいる意味はありませんよ」


 黒鐘のように、術式保管領域が一つの術式に占有されるケースは非常に稀だ。このせいで黒鐘は身体強化マスクルすら発動するのに多大な苦労を要する。ほとんど能力者プラージと言っても間違いではなかった。


 界術師専門教育機関ラクニルでは、実技の中で自分の適性にあった方式を学ぶ機会がある。だが授業の中で、睡魔の誘いディープ・スリープなどという危険な術式が学習リストに入ることはない。おそらく、黒鐘明日美には何か九凪の知らない事情があるのだろう。


「私はこの力が嫌いです」

「……どうして?」

「額を合わせるだけで簡単に人を殺せるからですよ。それにこの力のせいで、私は界力省の管理対象になっているんです。名桜に拾ってもらえなかったら大学に通うことだって難しかったでしょうね」


 抑揚のない声で言い、黒鐘は夜空を見上げた。


 高速道路の周囲は深い山々に囲まれており、夜空を侵す人工の明かりは少ない。路灯も機能していないものが多く、冷たく澄んだ空気の向こうにはおもちゃ箱を倒してこぼしたように眩い星々があちこちに散らばっていた。


「ですが、この力にも使い道があったんです。誰かを助ける方法は、拳を振るうだけじゃない。隊長はそう言ってくれましたよ。おかげで今は、ラクニルに通っていた時ほど自分の力を嫌悪しなくなりました」


 元々、辰岡家が生み出した精神術式という方式は、使い方を誤れば人の命を容易に奪えるものが多い。生命力マナという人間の精神や命に直結しているものに干渉するのだ。身に余る危険な力を嫌悪しても無理はなかった。


 大切なのは、使い方だ。

 日本では禁止されている薬物でも、海外ならば合法の麻酔として使用されるように。


 どのように自分が手に入れた力を生かすか。

 それ次第で、誰かを傷付ける矛にもなるし、大切な人を護る盾にもなる。

 黒鐘明日美は、自分の力の使い方をしっかりと確立できたのだ。


「九凪さん、傷口に塩を塗るような質問をしますね」

「……分かっているなら、しないでくれませんか?」

「そういう訳にもいきません。……九凪さん、零士れいしさんが豊田隆夫を逃がせといったとき、九凪さんは随分とあっさり諦めましたよね? 何故ですか?」

「何故って……」

「別に批難している訳ではありません。九凪さんの判断は正しかった。その時の感情に身を任せない冷静さは素直に評価に値します。でも、だかと言っても、九凪さんの反応は異常だった。だって、」


 大きな赤縁眼鏡の向こうにある色の薄い瞳で、黒鐘はじっと九凪を見詰める。


「まったく


 そう。

 新谷零士から豊田隆夫を見逃すように言われた瞬間に、九凪はすぐさま戦闘態勢を解いていた。これ以上、戦う必要がないと言わんばかりに。


「悔しそうな顔をするとか、隊長のように食って掛かるとか、そういう反応はもちろん。一切の動揺すらしませんでした。ただ不思議そうに眉を顰めていただけで。私は、そんな九凪さんが『分からなく』なりました。どうしたら、そこまで冷徹になれるんですか?」

「……違いますよ、黒鐘さん。僕はそんなできた人間なんかじゃないんです」


 九凪は正面を向くと、自虐的な笑みを頬に浮かべた。


「僕には、記憶がないだけなんですよ」

「……記憶が、ない? どういう意味ですか?」


 黒鐘の顔に疑問が広がっていく。九凪の答えが問い掛けに対する解答になっていたなかったからだろう。九凪は正面を向いて話し始めた。


「僕には幼い頃の記憶がまったくありません。そのせいで、分からないんですよ。どうして自分がこう考えるのか。この想いは本当に自分のものなのか。誰かの想いを借りているだけなんじゃないか」


 もちろん、川島が豊田隆夫によって殺された事に怒りを覚えていた。だが、これは本当に自分の想いなのか。隣にいたルリカと同じように感じていると思い込んでいるだけではないのか。それが正しいのだと勝手に判断して。


 九凪にはそれを否定する根拠がない。自分がどのように作られたのか。そういった人間としての根源を、記憶と共に失ってしまったのだから。


 事実、九凪は豊田隆夫のことを簡単に

 自分でも驚くほどに、あっさりと。


「現実を受け入れて自分の感情を抑えられるような、殊勝な大人じゃないんです。ただ、ないんですよ。簡単に譲れないような想いが。絶対に叶えたいような本当の願いが、僕にはないだけなんです……それに」


 九凪の脳裏で、ルリカの声が蘇る。


――そんなの、正しくないッ!!


 その真っ直ぐな言葉に、九凪の心は確かに揺さぶられた。

 新谷零士の命令を守って、豊田隆夫を見逃すことが正しいのか?

 無関係な人間を自分の都合で殺した豊田隆夫を逃がさないことが正しいのか?


 思い浮かべるのは、一人の女性。

 正しさとは何か。そう訊ねてきた彼女。


「……なにが正しいのか、分からなくなりました」


 前川みさき。

 彼女のことを思い出した瞬間に、目頭が熱くなった。もう会えなくなって久しい。今まで無理やり無視していた胸が斬り裂かれるような想いが、唐突に溢れ出しそうになったのだ。


「そう、ですか」


 俯いてしまった九凪に対し、黒鐘は多くを語らない。気を使ってくれたのだろうか。何も訊かずに隣で座っていた。


 ――だが。


「記憶がない、ですか。


 ぽつり、と漏らしたその呟きに、九凪は反応せざるを得なかった。


「……今、なんて……?」

「ですから、由美さんも九凪さんと同じで記憶がなかっ……」


 言葉の途中で、黒鐘は自分の失態に気付いたのだろう。しまった、と言わんばかりに眼鏡の向こうで視線を泳がせた。


「師匠も、記憶がない……?」


 そんな事を、九凪は玖形由美から聞いていない。


「(隠していた? 僕に? でも、どうして……?)」


 考えても、答えは出ない。

 自分の知らない所で大きく事が動いているような不安が湧き上がる。


 不穏な感覚が、夜の森をわざめかせる冷たい風のように胸を波立たせた。



      ×   ×   ×



 豊田隆夫は崩れた高速道路の高架から飛び降り、山の中を歩いていた。


「……クソガキ共が、絶対許さねぇからな」


 体が揺れる度に、潰れた左腕にズキズキと激痛が走る。夜の空気は体が震えそうな程に冷たいのだが、左腕だけは不自然な熱を帯びていた。


 額に浮かんだ脂汗を拭いながら、豊田は木の幹に体を預けて立ち止まる。


 まずは、山を抜けなければならない。

 高速道路の周りは山々に囲まれていたが、全く集落がないという訳ではない。携帯端末は戦闘の衝撃で使い物にならなり、正確な地図情報は手に入らないが、このまま真っ直ぐ歩いていればいつかは道路にでも辿り着けるだろう。


 がさがさ、と背の高い下草を足で乱暴に掻き分けて進む。


 何かあってもすぐに対応できるように身体強化マスクルだけは常に発動していた。体から滲み出る紫色の界力光が闇を遠ざけており、辛うじて明かりなしでも進めている状況である。


 どれくらい歩いただろうか。

 そこは少し開けた場所だった。月明かりが差し込み、その場所だけ闇の濃度が薄くなっている。気を休める為にも休息は必要だ。豊田の足は自然とその場所へ向かっていった。


「……っ! 誰だ!」


 人の、気配。

 鋭い問い掛けに対し、二人の先客は暗闇から姿を晒すことを返答とした。

 一人は年端もいかない少女だ。もう一人は二十代前半くらいの女性である。


「(……ガキと、女? 今日は変なヤツにばっかり絡まれる)」


 界力安か、名桜とは別の組織の界術師が自分を捕らえに来たという訳ではなさそうだ。二人に気付かれないように、豊田は安堵に胸を撫で下ろした。流石に、今の状態では満足に抵抗することすらできない。


「豊田隆夫、ですよね?」


 女性の方が問い掛けてきた。まだ青臭さは抜けきっておらず、自分にできる限りすごもうとしているような声だ。裏の現場に慣れている界術師とは程遠い。豊田は無意識の内に警戒を解いていた。


「そうだ。俺に何か用か? 悪いがこの様だ。別日にしてくれ」

「それはできない相談です」

「……そうかい」


 迷うことなく、豊田は直方体の界力石を取り出した。界力武装の刻印術式を投影する為の武器である。


「警告は一度だけだぜ、素人の嬢ちゃん。ここはテメェみたいな表の人間が立ち入っていいような領域じゃない。そこを退いてくれるなら見逃してやる」


 しかし、女性は動こうとはしなかった。


 豊田は呆れ混じりの溜息と共に、界力石を握る手に力を入れる。相手は界術師かどうかも疑わしい素人が二人。手負いの現状でも十分過ぎるほどあしらえる。

豊田は女や子どもを殺すことを躊躇わない。邪魔をすると言うのなら、問答無用で切り捨てるだけだ。


「……なら、後悔と共に死んでもらうぜ」

「後悔するのは貴方です、豊田隆夫」


 女性が軽く手を持ち上げた。


 瞬間。

 、界力光。


「貴方には罪がある。決して濯ぐことのできない穢れがある」


 やばい。

 こいつは、やばい。

 豊田隆夫の本能が叫ぶ。先ほどまでは素人だと侮っていた相手に対し、今はまるで絶対に敵わない怪物を目の前にしてような警鐘が鳴り響いていた。


 迷っている暇は、ない。

 豊田隆夫は痛む体に鞭を打って、全力で女性へと襲い掛か――


「だから、私と同じで、許されない」


 ドガッ!! と強烈な衝撃が死角から突き刺さった。

 まるで巨大な張り手に抑え付けられたように、豊田の体が地面を覆う下草へと叩き付けられる。


「……なにが、起きた……?」


 分からない。

 ただ発火しそうな程に左腕が痛く、意識が朦朧とし始めていることだけは理解できた。まるで粘度の高い泥沼にゆっくり沈んでいくような感覚だ。


「金や快楽の為に人の命を奪うような貴方には、こんな言葉を贈りましょう」


 さく、さく、と下草を踏みしめながら、女性が近づいてくる。



 そして、女性はうつ伏せの状態で倒れた豊田の前で立ち止まった。 


「私の大切な人の言葉です。よく噛み締めながら、社会の為に死んでください。貴方にも、それくらいの価値はあるのでしょう?」


 その声を最後に。

 豊田隆夫の意識は、完全に闇に飲み込まれた。

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