第5話 伸ばした手

 ※前回のあらすじ


 かどみやきょうすけ裏の五本指レフト・ファイブ――夢の使者ファントムと正面から戦い続ける。規格外の化け物に対して角宮恭介は善戦していた。


 ひいらぎすみを救い出すため、己の力を証明する。

 角宮恭介の強い想いが五本指を追い詰める。


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「俺をただの界術師ぜいと言ったな。その認識を撤回してもらうぞ、夢の使者ファントム


 獰猛な光を眼光に浮かべた角宮恭介が、挑発するように言い放つ。


「テメェが対峙してんのは、正真正銘の『最強の戦士ベラトール』だ!!」


 シンキャクを使った角宮の姿が、紫色の残像を置き去りにして消えた。高く跳び上がり、チュウシュウキャクを使って上空から鋭角に青年へと肉薄する。稲妻のような挙動で青年の背後に移動し、渾身の一撃を放――


 りん、という鈴の音。


「……は?」


 


 一瞬で全身を銅像に変えられたと錯覚してしまうほどに、刹那の出来事。

 束ねた紫色の長髪を揺らしながら青年が振り返る。そして右手を軽く挙げて、激しく狼狽する角宮の額に、長い指の先で触れた。


「うおお、おおおおお、おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」


 猛烈な危機感が鋭い槍となって脳天から体を一直線に貫く。


 直感の強化を使うまでもない。

 青年に触れられる。それがどんな事を意味するのか分からない。だが、このまま触れら続ければ取り返しのつかない事になる気がした。


 両目を見開き、腹の底から活力を生み出すように叫ぶ。


 氣法・ボウハンコウ


 精神に対して干渉する術に対抗する闘術の技術。精神系の術は、対象の精神体を不安定な状態にすることで悪影響を及ぼす。ならば、その乱された精神状態を強制的に戻し、他人から干渉できないほど硬度を高めれば無効化できる。


 眉間の奥にあるすいたいが発火しそうなほど熱を帯びた。まるで巨大な岩の扉を押しているような気分だ。どれだけ押してもぴくりとも動いてくれない。


 視界がカチカチと明滅するほど力を込めて、ようやくわずかに体が動くようになった。青年の術の拘束をわずかに解いた隙に、角宮は体内の氣を絞り付くような勢いで衝放波ショウホウハを放つ。


 突風のような衝撃が青年を襲う。後ろによろめいた青年の指が角宮の額から離れた。

 体の主導権が完全に戻る。態勢を立て直す為に、角宮は慌てて距離を取った。


「……ク、ソが」


 気力をスポイトで吸い取られたと錯覚するような脱力感に苛まれ、角宮は思わず床に膝を付いた。氣とは、言い換えれば『活力』である。体を動かす、心を奮い立たせる為の燃料を消費して戦っているのだ。それが失われれば当然疲労感が出てくる。


「(これ以上の長期戦は無理だ。次で決めるしかねぇ……!)」


 呼吸法により氣を充填させながらゆっくり立ち上がる。

 今までの戦闘から、何となくだが夢の使者ファントムの界力術が見えてきた。


 最も重要なのは、鈴の音を聞く時の『距離』。

 先ほど、青年のすぐ近くで鈴の音を聞いた時は体が岩のように硬直してしまった。あれほど強力な拘束力だ。勝負を決める気があるなら、始めから角宮の体を硬直させればいい。


 だが、それをしない。

 つまり、できない。


 儀式術式の常識として、『術式領域』という概念がある。術者の力量や儀式術式の種類によって変わってくるこの範囲の中でのみ、儀式術式は効力を発揮する。夢の使者ファントムの術の場合はこの術式領域が何種類かあるのだ。そして、対象が夢の使者ファントムに近づくにつれて強力な術を選択できる。


 更に、夢の使者ファントムは鈴の音を相手に聞かせることで対象に術を掛けている。だが逆に言えば、鈴の音さえ聞かなければ術には掛からない。例え聞いたとしても、夢の使者ファントムが選択した術の領域外にいれば無害なはずだ。これは術を発動する前に鈴を鳴らしている事から予想できる。


 なら、対策は簡単だ。

 夢の使者ファントムに術の選択を間違えさせればいい。


 その為の方法はある。闘術を使う自分らしい方法が。

 相手は裏の五本指レフト・ファイブの一人だ。

 全ての界術師の中で、黒い界力光を出せる十人しかいない怪物の一人だ。


 それが、どうした。


 夢の使者ファントムの儀式術式を攻略する。

 相手が五本指だという事実が、敗北する理由にはならない。


 氣の充填は十分とは言えない。わずかでも無駄な動きをすればガス欠になる。

 青年は相変わらず優雅に佇んでいる。出来の悪い教え子の相手をさせられている教官のように余裕に満ちた様子だった。


 角宮は霞進脚カシンキャクを使い、紫色の残像と共に走り出す。歩法を使い、まるで鏡で出来た立方体の中で光が反射し続けるように、青年の意識を攪乱する。


「(――今)」


 十分に揺さぶった後、角宮は敢えて先ほどと同じく青年の背後に降り立った。

 そしてすぐさま、霞進脚カシンキャクを使って距離を取る。


 りん、と鈴の音が聞こえる。

 しかし、何も起きない。


「(正解だ!!)」


 角宮恭介が仕掛けた駆け引きは単純だ。


 いくら五本指と言えども、歩法を使った高速移動を眼で追うことはできない。相手が近接戦の達人なら話は別だが、搦め手という術の性質上、夢の使者ファントムがそうだとは考えにくい。純粋な近接戦なら角宮に軍配が上がるだろう。


 だから、青年が咄嗟に術を選択させるような状況を作り出した。

 自分の感覚では追いつけないような高速移動中の敵が、唐突に背後に現われた。しかも前と同じような場所に。反射的に同じ術を選択してしまうはずだ。


 すなわち、狭い術式領域内で発動する強力な術を使ってしまう。


 強大な力を持った界術師にはありがちな弱みだ。自分の術を過信するが故に、それを完璧だと思い込む。思い付かないような突破口など存在しないと誤認する。抵抗されることを予想せずに、術を発動してしまう。


 それに、青年は角宮の体を硬直させた術式を発動させたいと考えているはずなのだ。広範囲の術式領域の術では効果がないことがすでに証明されているから。


 これだけの条件が揃えば、いくら裏の五本指レフト・ファイブでも抗えないはずだ。


 思惑通り、青年の顔に初めて驚愕が滲む。

 その隙を逃さない。


 宙蹴脚チュウシュウキャクを使って青年へと猛然と落下する。防御の構えを取る青年を尻目に、角宮は迷わず別の物に狙いを定める。


 鞘から吊された黄金の鈴。

 儀式術式の条件を整えるために必要な供物。

 床を転がる鈴。それを目で追う青年の表情に、もう余裕は残っていなかった。


「ようやく見られたな、てめぇの切羽詰まった顔をよォ」


 両足で強く床を踏みしめた角宮の体から紫色の界力光が噴出する。


 闘術・とうろうけん


 角宮恭介が唯一使える闘術。

 ただ全力で相手を殴り飛ばすだけの単純な一撃。


 丁度良い。

 ごちゃごちゃ考える必要はなく、全身全霊を拳に込めればいいのだから。


 ボゴッ!! と角宮の筋肉が膨れ上がり、踏みしめた地面が軽く抉れる。


「俺でも五本指を超えられる。テメェにはその証人になってもらうぜ」


 体の中に残っている氣の全てを――

 絞り出す。


「うおらあああああああああああああああああッ!!!!」


 天地を轟かせるような咆吼と共に、角宮恭介の拳が青年へと突き刺さる。

 猛烈な衝撃が竜巻のように吹き荒れ、周囲の物をまとめて吹き飛ばした。放物線を描いて飛んでいく青年の体。五メートル以上離れた床に落ち、そのまま動かなくなった。


「……勝った」


 ぽつり、と口から漏れ出した言葉。

 それは次第に大きな波となり、心の底から熱い感情を伴って押し寄せる。思わず両手を強く握り、快哉を叫んでいた。


 五本指を打ち負かしたのだ。

 これで手を伸ばせる。

 柊佳純を救い出すために行動ができる。


「恭介さん!!」


 勝利の余韻に浸っていると、遠くから九凪の声が聞こえた。

 おそらく、健闘を讃えてくれるのだろう。


、恭介さん!!」


 ……違和感があった。

 すでに夢の使者ファントムは倒したはずだ。


 では何故、九凪皆は。

 


「早く起きてください! このままじゃ殺される! 恭介さんっ!!」


 ぐるん、と。

 世界が、反転する。

 意識が戻る。


 気付いたら、角宮恭介は倉庫の床にうつ伏せで倒れていた。


「良い夢は、見られましたか?」

「……は?」


 訳が分からない。

 夢の使者ファントムはさっき倒したはずだ。では、何故夢の使者ファントムが自分を見下ろしている? 何故自分は床に倒れている?


「(いや、そもそも……!)」


 四肢の感覚を消失している。両肘、両膝から先の存在を認識できない。それは元々なかったのだと錯覚してしまうほどだった。

 恐る恐る視線を下げてみる。そこにはしっかりと両手、両足が繋がっていた。だが確認した後であっても、両手、両足の存在を感じ取れなかった。


「随分と素敵な夢を見ていたようだったので、起こすのを躊躇ってしまいました」

「てめぇ……なにをした……!」

「夢を見せたんですよ。君が望む結末を体験させてあげました」

「……夢、だと?」


 絶望が、心を覆う。

 だが、頬に押しつけられた床の冷たさが残酷にもこれが現実だと告げていた。


「どうやら、ボクを随分と過小評価しているようですね。ボクは裏の五本指レフト・ファイブですよ。あんなに弱い訳も、術式に欠点がある訳もないじゃないですか」

「……いつからだ」

「はい?」

「一体、いつから俺は夢を見ていたんだ……?」

「君に都合の良い事が起き始めた時です。具体的には、そうですね……たかが実力カラーが紫程度で、ボクの術から抜け出せる訳がないですよね?」

「あの、時か……!」


 青年の界力術によって体が硬直し、額を指で触られた。

 角宮は氣法『ボウハンコウ』で硬直の術を弾けたと思っていた。だが、違ったのだ。すでにその瞬間にはもう都合の良い夢を見ていた。


 ギリリ、と強く歯軋りをする。

 手が届いてなどいなかった。五本指との実力差を思い知らされただけだ。


 やるせない気持ちが、脱力感と共に全身に広がっていく。状況は最悪だ。何とかしなければならないと思うが、それを実行するだけの気力が湧かない。ピキリ、と強靱だった筈の意志に亀裂入り、破片が音を立てて地面に落ちていく。


 重たい首を錆びた歯車のように動かして、周囲を見回してみる。


 いつの間にか、倉庫の中は界術師で溢れかえってた。新谷零士による陽動の効果が切れたのだろう。これでは仮に夢の使者ファントムの界力術を打ち破ったとしても脱出できない。

 九凪皆は数人の男によって拘束され、地面に抑え付けられていた。


 打つ手が、ない。

 戦況は覆しようがないほどに傾いていた。


 負けたのだ。

 強烈な悔悟の念に堪えるように角宮は唇を噛む。それでも動けない。例え夢の使者ファントムの術がなかったとしても、こんな弱った精神状態では満足に戦えなかっただろう。


 だから。

 倉庫の屋根や壁に亀裂が入り、轟音と共に崩壊し始めた時も、動けなかった。


「……なん、だ?」


 朦朧とする視界の中に映ったのは、嵐のような黒い光を纏った赤い女性。

 崩れゆく倉庫の屋根を背景に、怪物は宙をかける。


 意識が、途切れた。


 そして。

 莫大な粉塵を空に巻き上げたその突然の出来事により。


 まるで模型を金属バットで殴りつけたように倉庫は無残な瓦礫の山へとなり果てていた。

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