それは一本の白髪を探すがごとく


 あー、今日も小説書けないね! そういう日もあるよね! そういう日の方が多いけど!

 そんなときは適当に書きつらねるにかぎる。


 執筆はやっぱり苦手です。

 一年以上書いといて、あれですが。

 作文、読書感想文、小論文。学校で出された課題は時間制限の中で完成できた記憶はほとんどないんです。

 勘所が分からず、小論文は半分だけ升目を埋めて時間切れ。読書感想文は八割をあらすじで埋めて、最後に「~なところが感動しました。」で閉じました。苦い思い出です。こんな仲間がカクヨムの作家にいるかなーと、いたらいいなーと、思ったりします。


 企画があって締め切りがあって。そういうものに出くわすと、途端に鉛筆がどんどん重くなり、消しゴムがどんどん小さくなります。まさに今でいうKACの企画とか。

 みんな、なぜあんなに高レベルで一定に書けるんだろう。やばいな。

 地力の差を感じるとともに、自分が根っからの読者だと思い知らされます。


 根っからの読者。

 読むことが好きです。読ませてくれる文章はもっと好きです。

 読むことが好きになった原体験を覚えています。

 小さい頃、テレビで外国人が喋ってるときの字幕を読み上げていたときに「漢字まで読めて、すごいね」って大人に誉められたのが嬉しかったのを覚えてます。それが今もなお効力を発揮してる気がします。


 逆に、書くことが苦手になった原体験はなんだろう。

 分からないです。単なる慣れの問題なんですかね。

 でも「言葉は選ぶものだ」という意識はどこかでぐっと植え付けられた感触があって、これが結構自分のカクカクを邪魔している気がします。

 一言の返答しか弾数はないけど、これで会話を仕留められないならもう終わりよ。みたいな感覚。伝わるか分からないけれど。

 なんというか言葉の弾数は有限って気持ちなんです。何を言うか、どう書くか。決められた枠の中で何を撃ち込むか、絶えず選択を迫られてる、みたいな。


 そうなると小説はもろに選択の連続で、そう思うと書いててしんどいかも、と思いませんか?


 小説を書くことは「すべての可能な文字列から、ひと連なりのキラキラを探すこと」だと夢想することがあります。

 四十六音と濁音、半濁音、句読点。その組み合わせは途轍もない量だけど結局は有限です。


 三文字しか書けない原稿ならば、「あああ」「ああい」「ああう」……「んんわ」「んんん」……「。。、」「。。。」まで。

 その中に自分にとって唯一の、ひと連なりのキラキラがあるはずだ。

 それは「おかね」かもしれないし「いのち」かもしれないし「きぼう」かもしれない。


「これは僕が一番良いと思った、ひと連なりのキラキラです」

 そう言って差し出す感じが、小説にはあるように思います。

 文字数が増えても同様に。


 文字数が増えれば、無論組み合わせも増えますよね。

 例えばKACで、1200字以上4000字以下。

 そこからできる可能な文字列を計算はしないけど、想像はします。

 横たわっている「有限だけれど膨大な文字列の束」を前に、僕は途方に暮れています。

 この中からどうやって、ひと連なりのキラキラを見つけんだよ、と。

 そう思うとペンが止まってしまうのも、無理もないと思いませんか?

 僕は思う!


 で、これ、結局なんのはなし?

 と思ったあなた!

 小説を書けない「言い訳」を探す話でした。


 これが僕が一番良いと思った、ひと連なりの言い訳です。

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