神経をすり減らすには、うってつけの趣味。

 今日も書けない。

 いや、最近はちょくちょく書けているけど、今まさにピタリと手が止まって行き詰まった。とりあえず、思うところがあるので、こっちは書けそうだ。


 最近、作品を公開するようになったこと。そして、たまたまダン・アリエリーという人の行動経済学の本を読んだことで、ある考えが浮かぶ。


 その本には、こんなことが書いてあった。

 例えば、手塩にかければかけるほど、作品の自己評価は高くなる。自分の苦労を評価するのは自分だけだから。

 例えば、他人のアイデアより自分のアイデアの方が素晴らしいと思いがちになる。

 例えば、わりと人のモチベーションは、簡単に奪える。無視とか、無反応によって。


 たしかに。経験的にも、そうだと思う。

 それで、小説執筆という趣味は、モチベーションを落とす要素を多分に含んでいるんだな、と気づいた。

 自分の認識と世間の認識が、簡単に乖離する。だから心が腐るんだな、と分かった。 

 みんな、読まれない不満や不安を吐露しながら書き続けてたりするけど、メンタリティどうなってんだよ。そして、たぶん賞を目指す人達は、もっとすり減るでしょ。うわー。


 小説に自分のアイデンティティを求めるのは精神衛生上、良くないと分かってるのです。それでも、僕は無いものねだりをする。せっかく、書いたんだから、評価されたい。


 人間だもの。なんつって。



 でも最近は少しずつ、良い小説は、本来の生活の余剰で、生まれるのではないか、と思うようになった。

 企業小説を書いている池井戸潤は、元金融マンだし、SF小説を書く藤井太洋は、元エンジニア。

 小説家は、小説の専門家ではなく、何かの専門家で小説家なのだろうなぁと、思うようになった。


 知らない業種の企業小説は、巨悪を倒すファンタジーの様で。

 今まさに生まれている最先端の技術は、もはやSFで。

 現役高校生が語る、学生達の空気感は、コメディにもホラーにもなる。

 特殊な世界を想像しなくても、十分、他人の日常は異世界かもしれない。たまに、地元の人間の話で、カルチャーショックを受けることもあるくらいだから。


 それで、沢木耕太郎の文庫を思いだし、本棚を漁ってみる。「無名」だ。「彼らの流儀」だ。「深夜特急」だ。他にもいろいろ。

 普通の人、無名の人が、描かれている。どれも、勝者でもなかったり、勇者でもなかったり。


 日常生活では、普通に悩んだり楽しんだりできるのに、いざ小説の中となると特殊な状況を設定しないと、物語に出来ない自分がいる。

 まだまだだ。もっと周囲を繊細に見れるはず。


 遥か高みにいる作家達の見る景色は、全然違う。それを改めて気づいて、今日は終わりです。





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