鳥肌を立たせることは、感情移入させることではないと思うの。

 僕は小説をつくるとき、あのときの「鳥肌」を再現したい、と思いながらつくっています。


 藪から棒になんだ、という話ですけど、小説を書くモチベーションが上がらないので気分転換に、創作時に考えていることをまとめてみます。

 ちょっとマニアックで、あまり万人受けするこだわりじゃないと思います。

 伝わりづらい部分もあると思いますけど、これを期に整理してみます。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 小説を読んで鳥肌が立った。

 僕は、この感覚がけっこう好きです。

 小説を読んで面白いストーリーにぶち当たり、「なんてこったい!」と興奮して鳥肌が立つ、あれが好きです。

 その感覚を求めて本を何冊も読むようになったし、書くときは読者に鳥肌を立たすつもりでつくるぞ、と思っています。

 「鳥肌が立ちました!」とコメントを貰うと嬉しさのあまり、小一時間ガッツポーズしてます。ちょろいですよね。


 小説を読んで鳥肌が立つ。

 これって改めて考えると、かなり凄いことじゃないですか。

 ああ、楽しかったね。辛かったね。そういった感動があたまの中を超えて体に表れる。

 文字が、静的なインクの連なりが、ただの記号が、物理的な変化を体に起こす。

 フィクションが、空想が、嘘が、現実の世界に影響を及ぼす。


 こわっ。なにそれ、やばくない?

 って思ってます。

 「言葉には力がある」というフレーズは好きではないですけど、丁寧に練られた言葉には確かに物を動かす力がある。

 産毛を立たせる程度のことなんですけど、「鳥肌」はそれを証明しているように思えるんです。

 「なんで嘘っぱちの物語を書いてるんだ、意味あんのか?」みたいに思っちゃうこともあるけれど、ちょっとでも物事を動かせるのならばフィクションを吐く意味があると思えますよね。

 「鳥肌」は、フィクションがフィクションのままで終わらない、という嬉しい証明です。


 ◆ ◆ ◆ ◆

 

 で、じゃあ読書で鳥肌ってどうやって立たすの?

 ということを昔考えたんですけど。

 あ、こっからマニアックな話です。どうでもいい話っちゃあどうでもいい話なので、聞き流してもオッケーです。

 

 鳥肌というのは、毛穴にある立毛筋という筋肉が収縮して、その毛穴周辺の皮膚が盛り上がって起こるんです。

 で、毛立筋が収縮する動きは、交感神経が担っています。

 交感神経は、ストレスを感じると活発に働くところで、ここが活発に働くと体にこんな変化を起こします。

「心拍数を上げて筋肉にもっと血液を送るのだ」

「呼吸数が増やし肺の気管を拡大させて、酸素をもっと取り込むのだ」

「瞳孔が拡大させて、状況をもっと観察するのだ」

「脳に酸素をばんばん送って、集中力を上げるのだ」

 などなど。


 これを読んで分かると通り、交感神経が活発に働くと、戦ったり逃げたりできるように体が準備するんです。そのために交感神経は「闘争と逃走の神経」と呼ばれています。

 クマに遭遇したときとか、目の前にある危険、ピンチに素早く対応するための機能ですね。

 人体ってよく出来てる!


 すみません、取り乱しました。

 つまりです。

 ビンチに陥る→交感神経が興奮→鳥肌が立つ。

 という仕組みがあって、ならば。

 「読者に鳥肌を立たしたいのなら、読者をピンチに陥れろ」

 と言えます。

 ビンチね、ピンチ。分かった。

 うん? でも、読者のピンチってなに? 


 ◆ ◆ ◆ ◆


 ここで僕の中でかなり重要なことがあります。

 あくまでも「登場人物」ではなく「読者」をピンチに陥れろ、ということです。

 感情移入させる力が強い作家さんは「登場人物のピンチ」がそのまま「読者のピンチ」と錯覚させることができますが、僕はそうじゃない。 

 筆力のない素人だから、抜け道を探さないとダメです。

 読者のピンチって、なんだろう?


 ここで最初の言葉に戻ります。

 僕は、の「鳥肌」を再現したい、と言いました。

 僕の全く感情移入することなく「鳥肌」を立たされてしまったのです。


 毎度出てます、伊坂幸太郎のチルドレンより「チルドレンⅡ」。あの小説を読んだとき、登場人物は誰一人ピンチに陥らず、そして僕もどの登場人物にも感情移入せずに「鳥肌」を立たされてしまいました。


 僕は感情移入しながら読むタイプの読者ではありません。登場人物のピンチも「ははーん、なるほど」とスマシ顔してるタイプです。軽蔑するなら軽蔑すればいいさ。

 「チルドレンⅡ」も同様に、登場人物にも「まぁこんなやつがいたら面白いよね」「面倒なやつやなー」と思いながらすーっと読んでたら、あるタイミングで「鳥肌」が立つんです。


 どんなタイミングか。

 おもいっきり誤読していた、と気づいたときです。


 緻密で完璧なミスリードで、僕は完全に誤読させられました。作者側から読者の誤読をコントロールすることができる。

 これは、僕にとって凄い発見でした。

 これを作りたい! って思いました。

 いま創作している、動機のひとつになりました。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 読者のピンチ、それは

「今まで自分が読んで理解していたものが、まるっきり間違っていた」

 というものです。


 読者にも、読者なりの矜持があります。

 今までたくさん読んできたという自負があり、本を心の底から楽しみたいと餓えており、「時間を費やすほど、この小説に価値があるのか」とその小説を試しています。

 面白い小説を作らない作者を軽蔑したり、ばかにしたり、がっかりしたりします。

 読者も本気で読んでますもんね。

 だから、読書に本気な読者にとって「誤読」は紛うことなきピンチです。

 プライドの危機です。


「しまった、そういうことか!」

 自分が今まで読んできて「こういうものだ」と理解していたものが、あるタイミングで全然違う意味を持っていたと気づかされたとき。

 そのとき読者のからだはプライドの危機に反応して、交感神経が一気に活発化されます。

 どこをどう間違えていたんだ、おれは。

 くそ、なぜだ。

 なぜ、おれが、こんな目に……!

 心拍数は上がり、集中力を増す。一文一文を正確に読み込もうと瞳孔を広げる。

「くそ、あの一文は、こういう意味か!」

「あの仕草が描写された訳は、あれか!」

「これとあれが、ああ繋がって、そうか、しまった!」

 何を、どこで、どう間違えていたのか。闘争する状態に変化したあたまで、物語に何が起こっていたのか一気に整理、再構築、読解する。そして、作者の魂胆を全て見通したとき、読者は言います。

「へ、見切ったぜ」

 読者は不敵に微笑み、作者に蔑んだ目線を送る。

 しかし──。

「いや、勝負ありだ」

 作者は呟く。読者は、はっとした顔で自分の腕を見る。

 鳥肌が立っていた。

 作者は、敗北を知った読者を振り返ることなく、次の執筆に移っていく。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 どういうトーンだ、これ。

 整理するつもりが、ちょっとおかしい感じになりました。気分転換には、なったのでよしとしよう。

 普段、こんなことを考えてたりします。

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